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瞳洸(どうこう)  作者: 内山潤
第3章 同僚
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18. 暗雲

 怒涛の1ヶ月間だった。プロジェクトの忙しさもさる事ながら、百合華の前には大きな壁が立ちはだかっていた。


 百合華を毎日苛々させる男…その人の名前を百合華は勿論知っている。



 彼の名は……穂積怜。



 百合華のことを大人気モデルのミキちゃんに似ていると相変わらずちやほやしてくれる周囲の人々も、普段おっとりしている百合華が穂積怜に対し酷く感情的になっているのには閉口していた。


 百合華自身、今までだったら気にしていた周囲からの視線も、この1ヶ月はまるで忘れてしまったかのようだった。


 全ては穂積怜のせいだ。



 新しく入った3人は、新人研修として、一通り編集室で行っている業務を数週間体験した。


 編集室で始まったプロジェクトでは、それぞれグループに5,6名のメンバーが割り当てられていた。


 新人達もそれぞれプロジェクトグループに入り見習いとして参加する事となった。


 百合華のメンバーは、乳幼児向けの【地元観光スポットの歴史、昔話(英語版)】を担当していた。女子会メンバーでは夢子が同じグループで、そこには穂積怜も居た。百合華はプロジェクトのリーダーを任された。


 聞くところによると、新人研修までは、穂積怜はいつもの穂積怜だったらしい。


 ところが百合華達が(たずさ)わっているプロジェクトグループに入るや否や、穂積怜の表情に曇りが見られるようになってきた。


 慣れないからかな。難しいのかな。百合華は様々な可能性を考え、プロジェクトリーダーとしてできる事を全面的にバックアップしようと優しく接するよう心がけた。


 穂積怜の表情は日に日に荒模様になり、ある日プロジェクトを(まと)めた冊子をデスクに投げ出した。


 そして



「………くだらない。」


 そう発言したのだ。普通の声で、普通のトーンで。悪びれも無く。


 皆が一生懸命になって、グループ一丸となって進めていくプランを阻む者が居ることに百合華は苛立ちが募った。


 まだプロジェクトが始まって何日も経っていないというのに、こんなにも早く離脱者の気配が出てくるとは。

 百合華のリーダーとしてのスキルを問われる事案だ。決してミスをして自らの評価を下げたく無い。そのためには、穂積怜にも納得して参加してもらいたかったのだ。



 彼が努力家なのは、英語レッスンの件で良く知っている。百合華のリード能力にもかかっているのだ、どうにかして穂積怜の顔を、Mr.Brownellに見せていたような晴天模様に変えて行きたい。


 そう思って最初は我慢して、必死にバックアップしていた。そのつもりだった。


 しかし穂積怜の悪態は日を追うごとに悪化し、プロジェクト自体を馬鹿にするようになった。



「こんな陳腐なもの作って、本気でニーズがあると思ってる訳?ただのゴミにしかならないと思うけど。」


「大体、このプロジェクト内容と、対象年齢がミスマッチだって誰も気づかないのが不思議だね。なんで乳幼児が地元の歴史や昔話に興味持つの?」


「しかも英語版って、冗談きついでしょ。誰が読むの?日本にいるベビーや幼児たちがおかあさんに読んでもらいましょうって?それなら別の本選ぶだろう」



 そんな感じで穂積怜は、皆のモチベーションを日に日にこそぎ落としていった。


 あの寡黙で美しい穂積怜の本性は、こんなにも捻くれた人間だったのか?



 百合華は毎日、穂積怜の悪態に耐えた。耐えて理由を説明した。


 地元の由緒を小さな頃から教わるのは、その意味がその時はわからなくても、きっと財産になると思うっていう、そういうプランニングから私たちのプロジェクトは出来ているんだと、幾度と無く説明した。


 国際化社会で、多民族が暮らす地域であるからこそ、英語での出版もニーズがあると考えられているのだ、と。



 それを穂積怜は鼻で笑い、『勝手にほざいてろ』などと言う。


 百合華はロボットではない。人間だ。感情がある。いくら以前ときめいた男性とはいえ、努力を否定されてばかりだと憤怒(ふんぬ)の感情を抑える蓋がグラグラ揺らいだ。


 そしてある日百合華はキレた。



 ———そんなに嫌なら、やめちまえ!!邪魔なんだよ!



 編集室が静かになった最初の日だ。


 桑山社長も目を丸くした最初の日であった。



 それからも百合華と穂積怜の関係は一向に寄り添う事なく衝突ばかりしていた。他のプロジェクトメンバーに仲裁に入ってもらう程であった。


 疲労と自己嫌悪が飽和状態に達した頃、百合華は桑山に相談する事にした。仕事の後にバー・オリオンでの待ち合わせを取り付けた。


 久しぶりに顔を出したバー・オリオン。前までの癖で、つい穂積怜を探してしまう。しかしそこにいたのは中肉中背の感じの良い店員だった。結局穂積怜はバーテンダーを辞めたらしい。


「わあ久しぶり!心配してたよ百合華ちゃん!忙しかったんでしょう?今日は桑山さんと一緒って聞いてるからちゃんと席取ってるからね。え?誰から聞いたって?桑山さんに決まってるでしょう、もう。あの人はそういうところ、抜け目ないんだから。だからモテるのよ。席はあそこ、カウンターの1番奥ね。」


 ちょび髭店長が感極まったように捲し立てた。

 桑山が予約していたというのは気が悪くない。確かにモテる男の手段なのかも知れない。


 カウンターで待っていると、すぐに桑山は現れた。出版社は基本、服装は自由だが、皆オフィスワークに合うよう気は使っている。

 桑山はいつもスーツだ。しかもスリーピースの。桑山課長も織田社長に負けず劣らずガッチリした体型なので、スーツがとても様になる。


「悪い悪い、待たせたかな。」


 片手を上げて近づいてきた桑山に向かって、百合華は起立をし、いえいえ、と手を降った。


 2人は予約していたカウンターの角の隅の席に座った。

 ここなら、客で混雑してきてもあまり気にならない。


「さて、じゃあとりあえずビールかな。マスター!ビールね。あと適当につまめるものも頼めるかなあ、腹ペコなんだ。」


 にかっと笑う桑山の歯並びは芸能人のように良かった。


「で、今日のトピックは勿論、穂積君のこと、で違いないね?」

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