268. 喫茶店
百合華と怜は石黒宅を出てから喫茶店を探した。怜が「コーヒーを飲みたい」と言ったからだ。
それほど探さなくてもコーヒー専門店は見つかった。景観はレンガ作りで、古くて味わいのある喫茶店だった。
中に入ると、店内は奥へ広がっていた。カウンターを含めて20席ほどあるか無いかだ。百合華と怜は奥にある2人席に着いた。
すぐにウェイトレスが注文を取りに来た。2人ともホットコーヒーを注文した。
怜は煙草に火を点けた。最近は至る所で分煙が進んでいるがここはそうではないらしい。ふと、会社の屋上庭園の一応設置されているパーテーションの分煙コーナーを思い出した。
怜の顔を見ると眉を寄せている。こういう表情をするのは珍しい、と百合華は思った。少々下方に視線を落とし、組んだ足を揺らしている。
やはり石黒宅で、最後に百合華と石黒に畳み掛けられたのが原因だろうか。特に最後の石黒のビンタと心からの言葉には、怜も動揺するに違いない。
すぐにコーヒーが運ばれてきた。早速一口飲んでみると、朝、涼香さんが淹れてくれたネルドリップの方がよっぽろ美味しいと思った。ここのコーヒーは香りが飛んでしまっている。怜はコーヒーに手をつけず、煙草を吸い続けた。
短くなった煙草を灰皿でもみ消し、やっとコーヒーを飲む。
「まずいな。」
店員に聞こえそうで百合華はヒヤヒヤした。
「怜さんもコーヒーの味わかるんですね」
「『も』、って何だ。まるで自分『も』わかるような言い方しやがる。」
怜の口角が少し上がった。
「すみません。私、アイリッシュコーヒー好きなんです。あれはベースはウィスキーですか?」
「そうだ。」
「怜さん、石黒さんと会ってどうでした…」
「あのばあさん、結構パワフルだったな。」
「あの人はあの人で、今日語った内容の後警察に捕まったり、親戚に子ども返して貰えなかったりで不幸続きだったんです。」
「それも、弥生がらみでか?」
「………そうです。」
「あいつと関わると地獄を見るんだな。」
「…………。」
「今、ある人物のことを思い出してたんだ。この間もちらっと話をしたけど、俺が精神科に入ってたときにできた友人、瑛斗。そいつが、『連鎖を断ち切ろう』って言ったんだ。もし瑛斗が今、家庭を築いて幸せに過ごせているところを見ることができたら、励みになるんだけどな。」
「瑛斗さんのことは、わかりません。でも自分がそれを実践して証明すればいいだけじゃないですか?」
「簡単に言うなあ〜」
怜はまた眉をひそめた。
「複雑な事象の中では、案外簡単なことが答えがだったりするんです。オッカムの剃刀ですよ。」
「………。」
「石黒さん、負けたらいかんって言ってましたね。」
「石黒のばあさんは、負けなかったから生きている……」
「怜さん、こんなところで聞くのは場違いだと重々承知の上聞きますが、怜さんの死生観には今、変化がありますか?」
「………正直、わからないんだ。情報や刺激が錯綜していてまとめられないし、感覚としてもわからない。家に帰って息をついたらまた絶望の中死を意識しながら生きていくのかも知れない。そんなことは望んでないけど。今、生きたい!って思うかと言われると、わからないというのが答えだ。」
「正直に言ってくれて、ありがとうございます。」
 




