36. カード2-1
「あ!」百合華が叫んだ。周囲の注目が集まる。
「穂積さん!」また叫んだ。
穂積怜はパーテーションの上からこっちを覗いている。本当に面倒くさそうな顔だ。
今度は百合華がパーテーションに近づいた。
いつのまにかパーテーションにアイビーやプミラなど、蔦植物が少しづつパーテーションを緑化する手伝いをしていることに気がついた。きっと優子夫人の案だろう。
「今思ったんですけど…、あ、桑山さん。正樹君も。相沢さんも、佐藤さんも。お揃いで。やっぱりあっちで話しましょうよ」
穂積怜は煙草を消し、無言で付いてきた。
「今度はなんだよ」
苛々を隠しきれずに穂積怜は独りごちた。
「穂積さんは、穂積さん本人・織田社長夫妻・バーの店長に1つずつ質問しても良いと言いましたよね?じゃあ、例えばそこから派生して、他の人に取材するのは許されるんですか?」
「芋づる式に答えを導くってことか?それは自由だ。ただ、俺と親しい織田夫妻達には、質問は1つに控えて欲しい、それだけだ。他の人間になら好きなようにすれば良い。それだけ?」
「はい、それだけです。」
ふう、とため息をついて、穂積怜はまたパーテーションの中へ戻って行った。
「もう一回、お弁当作りましょうか?」と言う想像を何度かした事がある。
でも、あの日の弁当の無様な姿を思い出すと、喉が詰まってしまうのだ。まだまだ心が狭いのかな、百合華は自問した。
夢子たちのベンチに戻り、バンダナを開け、曲げわっぱの蓋をあける。今日も彩りと栄養を考えて作った愛情弁当だ。でもあの事件があって以来、仲間たちは余計なことは言うまい…と、弁当のことを口にすることは無かった。我ながら、今日も弁当は美味しい!
正樹が横からコンビニ弁当の割り箸で、百合華お手製のミートボールを1つ奪った。口にすると「んんんんー、ウマい!」と笑顔で言った。正樹はどんな行動でも許されるチャーミングさがある。まりりんを見ると、少し不穏な表情になっている。結婚も視野に入れているまりりんは、手作り料理を最近始めたらしい。いつか正樹のお弁当も作るんだ、と笑顔で言っていた。大丈夫。正樹はきっと、健気なまりりんのことが好きなんだ。まりりんも、女子会メンバーの宏美みたいに離職してしまうのかな…と思うととてつもなく寂しく思った。
パーテーションの向こうからは、煙草の煙がもくもくと上がっている。
さすがにここまで煙は届かないが、時折風に乗って臭いが漂ってくることもある。
まだ社長夫人の優子に喫煙所不要の件を伝えていない。優子さんも不本意な筈で、そんな中蔦植物を生やして自然に紛らわそうと努力している。そんな優子に直接文句をいうのも気が引けた。
馬鹿にされながらも、穂積怜には質問カードの1を切った。
次はなんとなく、織田夫妻に質問をしてみたい。
織田夫妻はたいがい、勤務後はバー・オリオンでゆっくりしてから帰宅している。
今日もきっと居るだろう。
何を聞くか考えながら、午後の仕事をこなした。
仕事が終わってから、そのままバー・オリオンへ行った。ちょび髭店長が快く迎えてくれる。そういえば百合華はまだこの店長の名前を知らない。
だが、今日はちょび髭ではなく、織田夫妻が百合華のターゲットであった。
社長が気に入っているカウンターの席を見ると、社長は居ない。代わりに優子が座って、新しいバーテンダーと談笑をしている。
優子のところへ行き、夫人とバーテンダー両方に挨拶をした。
「優子さん、あの屋上庭園、物凄く好きです。いつも晴れの日は庭園でお弁当食べています。それにしても、センス良いですよね。」
社交辞令ではなく、普段感じていることをそのまま伝えた。
「あらー、嬉しい。リハビリがてらに頑張った甲斐があったわ!そういう感想聞くと涙が出そう。これから草花がどんどん生長して、グリーンが綺麗になってくると思うから期待してね。ただ、1つだけ気がかりがあるのよ…」
「もしかして、喫煙所ですか?」
「そう!やっぱり迷惑?庭園にも似合わないし、すぐにでも取っ払いたいんだけど、夫も愛煙家だから中々意見を聞いてくれなくて。」
「でも、アイビーとか這わせてて、自然化させようとしているんですよね?」
「良く気づいたね。倉木さん、すごいわ。もうあの無機質なパーテーションを、緑豊かな壁にしちゃおうと思ってね。」優子が笑った。
優子は長い薄茶色の髪にウェーブがかかっている。確か50代半ば位と聞いた事があるが、肌のハリがもっと若く見せる。かわいい、美人、どちらも似合う色気のある女性だ。百合華は優子のことが好きだ。優子の方も倉木を可愛がっている様子だ。
「今日は社長はいらっしゃらないのですか?」
「今日は残業だって。1時間後位には来ると思う。何か用事あった?」
「実は、社長だけじゃなくて優子さんにもご協力頂きたいことがあるんです。簡単な質問なので、お願いできますか?」
「あら、何かしら。楽しみ。良いわよ、じゃあ、夫が合流してからそれ、始める?」
「はい、お願いします。」
織田社長が来るまで、カウンターで優子と雑談をして待っていた。
するとギイイという音がして、社長が入店してきた。
まっしぐらにカウンターに向かってくる。
「いつものね。」バーテンダーに注文し、「倉木さん。どうしたんだい。」初めて百合華の存在に気づいたらしい。
「何か、私たちに協力して欲しいことがあるんだって。何かな!」ワクワクを隠さない優子に、織田恭太郎は笑った。
「協力?そりゃ歓迎だ。どんな手伝いができるのかな?」
織田社長はウィスキー片手に、笑顔で百合華を見ていた。




