282. エピローグ
心地良い音が耳に届いてくる…ゆっくりと、リズミカルに。
意識が戻ってくるにつれてその音は少しずつ近づいてきた。
ザザン…ザザン…
百合華が目を開けると、全く知らない場所に来ていた。ブランケットがかかっている。この車は…ボルボ240だ。怜は運転席にいない。
前を見ると、そこには海が広がっていた。とても綺麗とは言い難い。潮の香りが鼻を刺激する。
百合華は寝ぼけた頭で覚えていることを思い出そうとした。ピザを食べてカプチーノを飲んで……ボルボに乗って……そこからほとんど覚えていない。そうだ、宿泊をどうするか聞いたんだ、そして怜は運転を続行すると言っていた気がする…。
百合華は自宅へ戻る一歩手前の、ボルボ240の車内で、緊張からの解放と旅の疲れで一気に脱力してしまったのだ。そして気がつけば今、1人ボルボの助手席で…何をしているのだろう。
海が見え、コンクリートの地面が見える。
小規模な埠頭だろう。広い海の向こう岸にはコンビナートらしきものが小さく点在しているのがかろうじて見える。そのコンビナートの周辺は白んでおり、秒単位で赤く染まっていく。朝6時。怜はどこへ行ったのだろう。
助手席を開け外へ出ると、車の後方から怜が歩いてきた。
「やっと起きたか。」
「すみません、すっかり眠ってしまいました。ここは…?」
「ここ?知らない?」
「埠頭ですよね…でも初めて来ました。」
「それはそうだろうな。」
「……どういうことですか?」
「ここが、俺が来たかった2箇所目。」
「えっ。ここどこなんですか?」
怜は歩いて埠頭の先まで行った。百合華は慌てて追っている時に、気づいてしまった。車、海、埠頭…
「ここは……」
「察した?そう。蓮とももが殺された場所だ。」
「………。」
「今まで一度も来れなかった。」
「そうですよね…。」
「時間的に、花束売ってる花屋が無くて。」
「怜さんの気持ちだけで充分だと思います。」
「ああ。俺もそう思うことにした。」
2人は埠頭の先端で、海を眺めていた。怜が飛び込んだらどうしよう…以前織田社長から聞いた話とシンクロする気持ちだ。
いつの間にか太陽は半分以上上がっていた。今まで見たことのない、真っ赤で大きな太陽だ。一瞬見ただけで残像が残る。
「すごく神々しい太陽ですね。輝く海の光がきれい…」
ですよね?というつもりで怜を見上げた。すると怜も百合華を見ていた。怜の薄いヘーゼル色の瞳は太陽を受けて黄金に輝いていた。憂う瞳は希望も湛えているようにも見える。怜の瞳の力も変わった気がするのは、朝日のせいだけではない気がした。
「怜さん、朝日。目に焼き付けましょうよ、一緒に。」
「ああ。」
2人は秒毎に昇っていく太陽を見つめた。
「目が眩むな。」
2人で笑った。
「じゃあ、朝日を浴びて輝く水面を見ましょうか。」
「きれいだな。あれが1人1人の人生か。」
「え?」
「なんでもない。」
「蓮君と、ももちゃんのご冥福をお祈りします。」
「ありがとう。あいつらとは、ここで一旦お別れすることにした。」
「え?」
「俺は1度、ここで死んだんだ。蓮やももと一緒に。でも1人だけ生き延びた。蓮とももを追い求めて、ずっと死をも追い求めていた。でも今日俺はここへ、もう一度生き延びに来たんだ。蓮とももは俺の心でずっと生きている。俺が本当に、あいつらに会いにいくまでは。」
朝日は完全に丸い形をしてグイグイ空を昇っていく。
怜が百合華の手を握った。
百合華も強く握り返した。涙が出そうだった。
2人は指を絡める形で手を握り合った。
「…さあて、今日も『生きよう』かな。お前のために。」




