200. 織田夫妻・2
終業後、桑山が百合華を呼んだ。
「社長がお呼びだ。すぐ来いと。全速力で行って来い。」
「は、はい!!」
「嘘だ。普通に歩け。でも社長がお呼びなのは本当だ。」
「わかりました。ありがとうございます。」
百合華は、もしかしたら植杉から早速連絡があったのかな、と思うと心が弾んだ。しかし、この間の突然の有給について指導されるのかも知れない…と思うと、単純に落ち込んだ。
———君、人の人生に首を突っ込み過ぎじゃないのかい?そろそろ終わりにして、自分の仕事に専念したらどうだい。
社長にそう言われてしまったら、反論の余地がない。百合華は織田出版が大好きだった。ここを解雇される訳にはいかない。
しかし、怜の調査もここまで来た。どうか上手い方に転がります様に……念じながら、社長室のドアをノックした。
「倉木です。」
「どうぞ。」
ドアを開けると、そこには優子も居た。優子を見ると百合華はほっとする。
そういえば、怜の調査で出会った女性…スナックのぶ絵の明美さん、竹内夫妻の涼香さん…皆独特の個性があって、会うと心が癒される。また会いたい、と思わせる、そんな女性たちであった。
優子もそんな独特の魅力のある女性だった。久々に会えて、心から喜びを感じた。
「倉木さん、疲れてない?聞いてるわよ、あちこち飛び回ってるって。」
「慣れない調査……ですが、本当に色んな方が協力してくれるんです。私1人じゃとても解けなかった謎を、フォローしてくれる方に沢山出会いました。繋がりって凄いなあ…って感激しているところです。」
「ここまで君が諦めずに進んできたというのは、怜もそうだろうけど、我々夫婦も驚いているんだ。」
「私自身も驚いています。何度手を引こうと思ったか。何度泣いたかわかりません。でも中途半端で終わらせたくないんです。絶対完遂してみせます。」
「凄い心意気ね。私も見習わなくちゃ。」
「いえ、私は優子さんからも沢山学ばせてもらっています。庭園の美しさを保つ苦労は計り知れません。いつも屋上に行くとリフレッシュできて、助かっています。ありがとうございます。あっ、先日のユーカリ、もう根が定着したみたいですね。少し生長した気がします。」
「そうね。土に根を張り、栄養を吸収して、太陽を浴びてどんどん大きくなる。それが穂積怜君にはできなかった。でも…あ、ユーカリの花言葉、なんだっけ。メモしたんだけど。」
「新生・再生・思い出・追憶・記憶・慰め…だったと思います。」
「よく覚えてるわね。そうそう。それよ。その花言葉を思い出す度に、倉木さんと怜の顔が頭をよぎるわ。きっと縁あって、ユーカリを選んだのね。」
「元々花言葉は知らなかったのですが、後で調べたらそういうことで…。でもこの花言葉、私と穂積さんのテーマであるというのは私もずっと思っていました。」
「ところで、倉木さん。」
社長が話を変えようとしている。百合華の背中に緊張が走った。
「怜自身から、施設退所後の話を倉木さんにしても良いという話がでた。植杉さんからも電話があってね、倉木さんに退所後の怜の話をしてやってくれという話だったんだ。」
「……そうです、どちらも、私の方からお願いしたことなんです。社長、大変不躾なお願いですが、どうか教えていただけないでしょうか。」
「でも退所後と簡単に言っても、20年間の時の流れがある。説明するにしても、それなりの時間が必要となってくるんだ。」
「社長にご迷惑をかけたくないという気持ちは当然持っています。社長にご負担が無いように、少しずつでも教えていただけると嬉しいのですが…。」
「私は乗り気よ?倉木さん。私は話す。」
優子は百合華の目を見て言った。
「僕だって、乗り気じゃない訳じゃない。ただ、時間がかかることを覚悟して欲しい。ある程度簡略化することもね。それで良かったら……話がひと段落つくまで、うちに泊まらないか?無理にとは言わない。ただ、怜が使っていた部屋が余っているんだよ。」
「嫌だったら嫌って言ってね。でも、もしうちに泊まれば、話せる時間はうんと増えるわ。週末だって、朝から晩まで話し放題。どう?」
「…も、もし、ご夫妻がそれを許してくださるのなら、是非…!」
「歓迎するよ。」
社長が笑った。
「良かった。断られるかと思って今日1日そわそわしていたの。」
「ありがとうございます。生活費は教えていただければお支払いします。」
「そういう細かいことはいいの。怜なんてそんなこと一度も気遣ったことないわ。」
「では、お言葉に甘えさせていただきます。」
「ああ、嬉しいね。あの空き部屋がまた誰かに使ってもらえるとは。」
織田恭太郎は空を見て、感慨に耽っていた。
「たまにはオリオンで飲みながらはなしましょ、ね。」
優子夫人が言った。
「はい!是非!」