44. 理想
翌日。昼休みに入ると屋上庭園に上がった。するとそこには社員の他に、社長夫人の優子も居た。優子は芝生に生えてきている雑草を細かいところまで1つずつ引っこ抜いている様子だ。
「優子さん!」
「あら〜倉木さん。この間はビール、ごちそうさま」
やはりこの人は、とても50代には見えない。社長夫人だから、経済的に余裕があって、エステなどにでも通っているのだろうか?
いや、この人の場合、ナチュラルビューティーな気がする。百合華は何の根拠も無くそう思った。
「手伝わせてください!」
百合華も雑草を抜き始めた。
「あら、ありがとう。でもいいのよ。あなた、手袋もしてないし、それに今からご飯でしょう?」
やはりこの人はナチュラルだ。自然に気遣いができる。百合華と違って、自分のことばかり愛でていない。相手の視点に自分の視点を合わせて、相手の気持ちを汲んでくれる。
例えば百合華だったら、「私は社長夫人よ!」と偉そうにしていたかも知れない。
そんなにすぐには出来ないかも知れないけど、百合華は優子を尊敬できる見本にしたいと思った。
「手は洗えますし、いいですよ。お弁当も案外すぐ食べれますしね。」
その時百合華の中で、早食いの穂積怜の姿が脳裏に浮かんだ。彼なら3分もあれば弁当を平らげそうだ。
暫く雑草抜きを手伝った。優子はグローブに、日焼け止めのアームカバー、帽子にサングラスといったスタイルだったが、百合華はオフィススタイルの薄手の紺色リネンのシャツと白いスラックスといったスタイルだった。
日光は容赦無く百合華を直撃する。額から汗がポタポタ落ちてきた。
「芝生を管理するのって、大変なんですね。」
「大丈夫?汗だくだけど。でも本当、大変よ。他の植物もそう。ちょっと油断するとすぐ枯れちゃう。日光に強い植物でもね。だからこまめに様子を見にきて、水をあげるようにしているの。」
「優子さんのお陰で、多くの社員がここをオアシスと感じているみたいですよ。」
「本当?ならやり甲斐があるわ。ねえ、倉木さん。植物だけじゃない。人間もそう、だと思わない?」
「え?人間も?」
「ええ。そうよ。人間も。ほら、もう手を洗ってきて、お弁当食べなさい。あなたのお友達が不思議そうに見てるわよ。」クスクスと優子は笑って、雑草抜きを再開した。
「優子さん、ユーカリの木はお好きですか?」
「ええ、大の好みよ。」
「今度、小さいけれど、苗持ってきてもいいですか?ユーカリの花言葉は沢山あって、えっとスマホで検索しますね。ああ、これです。」
優子に画面を見せた。
・新生
・再生
・思い出
・追憶
・記憶
・慰め
「私は新生、再生したいです。あとは、穂積さんを想起させます。穂積さんにも新生・再生してもらえるような取材を続けたいです。ユーカリの苗、今度持ってきますね!ではまた!」
「とっても素晴らしい花言葉、教えてくれてありがとうね。またゆっくりお話しましょう。」優子が手を振った。
百合華は手を丹念に洗い、夢子たちのいるベンチに向かった。昼休みは残り15分程度だった。
「お疲れ〜、草むしりしてたの?」
夢子が笑う。
「そうだよー、そういう手入れが大事なんだって。優子さんってやっぱ凄い人だわ。皆食べ終わってるよね?では遅まきながら、いただきます。」
自分で作った弁当は相変わらず美味しかった。
しかし、百合華はゆっくり味わって食べることができなかった。
「ちょっとごめんね。」
と、メンバーから離れ、スマホでバー・オリオンの情報を探す。
開店時間は、PM17時、閉店がAM1時。
電話番号を確認して、バーに電話をかけた。ちょび髭…いや、東さんはいるかな。
なんどか発信音が鳴った後、「はい〜、バー・オリオンでございます〜。」と、ひょうきんな声が聞こえた。東さんだ。
「あ、こんにちは。倉木百合華です。実は東さんに直接お会いして聞きたいことがあるのですが、宜しいでしょうか?」
少しの間があって、東が答えた。
「穂積君から聞いてる。営業時間外ならいつでもOKよ。」
少し東のトーンが下がったのが気になったが、百合華は続けた。
「それじゃあ、今晩のAM1時以降はどうでしょうか。急な話で本当に申し訳ありません。」
「いいのよう、何言ってんの。じゃあ、そのつもりで待ってるからね。」
「本当にありがとうございます。助かります。では失礼します。」
これで、穂積怜から貰ったカードは全て使うことになる。
あとは自分で捜査をしなければならない。
「…獲物に食らいついていけ。」という桑山の言葉が聞こえてきたようだった。




