49. タクシー
マスター・東に深くお礼を言って、穂積怜と店を後にした。今日は貸切営業でマスターも疲れていたはずなのに、真剣に考えて話してくれたことに感銘を受けた。
「タクシー呼んでるから。」
「あ、ありがとうございます。そしてお待たせしました。」
前に一緒に帰った時は土砂降りの雨だった。ボルボなんとかという車のに乗せてもらって、家まで送って貰ったのだった。
今日社長が言っていた「君ら家近いそうじゃないか」って言ったのは、穂積怜が社長に報告したのではないかと勘ぐる。
にしても、どれくらいの近さなんだろう。本当に聞きたい事ばかりだ。
すぐにタクシーがバーの前に停まった。
2人は後部座席に乗り、シートベルトを締める。タクシーは発車した。
「んで、収穫はあった?」
「ありましたよ。言えませんけどね。」
「俺の話を俺が聞いちゃダメなんてルールあったっけ」
「なかったってことは、あったってことなんです。あ、ところで穂積さん。」
「ん?」
「この取材のこと以外で、普通の会話として質問するのはOKですか?例えば、サボテンは好きですか?とか、どんなサボテンが好きですか?とか。」
「サボテン…」
「いや、別にサボテンはいいんです。そういう…どの季節が好きか、とか、どんな音楽を聴くとか、至って普通の健全な質問です。」
「別にいいよ。でも答えたくない時は無視するから。」
それは言われなくてもわかっていた。
「逆に、穂積さんが私に質問してくれてもいいんですよ。私は多分、全部正直に答えますから。」
「じゃ、その名前。百合華って名前の由来は?」
「百合の花のように美しく………って思うでしょ?」
「まあな。」
「ところが違うんです。普段人には公表していない秘密があるんです。」
「どんな。」
「うちの父親はサラリーマンだったんですけど、化石発掘とかのマニアだったんですよ。考古学っていうのかな。」
「うん。」
「それで、実際には行けないからって、発掘用のおもちゃみたいなのをすぐに買ってしまう癖があって。あの繊細な作業がたまらないリフレッシュ法だったそうです。」
「はあ〜」穂積怜が少し笑った
「でね、古代ギリシャ語か何かで、アルキメデスが何かを発見した時に「ユリーカ!!!」って叫んだらしいんです。それで、父も、そのミニチュア発掘玩具で何か見つけると「ユリーカ!!!」っていつも叫んでいたらしいんです。そこからの、百合華…なんです。むしろ当て文字です。」
「まあいいじゃないか、悲劇的な叫び声より。」
「穂積さん、ばかにしてません?」
百合華は穂積怜の名前の由来を聞きたかったが、辞めて正解だった。
優子から聞いた話を思い出したのだ。
「かわいいでしょ!怜って言うの!」
と言いふらしていた若くてけばい母親の姿。
怜の母は生きているのだろうか。なぜ、怜という名前を選んだのだろうか。
本人に聞いてみたいが、できるとしてもそれはまだまだ先の話となるだろう。
「じゃあ、次、私の番です。穂積さんの好きな本は何ですか?」
「ウォーリーを探せ。」
「真面目に答えてください。」
「ジャンル問わず本は何でも読む。織田出版が出しているような雑誌や本もそうだし、カクテルの本や英語の本は最近実用的だったな。小説も読むし、ルポタージュも好きだな。化学や宇宙の本も好きだ。」
「意外と読書家なんですね…」
「意外って失礼だな。」
「今度、よかったら、おすすめの本貸してもらえませんか?丁重に扱うので」
「倉木にはウォーリーを探せを貸すよ。」
「だから…何故ウォーリー…」
「ウォーリーを見つけたらこう叫ぶんだ。『ユリーカ!』」
百合華は笑ってしまった。穂積怜がこんな話をできるとは今まで知らなかった。タクシー代までいただいて、このようなコミュニケーションの機会をもいただいて、社長には感謝ばかりだ。
横に座る穂積怜を見ると、彼の顔も笑っていた。
笑い合えるようになってきた。それがただただ嬉しかった。
穂積怜の横顔に気を取られていたら、彼もこちらの顔を覗き込んできた。
「そんなにミキっていうモデルに似てる?俺には倉木百合華にしか見えないんだけど。」
本当はそう言われたかった。みんなに、百合華自身を見て欲しかった。でもいつもミキちゃんというフィルターがかかっていた。
察していたかのような穂積怜の言葉は、嬉しいという言葉では表しきれなかった。
「ありがとうございます。」
そう言うのが精一杯だった。
そのうちタクシーが百合華のアパートに着き、穂積怜にお礼とおやすみなさいを伝えた。
「おやすみ。」穂積怜も言った。
明日も予定が詰まっている。
タクシーの中での会話で心が弾んでいるが、落ち着いて今日はしっかり眠ろう。
百合華はアパートの部屋で、すぐに眠りに落ちた。




