59. 五谷中学校・2
「穂積?穂積弥生?いつ頃の生徒かわかる?」
「それが、おおよそ40年近くも前なのですが…」
「なんだ、俺もガキの頃じゃないか。」平井監督は女子生徒を見て笑った。
「あ、でもまてよ。俺はさ、40年前ってったら12、13あたりだと思うけど……ちょい年上の女で、出産した奴がいたんだけど…名前なんつったかな…」
「多分その人です!穂積弥生さんです!」
百合華はスマホに撮った弥生の中学時代の写真を見せた。
「名前も顔もピンとこねえけど、そうなのかな。正直わからんね。この地域はね今じゃ考えらんねえくらい荒れてたから、若い子が妊娠出産するのも地元のニュースにすらならないんだ。ただ俺が覚えてた子ってのは…」
「あ、幸恵。ここはもういいから、後片付け手伝って来て。」
平井監督が、幸恵と呼ばれた女子生徒に声をかけた。
「はいっ、失礼しますっ!」
監督と百合華それぞれに深々と礼をして運動場へ走って戻っていった。
「幸恵の前じゃとても言えねえや。もし仮に、俺が知ってる子がその、ヤヨイって子だったら、一部では有名だよ。
そいつはスナックの奥の部屋で売春みたいなのしてたらしいけど、妊娠して出産が近づくと腹でかくなって、客がよりつかなくなってきたらしいんだ。
赤ん坊生まれたら、また通いだす奴は残ってたらしい。懲りねえやつらだよ。ヤヨイの方はの金をガッツリ取るようになったんだってよ。ほんで、ヤヨイがやってる間、次の客がスナックで酒飲みながら待ってんだよ。その間、待ってる客らが、生まれたばかりの赤ん坊をオモチャにしてたんだってよ。ヤヨイが、好きにしていいからって。母性もへったくれもありゃしねえよな。外国のお客はシラフじゃねえから、ふざけて赤ん坊にタバコ口に挟んでみたり、酒飲ませる真似だかなんかしみたりして馬鹿騒ぎ。そりゃ残酷な光景だったらしいわ。」
あまりの話に絶句した。
話を聞くからには、そのスナックのオーナーは穂積弥生でほぼ間違い無さそうだ。それならば、生まれて間も無い乳飲み子が、おもちゃにされ、煙草を無理やり咥えさせられるだなんて。現代なら完全に虐待行為だ。暴力行為だ。本来なら大人に守られるべき赤ちゃんの怜が、外国人に囲まれ、真っ赤な顔してギャアギャア泣いて必死に抵抗している姿を想像した。
「あ、あれ?倉木さんだっけ?大丈夫?」
百合華はロルバーンのメモを抱きしめながら、アスファルトに涙をポロポロと落としていた。
「はい、すみません。知人なので感情移入してしまいまして。」
泣きながら無理やり笑顔を作った。
「あ、でもねえ。その後、そこのスナックはすったもんだがあったらしいよ。
そしたらある日、スナックの家に入り浸ってた恋人だか愛人だか、割り切った関係なのか知らねえけど、そいつにごっそり、貯金から何から盗まれてとんずらされたらしいんだよ。金が無くなって、客もそのうち来なくなって、店も回らなくてさ。店潰れちゃったらしいんだよな。その後のことはごめん、俺知らねえわ。」
平井監督は額の汗を腕で拭いながら言った。
その後は………昨日、明美さんが言っていた。
その後は、スナックのぶ絵へ行ったのだ。たったの3ヶ月間だけ。そして自分がされたことを今度は自分がした。
スナックのぶ絵のレジのお金を全て持って、消息を絶ったのだ。
「俺が印象に残ってる子ってのは、その子が1番だな。本当にその、ヤヨイって子かどうかの確証はねえけど、世の中理不尽だよなあ。」
世の中理不尽。
温室育ちの百合華にはまだ、心から理解できる概念ではなかった。
そんな百合華だから言われてしまうのだ。
人の気持ちなんか全くわかってないクズだ。と。
以前、穂積怜に言われた言葉だ。
私はそう、クズだ。這い上がろうとしているクズだ。




