195. 植杉
「それで、その後どうなったんですか!?織田夫婦のところへ引き取られて、それから……」
聞きながら百合華のロルバーンのメモ帳は涙でグシャグシャになってしまっていた。文字の判別は難しい。
「教えてください……植杉さん。」
「これ以上、倉木さんを泣かせるのは心苦しいなあ〜」
植杉はコーヒーを飲み干した。
「何か知っていることがあれば…少しでも…。」
「実は、怜が退所して織田夫妻に彼をお願いしてから、そこまで密に織田夫妻と連絡を取り合ったりはしなかったんだ。お互い信頼していたからね。」
「では、植杉さんは退所後のことは、ほとんどご存知無い…。」
「いやあ、ある程度は把握しているよ。でもそれは僕が話すことじゃない気がするんだ。僕がいた、にじのゆめを退所した後の話だからね。」
植杉はあくまでも笑顔で話をする。
「でも……わたくしごとで恐縮なのですが、織田社長…織田夫婦にはこれ以上質問ができないというルールなんです…そういうルールの元、穂積さんに調査を許可されたので。」
「あははは!ルールがあったのか。でも怜が、自分の過去を誰かに知られることを拒まなかったのは最近で一番の驚きだったなあ。」
「彼は、過去についてあまり触れられたくなかった筈ですよね、内容が内容ですから…。」
百合華は涙でグシャグシャになった頬を手の甲で拭う。
「そうだと思うよ。何故許可したんだろうね。それも、怜のみぞ知る、かな。」
「まだまだ謎が沢山あります…でもここで行き詰まってしまったら…。」
「わかりました。わかりましたよ倉木さん。実現するかどうかはわからないけどね、僕は今回、協力をオファーされた側だ。その見返りを求めてみますよ、織田夫妻に。変な話だけどね、はははは。それでどうかな?」
「人に頼ってばかりで…自分で調査するって決めたのに結局誰かのお陰で次に繋がることができて…自分が情けないです。でも、もし植杉さんがそれをしてくださるのなら、私はとっても、助かります。」
「人と人って、繋がってなんぼじゃない?倉木さんだって、最初は僕と織田さんが繋がっていることなんて予想もしていなかったんじゃない?」
「正直言ってそうです。驚きが隠しきれません…。」
「ほら、ティッシュ。出すの遅くなってごめんね、使ってね。」
「ありがとうございます。」
怜が、心中事件に巻き込まれて大事な弟と妹を失っていただなんて。ショックを通り越してリアクションが取れなかった。
しかし百合華に1つの疑問が浮き上がった。
「植杉さん、最後にいいですか?」
「本当に最後ですか?」
植杉は笑っている。
「はい、最後の1つです。私は、今まで五谷をメインに調査をしていました。五谷は事件の起こった西脇市からさほど遠くはなれていません。なのに五谷の人から、心中事件のことは1度も無かったんです。
親子心中と言ったらセンセーショナルで、ニュースにもなると思うのですが、インタビューした人の誰1人として心中のことには触れませんでした。確かに『喋りたく無い』という人は1人いらっしゃったのですが…。
不思議なんです。何故、そこまで有名な事件になっていないのかが…。」
「倉木さん、良い質問だね。でも答えは君も知っている。」
「……え?」
「事件が起きた年は、国際的なバイオテロで日本もパニックに陥っていた真っ只中だったんだよ。」
「…1997国際バイオテロ事件。」
「そうだ。新聞やニュースが報じたのはそればかりだったんだよ。週刊誌が少しだけ事件のことに触れたくらいだった。」
「なるほど…わかりました。」
百合華はグシャグシャのメモ帳にテロ事件、と記入した。
「さて倉木さん、もう17時だ。話もちょうどキリの良い所まで来たし、そろそろ帰った方がいいんじゃないかい?明日は仕事でしょ?」
「確かにそうですね。植杉さんにとってもお辛い体験をお話して下さって、ありがとうございました。」
「明日、出勤したら怜に会うんだよね?」
「はい。」
「今度来てよって伝えてくれる?中々来てくれないんだ。できれば倉木さんと2人で来てもらいたいなあ〜」
植杉は戯けた顔で笑っていた。