56. スナックのぶ絵
スナック【のぶ絵】に入る。外観は、古いスナックを少し補修しました…という仕上がりだったが、中は薄暗い照明の中、清潔感を存分に感じる落ち着いたスナックという印象だった。
声をかけてくれたママがのぶ絵さんなのだろうか。百合華はひとまずカウンター席に座った。席は全部で6席しかない。ただ、ママの後ろには常連さんの名前の札が下げられた酒が所狭しと並んでいた。
それも仕方がない。ママは声だけではなくその立ち姿も上品で、笑顔も絶やさない。美人だが壁を作るようなことはなく、人懐こそうな人間性も持っている。
ひょい、と出入りするスナックとしては、申し分の無いママと店の印象なのではないかと百合華は思った。
L字のカウンター席には3人の客が既に酒を嗜んでいる。
席に座った百合華に、ママは優しい笑みを添えて言った。
「今日はおひとりですか?」
「はい、そうなんです。」
「何にしますか?」
「本当にすみません…今日車なので、烏龍茶を…」
女1人スナックに入って来て、烏龍茶を頼む百合華は、もしかしたら滑稽に見えたのかもしれない。ママはくすっと優しく笑い、
「ちょっと待ってね」
と言って、酒を用意し始めた。
「じゃあ、はい。烏龍茶。」
ママは烏龍茶とともに、ピスタチオとさけるチーズを出してくれた。
「ごゆっくりどうぞ。」
語尾にハートマークが付いているようだ。客の気分を良くさせる技術をこの人は持っている。
「あ、ありがとうございます。」
百合華は烏龍茶に口をつけた。
「あのー、ママ。のぶ絵さんとおっしゃるのですか?」
突然声がかかって、驚いたかのようにママは背後を振り返った。
「のぶ絵さんは、先代だよ。信じるの信に絵と書いて信絵さん。」
1席開けて、隣に座っていた中年男性が答えた。
「そうなの。のぶ絵さんがママだった頃は、私はチーママをしてた。でもママが6年前に他界してから、ここを守らせていただいているわ。私の名前は明美。よろしくね。」
「よろしくお願いします。私は倉木百合華です。明美さんは、このお店を引き継いでから店名を変えようとは思わなかったのですか?」
「全然。だってここは、のぶ絵姉さんのスナックだもの。」
ニコリと笑って、別の客の接客を始めた。
「お嬢さん、いくつ?」
中年男性が聞いた。
「もうすぐ28になります。」
「珍しいね、その年の子が1人でスナックって。でもここカラオケもあるし、楽しめるよ。」
「実は今日は、明美さんにお話をお伺いしたかったのですが、お忙しそうですね。」
「へえ、どんな話?よかったら、簡単に教えてよ。俺、ここ長いから大体のことは知ってんだ。」
やや酔っ払っていると思われるその中年男性は、単なる好奇心ではなく、本当に親身になって聞いてくれようとしていた。
「このお店は、のぶ絵さんの頃からずっとこの場所に?」
「ああ、そうだよ。この辺ではこの店が1番の老舗かな。最近はここの商店街の開発が進んでいるから、ちょっと浮いてるけどね。」
うははははは、とその男性は笑った。
「それでもやっぱ、ここが1番なんだ。」
「なんとなくその気持ち、わかります。私初めて来たのに、もうくつろいでる…。」
わっははははは、と、男性は豪快に笑った。
「あの…つかぬ事をお伺いしますが…穂積弥生、または穂積怜という人物を知りませんか?」
すると男性の表情が驚愕の表情に変わった。
何かある……
男性は大きな声で
「ママ!ママ!明美ママ!大変だ、ちょっとこっち来て。」
席から立ち上がり、大きく手招きをした。
「あらあら、一体どうしたの?」
ママが近づいてきた。
「この子…!弥生のこと聞きにきたって!」
「ええっ!弥生って、穂積弥生さんのこと?」
ママは冷静を装って百合華に尋ね、百合華はゆっくり相槌を打った。
「なんで、あなたが弥生のこと知っているの?」
「私は…弥生さんの息子さん、怜さんの知人なんです。ですが今、怜さんも弥生さんも行方不明で、縁のある場所を探し回っているところなんです…。」
「行方不明?そう…、あの子はいつでも行方不明になるからね…」
「どういう意味でしょうか?」
「うん?ああ、あの子ね、自分の店…スナック弥生だったかしら。今は寂れたシャッター街になっちゃったけど、あそこでお店出してたんだけど、色々あって潰れちゃって。のぶ絵ママが、亡くなった弥生のお母さんと知り合いだったからって、職にあぶれた弥生をうちの店に入れたの。」
「そこでも、行方不明に?」
「そうよ。3ヶ月も持たなかった。しかもレジのお金全部持って、置き手紙も無しにどっか行っちゃったの。弥生が17か18か、そこいらの頃の話よ。あの子、赤ん坊がいてね。その子と一緒にどこか消えちゃったのよ。」
「それから、弥生さんから連絡は?」
「あったわ。でも、年賀状だけ。消印みると、色んな場所を転々としていたみたいね。」
「その年賀状、見せていただけませんか…!?」
百合華は席を立ち上がり大きな声を出してしまった。
「うん…いいわよ。でも家にあるから今は…。」
「私、明日も五谷に来るんです。彼女の通っていた中学校も見たくて。ママ、突然の話で本当に申し訳ありませんが、明日会えますか?」
「明日の午前中なら開業準備しているから。店にいるわよ。年賀状も持ってきておくわ。」
「ありがとうございますっ!」
先程の中年男性が言った
「お嬢さん、声デカイよ。」




