48. カード4
そしてついに、ちょび髭店長——いや、ここは社長達のようにマスターと呼んだ方が洗練されているか——マスター・東氏と2人きりになった。
穂積怜本人以外で、彼が懇意にしている人間…
・織田社長
・織田優子
・バー・オリオンのマスター・東
彼らには1回のみ、穂積怜のことを直接尋ねても良いというルールになっている。織田夫妻には既に聴取済みだ。残すカードは1枚。マスター・東。
東に聞く事に関して、百合華は相当悩んだ。
以前、「穂積君のことは僕もあまり知らないんだ」というような発言をしたのを覚えているからだ。
それは追求を逃れる為の方便だったのか?それとも本当に知らないのか。
今日まで散々頭を抱えてきた百合華だったが、曖昧な質問だけはやめようと思っていた。東だからこそ知っていることを聞いてみたい。
辿り着いた質問はこれだった。
「マスター。穂積怜さんが、このバー・オリオンに来た経緯を教えて下さい。」
「ひぇっ」マスターは変な声を出したが、すぐに咳払いをして話し始めた。
「知ってることだけ、簡潔に答えさせてもらうね、百合華ちゃん。」
「その前に、ボイスレコーダー使わせてもらっても良いですか?メモも取らせていただきたいのですが…」
「どうぞ、お構いなく。」
百合華はスマホのボイスレコーダーをセットして、ロルバーンのメモを開いた。
「では、お願いします。」
「うん。怜君の生涯を語る訳にはいかないから、ポイントを押さえて話すようにするね。」
マスターは先ほどから自分を鼓舞している。
「元々このバーは、社長の知り合いがオーナーだったの。でも景気が悪くて経営が難しくなって、格安で社長が所有権を得たのよ。社長は出版社の仕事があったから、バー経営のノウハウを知ってる僕に声がかかったの。僕と社長は友達を介して知り合った仲なんだけどね。」
東がビールをサーバーから入れてくれる。きめ細やかな泡がクリームのようだ。
百合華は礼を言って一口飲んだ。
「それで、僕がここのオーナーっていう事になって、出版社の社員さんたちの憩いの場になったおかげもあって、お客様が途切れることはほとんど無かったの。お店は軌道に乗って、人手不足なくらいだった。そんなある日にね。」
東もサーバーから汲んだビールで喉を潤す。
「大雨の日にね。文字通り濡れ鼠みたいな細くて真っ白な青年を担いで店に入ってきたのよ。これくらいの時間だったかな。」
東は続ける
「僕、びっくりしちゃってね。社長が車で事故でも起こして怪我人を連れてきたのかと思って。119番ですか!?って叫んで。
そしたら社長が、『ちがうんだ、こいつは俺の倅のようなものだ。やっと見つけたんだ。こいつにバーテンダーやらせてくれないか?手間かけるが、1から教えてやって欲しい。』『きっと気に食わないやつだと思う、でも諦めないでいてくれる限り、僕も君を諦めない』そう言われたの。」
「社長も額から頬から口から血を流しててね。その、倅って呼ばれてた子もボロボロの服着て傷だらけで。2人とも救急車呼ぶほどじゃなかったけど、社長の奥さんの優子さんをすぐに呼んで、2人を家に連れて帰ってもらったの。」
……それはいつ頃の話なのだろう?聞きたいけどカードは使い切ってしまった。
でも、【青年】っていう表現を使ったから、そこまで若年ではなかったのかな。
「それから、彼はここで働くようになった。覚えは早いし器用だけど、愛想が皆無でね。クレームきたこともあったけど、百合華ちゃん達みたいにファンも多かったわ。さて、これが、穂積怜がバー・オリオンに来た経緯の概要よ。質問は?って聞きたいけどNGNG。」
東はビールをクーっと飲み干した。
百合華もそれに倣って、クーっと飲み干した。
「東さん、とても参考になりました。穂積さんと出会った経緯、きっとこれから先役に立つと思います。本当にありがとうございました。」
「もっとネタはあるんだけどね…ごめんね言えなくて。でもこれからも、取材頑張って!怜君の為にもね。ありがとう、百合華ちゃん。」
マスター・東は目がうるんでいる。
きっとこの人も、穂積怜構成要素の大きな歯車の一部なのだろう。




