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瞳洸(どうこう)  作者: 内山潤
第13章 織田夫妻
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215. 織田夫妻・16

 ————怜の中にもそういう気持ちはあったと思うんだよ。事件から10年が経ったということがね。良くも悪くも、怜を揺さぶっていたと思う。


 教習所に復帰するために、運転席に乗る練習もした。それはそれは時間がかかったよ。それでも、ドアを開けるというステップの頃よりは早かったかな。やっぱり、最初の第一歩がうまく行くと軌道に乗りやすいのかな。そりゃ、人生躓く(つまづ)こともあるけどね。


 怜にとって、運転席より、後部座席の方が大変だった。事件があった時、怜と弟、妹は後部座席に乗っていたからね。

 後部座席の練習中、怜は頭を抱えて、『事件当時の記憶が頭を直撃してくる』だというんだ。フラッシュバックというのかな。

 もうカウンセラーの手も離れていたし、特殊なフォローは無かったから、僕は怜が言うことの意味というか、メカニズムが良くわからなかった。【当時の記憶が直撃してくる】という表現の意味が。


 それから、日常生活でも突然パニックに陥ったり、悪夢にうなされる日々が続いた。練習として後部座席に乗ると、放心状態になって声をかけても反応しないようになってしまったりね。


 これは続けて良いものか、非常に迷ったよ。怜の精神がまた蝕まれていくのではないかという心配があってね。




 ————それでもあの子は頑張った。


 家で話をしていた時に突然、怜が後部座席のことを話し始めたことがあったの。夫も同席していたわ。確か、夜寝る前だったかな。


 事件の日のことを振り返っていたの。自分自身に語るように、滔々と。


「ドライブだと思ったんだ。蓮とももははしゃいでた。俺は、山を見ていた。前に貧困で暮らしていた時にも見た山だった。」


 というようにね。


「あれから随分時間が経ってしまった。」


 とも言ってたわ。


 その話をした頃から、怜は後部座席にも乗れるようになったの。時折気分悪そうにしていたけど。

 普段、もし夫と怜と私で出かける場合は、怜は助手席に乗ればいいんだし、今はこれで充分なんじゃないか…って夫と相談して、怜にもそう尋ねた。怜も、その方が助かる、って言ってたわ。


 それで、再び教習所へ行ったの。幸い、後部座席の試験は無かったから、技能も筆記もすぐにパスした。


 喜びのあまり、夫は新しいオンボロカーを買ったのよ。新しいオンボロ!おかしいよね、倉木さん!はいはい、レトロカー、クラッシックカー。はいはい。


 それが今乗っている…いかつい車なんだけど、免許を取ったお祝いにボルボは怜にプレゼントされたの。

 怜には新車が良いんじゃない?って…何度も私言ったんだけどね、笑っちゃうよね。こんなこと深刻に夫婦で悩んでいたのよ。

 それで、本人に聞いたら、初めて乗れた記念だからボルボの方が良いって言って。夫は何か偉そうにしてたわ。




 ————そりゃ、苦楽を共にした戦友だもんな、ボルボを選んだ怜は正解だったと思う。

 それから怜はだいぶ落ち着いた。僕らを連れてドライブに出たり、派遣や契約社員として続けることができるようになったり。


 そうそう、【にじのゆめ】に連れて行ってくれたこともあるんだよ。1回だけどね。その時理事長が不在で、施設長が慌てて連絡してくれてね。植杉さんは『仕事ほったらかして来ちゃったー!』って、あの調子で来てくれたんだ。植杉さんも全ての事情をご存知の方だ。怜が車を運転して来たことを心から祝福していた。


 家庭でも、会話が増えた。お喋りと言ったら嘘になるが…ああ、倉木さんならわかるか。でも言いたいことは言うようになった。

 喧嘩になることもあったよ。喧嘩というより、最終的には喧嘩の仕方を教えるという形になってしまうんだけどね。

 一緒に酒飲んだり、家庭という形が出来てきた…という実感がやっと湧いてきた頃だよ。10年以上かけて、そんな平穏な日々が僕らのもとにやってきてくれた。


 でもね、倉木さん。まだ話は完結できないんだ。

 豪雨の日だった。台風だったのかな?集中豪雨?忘れたけど、凄い雨だった。そんな日に突然、怜が車に乗ってどこかへ行って、戻らなくなってしまったんだ。


 もう10代や20代前半の子じゃない。彼女でもいるのかな。なんて軽口叩きながらも、時が経つに連れ、僕は胸騒ぎがおさまらなくてね。何か用があるなら必ず言って行ったのに、今日に限って忘れただけなのか…って。優子と2人、オロオロしていたんだ。


 こんな豪雨の日に限って、何で出て行くんだ?って。

 でも怜も大人だ。僕らが心配性が過ぎるのもおかしいだろう。自分達に言い聞かせて、その晩は怜が無事帰ってくるのと、豪雨が止むのを祈りながら、休むことにしたんだ。

 でも、2人とも朝まで眠れなかった。

 朝もまだ、豪雨は続いていて、怜はまだ帰っていなかった。

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