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瞳洸(どうこう)  作者: 内山潤
第3章 同僚
25/232

25. 弁当

 弁当のことを考えると良く眠れなかった。そんなこと、人生で初めてだった。百合華はいつもより早い4時半にはベッドを出た。


 失敗は許されない。早めに作って損は無いだろう。


 百合華は、昨日洗って乾かしておいた大きな曲げわっぱの弁当に、甘辛チキン揚げをメインに彩り鮮やかな弁当を仕上げた。そして自分の弁当も、同様のものを配置した。


 ごはんは無駄にしてはいけない。母からの教えだ。弁当を作ってしまった今、それを廃棄したり、あげるのを躊躇するのは、弁当に対して失礼に当たる。



 ————後は、勇気を出してあげるだけだ。



 その日の通勤時、1番仲の良い夢子は気づいた。百合華の鞄がいつもより膨れている。


「何が入ってるの?」


 突然の質問に驚いた百合華は


「ひぇっ?」


 と、おかしな声を出してしまった。


 それから、自分の不安を解放するために夢子に今日のプランを話した。もちろんこのプランは自分で練ったものであり、夢子に何と言われても実行するものだ。


「そっかあ〜。うまく行くといいね。応援してる。」


 夢子は深くつっこまず、茶化すこともなく、真面目にそう答えてくれた。百合華は嬉しかった。



 仕事中は緊張で、仕事用の原稿用紙を握る両手が小刻みに震えていた。そんな姿を誰にも見せたく無い。

 何度も深呼吸をするが、すぐ隣にいる穂積怜の姿が視界に入ってくるたび心臓が高鳴る。もう一層のこと、昼休みが来なければ良いのに…。



 そして昼休み。

 戦略的にタイミングをしっかりと見極めることがこのミッションを成功させる大きな要素だ。

 次に、渡す時のさりげなさ、そして笑顔。何度もシミュレーションした。きっとできる。百合華は自分を鼓舞した。


 階段から、穂積怜と正樹が出てきた。いつもの様に、2人は仲良さげに何かを話している。タイミング、タイミング。


 穂積怜と正樹がそのまま喫煙所に入った。喫煙所から出たら、夢子が正樹を読んでくれる手筈になっている。きっとまりりんも喜ぶだろう。

 その間に声をかける。「穂積さん、良かったらこれ、食べてくれませんか…」笑顔で、そう、さりげなく。直前まで練習を怠らなかった。



 喫煙所から2人が出てきた。

 先日(さげす)まされたコンビニ弁当を食べていた夢子が箸を置き、


「神保くーん、ちょっと来てー。まりりんがプリンあげるって。」


 と声をかけた。

 そんなこと、まりりんは知らなかったらしい。目を白黒させて急に緊張した面持ちになっている。

 正樹は「え!いいんすか?」と、かわいい笑顔で近づいてくる。彼も本当にスペックが高い。身長もあるし、透明感のあるくっきりした顔で、満面の笑みで近づいてくる。それも、小走りで。プリンが大好物なのだろうか。


 夢子がチラっと百合華を見た。「今がチャンス」聞こえた気がした。


 百合華はもう後戻りは出来ない。

 立ち上がり、正樹のように小走りで穂積怜に近く。両手で、白いバンダナで包んだ弁当を抱え、階段から降りようとしている穂積怜の近くまで来た。



「穂積さんっ!」


 百合華が意を決して声をかけた。



「……はい?」


「もし……もし、良かったらなんだけど………コレ、お弁当…お口に合うかわからないけど、どうですか?」


 自分でも何を言っているのか、しどろもどろになっていて良くわからない。シミュレーション通りには行かないものだと百合華は思い知った。



「え?」


 穂積怜も意味がわからなかったらしい。


「これ、お弁当なんです。作ったので…良かったら食べてもらえませんか?」


 今度はちゃんと言えた。


 ここからが、正念場だ。どう出る、穂積怜。目を閉じて弁当を穂積怜に捧げる。


「え?俺、昼は食べないんだけど?」


 穂積怜が言った。これは撃沈のパターンだろうか、百合華は泣きそうになった。


「多分だけど、お昼も食べた方が身体にも良いと思うし、仕事も効率化すると思うんです。残してくれてもいいから、少しずつでも昼食、食べる習慣つけていきませんか?それまで私、毎日、お弁当作るから……」



 ————余計なことまで言ってしまった!


 毎日作るなんて、重い女と思われたんじゃないか?



「なんでそんなことすんの。」


 いつも通りのローテンションで、穂積怜が聞く。


「だから、穂積さんが健康であってほしいから……。」


 しばらくの間があった。




「………曲げわっぱ?」穂積怜が聞いてきた。


「曲げわっぱです。Lサイズです。」


 奇妙なやりとりに、穂積怜がくすっと笑った。百合華は顔をあげて穂積怜を見上げた。穂積怜は紺色のワイシャツに黒いズボンをはいていた。モデルの様に細くて背が高い。そしてあいかわらずの、綺麗な色の瞳。口元が綻んでいる。初めて見た表情だ。



「じゃ、遠慮なく。」


 穂積怜は弁当箱を受け取った。

 そして、階段を降りて行った。屋上庭園では食べないのかな。もしかして恥ずかしいのかな……などと思いながらも、


 自分の頭の中で、大歓声が起こった。


「よくやった!自分!」「成功おめでとう!」「嬉しいね!」


 ————うん、嬉しい…!



 百合華は暫くしてから穂積怜を探した。

 まさか弁当をそのまま捨てたりまではしていないだろうが、口をつけているかどうかまではわからない…。


 階下に降りた穂積怜は自分のデスクに居るか、食堂か、オープンスペースに居るだろう。


 少しだけ時間を置いて、まずは1番近いデスクを覗いた。だがそこに居たのはまだ仕事を続けている桑山だった。他にも同僚たちが編集室でランチタイムを楽しんでいた。


 次に食堂へ行く。食堂は1階にある。だがそこにも居なかった。

 同じ1階にあるオープンスペースも覗いたが、そこも不在。

 またしても手に汗をかいてきた。


 すると、夢子からの着信があった。

「何してるの百合華。」

「え…ちょっと、穂積怜がちゃんと食べてくれているか…」

「食べてるよ。屋上にいる。」

「あれ?あ、ああ、そっか、探している間にすれ違っちゃったんだ…」

「何言ってんのよ。とにかく早く上来なよ。」

 着信は一方的に切られた。夢子らしい。


 夢子は5階までエレベーターで上がり、階段で屋上に入った。


 穂積怜は…どこだろう。

 見回すと、屋上庭園の1番奥、喫煙所の反対側で1人、弁当を食べている穂積怜の姿をキャッチした。


 心の中の最大級のガッツポーズは、他の誰にも見せてはいけない。


 でも【有頂天】という言葉はこういう時に使うのだろう。

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