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瞳洸(どうこう)  作者: 内山潤
第13章 織田夫妻
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214. 織田夫妻・15

 その晩も、怜の【車】の話となった。

 カウンセリングルームでモデルカーを操れるようになった怜は、次のステップとして、本物の車に触れるというところから始まった、というくだりだ。


 恭太郎はリビングルームの革製の椅子に、優子と百合華は革のソファに、L字で向き合うかたちで座っていた。それぞれ片手にビールを持っている。


 優子から口を開いた。


 ————昨日話してた頃はね、庭には草木一本も生えていない砂利引きの庭だったの。その頃私たち、公私ともにとても忙しかったし、ガーデニングという気分も余裕も無かったのね。


 もうよくわかったと思うけど、うちの主人はオンボロカー…あ、レトロカーっていうのね。はいはい。そのレトロカーが昔から好きでね。当時も、何だっけ?あ、ボルボね。ボルボ240というやつに乗っていたの。


 当時は、車庫の出口が、砂利引きの庭を向いていたの。わかるかしら。車庫から庭を突っ切って、門扉を出て、小道を出て道路に出るという形だったのよ。建物は南側に建っているイメージ。わかる?


 とりあえず、夫はボルボを砂利引きの庭に出した。怜は既に緊張して汗を隠すので精一杯だったわ。

 実行は夜。出版社の方の仕事も軌道に乗ってきていたから、なかなか時間が取れなくてね。だから、玄関灯を点けて、車のフロントライト点けて。教習所のように、ドアを開けるところからのスタートよ。


 何度も同じ話になってしまうから飛ばすわよ。怜はとにかくドアを開けられなかった。怜が触ると電流でも流れるのかって思うほどに、怜は手をバッと離すのよ。見ている方もびっくりする位に。


 でも何回くらいやった?もう我慢比べだったよね。10回くらい?もう忘れちゃったわね、私たちも。


 そして…初めて、電流が通らなかった日が来たの。怜が車のドアハンドルに手をかけて、数秒時間が止まったの。あの時あの子白いシャツ着てたわ!急に思い出した。

 そう、衝撃の瞬間だったのよ、私たちにとって。でも拍手とかして現実に引き戻しちゃダメだからと思って、私も夫も黙って、冷静を装ってその場を見ていた。


 そしたら、怜、ドアハンドルをガチャって……ああ、やだ。もう最近涙もろくなっちゃってね。思い出すと涙出てきた。やだ、もう。



 ————じゃあ代わりに僕が話していいかい?ティッシュ、はい。好きなだけ泣いてちょうだい。

 さて、そうだ。怜がドアハンドルを開けることができたんだ。最初の一歩というのはすごく大きな一歩なんだよな。本人の成功体験になる。自信につながるんだ。怜は自分でもびっくりしていたよ、ドアがガチャっという重い機械音をならしたら、あとはさほど力を込めずともドアはスムーズに開く。自分が立っているところまでドアを開けて、怜はドアを閉めた。バタンっとね。


 それで、僕と優子の顔見て、低い声で「できた」って言ったんだ。


 たかが車のドアだよ!でも怜にとっては命のかかった車のドアだったんだ!それを初めて自力で乗り越えた。もう感動せずにはいられなかったよ僕も。ああ、僕まで泣きそうだ。


 次の日からはドアの開閉は何度でもできるようになった。朝でも夜でもだ。

 じゃあ、次のステップは車に乗ることだ。


 ひとまず助手席を試そうということになった。僕が運転して、優子と怜を連れてどこかへ行く機会もあるだろうからね。


 ドアを開けて、乗ってみれるかを試してみよう、ということであとは怜のタイミングに任せた。初日はドアの開閉ばかりして身体が動かせなかった。


 雨の日も風の日も、助手席のドアの前で、ドアの開閉をしてはタイミングを計らっていた。僕らは何も口を挟まずに、ただ黙って見ているだけだった。


 1週間ほど経った頃だろうか、怜が意を決して、開けたドアをそのままにして一旦止まったんだ。そこで深く深呼吸をして、助手席に座った。僕は思わず「凄い!」と叫んでしまった。僕の叫び声が悪かったのか、怜は助手席から外へ向かって嘔吐した。優子がすぐに怜を支えて家の中へ帰って行ったよ。僕は反省したなあ。


 でも、次の日も、その次の日も、助手席に座るだけで、嘔吐するんだ。


 念の為袋持たせて助手席の練習をするんだが、毎回吐く。吐いて、出てきてしまう。


 それでもあいつは、その頃…28だ。もう子どもじゃない。大人としての意地を見せたかったんだろうな、嘔吐せずに助手席に乗れるようになったのが、数週間後だ。


 何故28歳だったか覚えているか、教えてあげるよ倉木さん。怜が事件に巻き込まれ、入院し、施設を退所した丁度10年後だったからだ。

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