219. 織田夫妻. 19
「と、まあこれである程度施設退所後の概要は話せたかな…と思うんだけど、どうだろう、優子、まだ何かあるかい?」
「そうねえ……『怜と夫がオリオンに居るからすぐに来てください』ってマスターから連絡が来た時は、無事でよかった…って、体の力が抜けてしまったわ。
私も怜の行きそうな場所を色々考えて、あの現場を思いついていたの。
最悪の事態が起こっていませんように…願うことしかできない自分が歯がゆかった。嫌なイメージばかり思い浮かんでくるのよ。怜が海に落ちかけていて、夫がその腕を掴んで落ちるかどうかギリギリのシーンとかね…。
時計と電話ばかり見比べて、やっとマスターから電話があって、私の車でバー・オリオンに行ったら傷だらけの2人がいた。特に怜はソファに横になって立ち上がることもできない状態だったから言葉も出なかった。
でもきっと、大きな何かがあったんだろうなって勘がしたの。男同士の、体を張ったコミュニケーションが。
さっき夫も言っていたけど、怜は胎児のような姿勢で横たわっていた。この子、生まれ変わろうとしていたのかなってその時思ったわ。
私が怜に声をかけたら、薄っすらと目を開けた。『帰ろうか。今日のご飯は何がいい?』と言うと、彼は『からあげ…』と言ったの。ボロボロの格好で、からあげが食べたいって言ったのよ?夫もマスターも、私も、くすくすと笑いが止まらなかったわ。そして凄く愛しかった。まるで10代の子どもだった怜を見ているようで、愛しかった。
正直にいうと私は、あの時怜は、【生と死】のはざまで海に向かっていたんだと思うの。タイミングが悪かったら、もしかしたら彼は死を選んだかもしれない。
それでも踏みとどまってくれた。
彼が夫を「父さん」と呼ぶのと同時に私のことも「母さん」と呼んでくれるようになった。照れ臭そうで、いまだに滅多に呼ばないけどね。
それでね、話はちょっと変わるけど、怜は今年38歳じゃない?【節目】の年がまた来たと、私は思っているの。」
「それについてなんですけど…正直に言いますが、怜さんはいまだに、生きるということに執着が無いというか…以前『俺はとっくに死んでる』とか、自分は虚像だ…とか言っていたんです。彼の死生観はまだ負の方向にあると思うんです。
今年が節目なのだとしたら、もしかしたら警戒が必要なのかも知れない……」
「そう………、あなたにそういう話をしたのね。確かに彼の根本は変わらないのかも知れない。誰にも言わないけど、毎日、蓮君やももちゃんのことを追いかけて今日まで過ごしてきたのかも知れない。
私は、怜がもう大人で、ここまで生きてきて、ここまで努力してきたんだから簡単にそれを投げ出さないと信じたい。
それでも、倉木さんの話を聞くと少し心配ね…。」
「すみません……ご心配をかけてしまうようなことを言ってしまって…。」
「ううん、正直に言ってくれてよかった。ありがとう。」
「だからと言って、監視するのも難しいですよね。相手は自立した、立派な大人なんですから。」
「僕から提案があるんだけど、いいかな。」
「何?言ってみて。」
「もし、良かったらでいいんだ。倉木さんに、手伝ってもらいたいことがある。」
「え!私ですか?」
「ああ。君にしかできないと思っているんだ。怜が今、本音をぶつけられるのは君が一番近い存在だと思うから。」
「何を…したら良いのでしょうか」
「倉木さんと怜で、思い出の地を巡る旅をして来るというのはどうだろう?」