231. 明美・2
昼食を食べ終え、百合華と怜は明美の計らいに感謝した。
「ところで一つ、聞きたいんですが…」
明美と百合華が談笑しているところに、突然怜がぶっきらぼうに話を割ってきた。
「百合華はここでどんな情報を得たんでしょうか。」
……怜が百合華のことを『百合華』と呼んだ。ごく自然に。初めてなのに。やはり男女の仲に割り切った関係は無いのだろうか…そんな訳無い、怜から恋愛感情を思わせる言動は全くもって無い。しかし怜が『百合華』と呼んだことで、百合華は舞いあがらなかったというと嘘になる。
「話してもいいわ。でもあなたは傷つくことになるかも知れない。」
「構いません。全てに向き合うつもりで俺はここに来たんで。」
怜の返事を聞いて、明美はカウンターの中にある引き出しから、3枚の年賀状を取り出し、怜に渡した。
「ここは以前、のぶ絵というママが経営していて、私はチーママだった。その頃、あなたのお母さん、弥生さんのお店が潰れて暫くうちで働いていたことがあったのよ。」
「ここで……」
「でも、勤務態度はお世辞にも良いとは言えなくて、結局はレジに入っていたお金を全部持ってどこかへ行方をくらませた。」
「……あいつらしいや。」
「くらませた先から届いた年賀状が、その3枚。写真、撮ったの覚えてる?」
「覚えてる…飢えて苦しんでいる中、突然あいつはやってきて、俺たちきょうだいを連れて行くんだ。店では急に優しくなって、新しい服を買ってくれたりして。スタジオみたいなところで写真を撮った。笑ってと何度言われても、俺は笑えなかったのを覚えてる。笑うよりも、怖かったんだ。母親というバケモノが。」
怜は続けた。
————突然連れて行かれたスタジオで、何百もありそうな衣装の中から派手な衣装を選んでいたよ、あいつは。スタジオ行く前に髪を切りに行ったな。普段は髪を切らなかったから…切るとしても自分で切ってたから、プロに切ってもらうのはこういう特別な日だけだった。
俺たちは、弥生の人形になりきった。でも笑って、と写真を撮るスタッフとかに言われても、どうしても笑顔になれなかったんだよ。忘れてしまったんだ、蓮ともも以外の人に笑いかける方法を。
だから無表情の写真ばかりになった。
無表情の写真を見ると、弥生は…あいつは、家で俺を殴った。『あんなに楽しそうにしろって言ったのに何なのこの表情は、この役立たずが。』ってね。
見てわかるように、俺は3枚とも笑顔が作れなかった。笑顔を忘れるって、2人にはよくわからない表現かも知れないけど…とにかく忘れちゃったんだよ。
その後怖い仕打ちが待っているから、笑わなきゃ…って焦るんだけど、表情筋が動かないんだ。
この…3枚目は、あいつが整形した後だな。笑っちゃうよな、偽物の幸せをアピールするために、こいつ1人が満面の笑みでさ、似合っても無いメイクに着物。裏の顔は鬼畜だったのに、この写真見た人は、幸せそうな家族に見えたのかな…。
怜はあ3枚の年賀状をかわるがわる見比べていた。
「蓮は幼過ぎて、この写真撮影の日を少し楽しんでいた気がする。散髪してもらって、束の間の優しい母親に会って、スタジオではスタッフに構ってもらって。ももはまだ何もわかってなかったから、一番幸せだったかも。撮影の後張り倒されてたのは基本、俺だけだったから、その姿を見た蓮はショックを受けただろうし……。」
「写真を撮り終わったら、だいたい、コンビニ弁当を置いてまたどっかに消えてしまうんだ。ほら、だから俺、コンビニ弁当が嫌いなんだよ、前に会社でコンビニ弁当を邪険にしたことがあっただろ?」
「はい、覚えています。」
「いきなり来て、写真撮って、弁当置いて、なけなしの金置いて、それからずっと帰って来ない。それが当たり前の生活だった。この年賀状の写真は、真実を写していない。悔しい。」
「ごめんなさいね、辛いこと思い出させてしまって。」
「いえ、これくらい大丈夫ですから。見せてもらってありがとうございました。」
「きっとこの百合華ちゃんとの旅は、穂積君にとって大きな意味を持つ旅なのね。無事、目的を果たせることを心から祈ってるわ。」
「ありがとうございました。」
百合華と怜は声を合わせて礼を言った。
怜の口から聞く弥生の冷酷さは、他者からの又聞きとは違った逼迫感があった。しかし怜は、過去と向き合うことを拒否しなかった。この旅に対する怜の心意気が伝わった。
百合華は明美に笑顔で手を降って、スナックのぶ絵を後にした。
きっとまたここへは来る。そんな確信をしながら。