41. 卒業アルバム
翌日。
バー・オリオンで聞いた衝撃的な話にショックを受けつつも、この穂積怜の取材関係で本業に悪影響は与えたくないと百合華は思っていた。
二日酔いでも、帰宅後にメモ帳を眺めて時系列に出来事を記入していく新しい作業深夜まで没頭していたとしても、編集室では何事も無かったかのように溌剌と仕事をこなす。そして穂積怜のことも特別視しない。仕事上のミスは許されないからだ。
色々気にはなるけど、業務中は調査のことは想像すらすることもやめておこうと百合華は決めた。
その代わり、昼休みや会社帰りは取材のことで頭がいっぱいだった。
勤務中、夢子が近づいてきて「どう?調査はうまくいってる?」と耳打ちしてきた。それに対しても軽く頷くだけにしておいた。
———穂積怜のプライバシーは絶対に死守する。
昼休みになり、百合華は解放された競走馬のように編集室から飛び出し、社長室へと向かった。優子さんから穂積弥生が載っている卒業アルバムを借りるためだ。
「おいおい、走るな。危ないじゃないか。」
ぶつかりそうになった桑山が眉間に皺をよせている。手にはホットのコーヒーを持っていた。幸いこぼれていない。
「すみません!あ、桑山さん、近々時間いただけませんか?話しておきたいことがあるんです。」
「え?ああ、そう、俺はいつでもいいけど?」
「ありがとうございます、じゃあ、今日オリオンでもいいですか?」
「会議があるから7時ごろになるけど、それで良ければ。」
「はい!お待ちしています!」
ぺこりとお礼をして、今度は早歩きで社長室へと向かった。
社長室の黒いドアをノックする。
社長の低い声で「どうぞー」と聞こえる。
百合華はそっとドアを開け、一礼した。顔をあげると、社長室には社長と優子さん2人が百合華を待っていた。2人とも自然な笑顔をたたえている。
「持ってきたよ。」
優しい声でそう言い、デスクに置いてあった卒業アルバムを2つ持ち上げた。
「まあ、座って。」
優子がソファに座るよう誘導する。
百合華の隣に優子が腰掛けた。
優子は膝の上で、小学校時代の卒業アルバムを開いた。
百合華は緊張のあまり汗が止まらない。
「6年3組、ここ。このページね。昨晩も見てたんだけど、懐かしいわ。」
優子が見ていたのは、各学級で1人ずつ撮影された写真の下に名前が書かれたものだ。
「あ、優子さん。」
小学生の優子はすでに美人に出来上がっていた。笑顔がおぼこいが綺麗だ。
「そう、よくわかったわね。じゃあ、問題の弥生を探してみましょう。」
アルバムをぐるりと見回す。
そして、みつけた穂積弥生の名前。
そっと指さすと優子が頷いた。
弥生の顔写真を見て、百合華は息を飲んだ。
弥生は骸骨のように痩せていて、顔には活気が無く、目の下にはクマがあり、少しも微笑んでいなかった。
この日も服を選べなかったのか、襟元がだるだるに緩んだ安そうな黄色いトレーナーを着ていた。
「次のページに集合写真があるから、それは後でゆっくり見てちょうだい。それじゃ、中学編いくわよ。」
優子は小学校の卒業写真を、持参したのであろう紙袋の中にしまった。
そして膝の上の中学校の卒業アルバムを開いた。
「3年C組。これはすぐわかるでしょ?」
すぐにわかった。集合写真のページを開いた瞬間、穂積弥生の姿が目に飛び込んできた。同じクラスの中学生が3段に別れて集合写真におさまっている中、弥生は、ページ右上の丸い枠の中に入っている。
「この時は、もう学校に来てなかった。だけど写真は別の日に撮ってあったみたい。小学校の写真とは別人でしょ?」
「確かに…」
下から睨め付けるような中学生の弥生は髪を金髪に近い茶色に染め、それにくりんくりんにパーマをかけていた。真っ赤な口紅。細い眉。どれも弥生には似合っていなかった。
「凄い変化ですね…人間ってこうも変わるものなんですね…」
横で社長の織田恭太郎が、顎に指を添えてうんうんと頷いている。
色々聞きたいことがまた溢れてきたが、質問は1回のみ。そのカードはもう使ってしまった。穂積怜に嘘はつけない。
優子は中学時代の卒業アルバムも先ほどの紙袋に入れ、取っ手を持って百合華に渡してきた。
「持っておいて。もういらなくなったら返してくれればいいから。」
「ありがとうございます!ありがとうございます!」
百合華の目頭は本当に熱くなっていた。
百合華はその紙袋を大事に胸に抱き
「穂積さんにもバレないよう持ち帰りますね。」と告げて社長室を出た。




