271. スーパー
怜が「犯行未遂現場」と呼んだスーパーは、コーポ室井からそれほど離れていなかった。怜は駐車場に車を停めた。
「昔は…確か、【ロープラ21】という名前のスーパーだった。看板とか屋根とか赤かったかな。今は全然違うな。」
現在は【マムート】という、青を基調とした建物に変わっている。怜はすぐに店に入ろうとはせず、煙草に火を点けた。
「俺は500円から始まり、千円、二千円…と、相沢から借金をするようになった。真冬でもシャツ1枚だったから、この間の駅前の古着屋で、処分品のボロボロの服を幾つか買って、あと、雨漏りが酷かったから不法投棄が目立つ場所でブルーシートを見つけて、それを洗って天井に貼るためのガムテープを相沢の金で買った。でも、相沢の母さんにバレて、借りた残額は返したんだ。使った分はいいって相沢は言ってくれた。」
「本当に優しいですね、相沢茜さん。会ってみてよくわかりました。」
「その優しさを逆手にとって俺は…。」
怜は煙草を灰皿で消すと、「行くか」と言ってドアを開けた。スーパーの中に入るらしい。百合華は急いで車を出た。
2人はスーパーに入ると、歩いて回った。
「配置もだいぶ変わってるなあ…照明も随分明るい。LEDだもんな…。前よりずっと広く見える…。まるで別の店だ。ああ、場所が同じだけで別の店か。昔は床もくすんでいて、こんなに沢山の商品は置いてなかった。」
「なあ、倉木」
「はい?」
「お前は普通の家庭で育ったから、誕生日を祝ってもらったりしたんだろう?」
「まあ…そうですね。」
「どんな感じなんだ、誕生日って。友達を沢山呼んでパーティーか?」
「基本的にはそんな感じです。飾り付けがしてあって…ケーキに年齢分のロウソクが立ててあって、電気を消して皆がハッピーバースデーの曲を合唱してくれて、主役の子がロウソクを吹き消すんです。それでプレゼントを渡したりして…」
「小さい頃の思い出としてはインパクトがあって、いいな。」
「怜さんは…そういう余裕は……」
「無かった。もちろん。もものミルク代で精一杯だった。施設に入ってからは誕生日会とかあったけど、小学生時代はロウソクすら手に入らなかった。」
「怜さんは、ももちゃんの誕生日会をきょうだい3人でしようと思ったんですよね。」
「そうだ。もものご飯はもっぱらレトルトの離乳食、幼児食だった。材料から買って調理できれば良かったけど、冷蔵庫も無いし、包丁やまな板すら無い。だったら出来合いのものを買う方が安いと思ったんだ。
ももの1歳の誕生日の頃は、俺たちは厳しい飢えと戦っていた。でもももの誕生日は祝ってやりたかった。」
スーパーを歩きながら、ベビー用品売り場の列で怜は足を止めた。
「本当はプレゼントだって買ってやりたかった。でも盗んだ商品をプレゼントにするのは、何というか…バツが悪いだろ。だからいつも、ギリギリのラインで留まっていた。盗るか、盗らぬか。」
「ずっとその葛藤に勝っていたわけですね。」
「お菓子を目の前にすると、これを蓮にあげたら飛び上がって喜ぶだろうな、と想像する。自分も食べたいと思うと涎が出てくる。お菓子の箱を手に取ったこともある。それでも元に戻していたんだ、あの日までは。」
怜は手を伸ばして、幼児食のシチューを手に取った。
「買いたかった。でも無かったんだ、金が。1つにするつもりだった。でも…気づいたら、山のように袋に詰めていたんだ。意識が朦朧としていた。手が勝手に動くんだ。これで、ももが喜ぶ。俺は何も悪く無い。段々気分がハイになってきて、万能感に支配されていた。」
「そこへ、相沢茜さんが来た…」
「そうだ。相沢は、俺を現実の世界に引き戻してくれたんだ。おれが線をまたいで、悪しき世界から戻ってこれなくなるのを相沢は防いでくれたんだと思ってる。」
「怜さんはそういう考えを持ってたんですね……」
「事情聴取でも俺は何も答えなかった。代わりに相沢が俺を守ろうと必死になってくれていたんだと思う。俺はその時はもう、腑抜けになっていたんだ。何の音も耳に入って来ない。何の感情も動かない。」
「それで、学校に連絡が行って、校長と担任が来て。校長が『家に小さい弟と妹がいるんだろう』と言ったんですよね?」
「そう。そこでハッとしたんだ。そうだ、あいつらを置きっ放しにしているんだった、と。体も頭もうまく動かなかったけど、とぼとぼと家に戻った記憶がある。」
「ももちゃんは、お兄ちゃんが犯罪者になるより、その気持ちを持っててくれたことが、嬉しかったんじゃないかな…。1歳だから何もわからないかも知れないけど、失敗に終えて、大きな一線を超えなかったのは結果的にはももちゃんの為にもなったと思うんです。」
「今ならそう思えなくも無い。でも当時は情けなくて。蓮と作ったビニール袋の風船とかが虚しく転がっていて。俺は一体何をしているんだ…って、泣いて泣いて、泣いたのはその時が初めてだったよ。前にお前が言った通りだ。」




