139. 植杉・6
「お母さんの元に戻すためには、手順があります。」
と職員がいくら説得しても、
「返せ!私の子だ!返せ!」
と叫ぶようになっちゃってね。
近所からもクレーム入っちゃう位、大きな声で叫び回るんだよ、園の周りをグルグル回りながら。「泥棒ー!」とか「誘拐だー!」とか…「この施設は詐欺だ!」とか、よく思いつくなあというような罵詈雑言をね、1日中繰り返すわけ。
でも本当に、うちから親の元に帰る為には手順があったんだ。親子生活訓練と言って、家庭に帰るまでの準備を親子でする部屋があってね。慎重に時間をかけて、一般的な生活ができるように家族としての機能が回復するまで僕ら職員も協力しながら過ごすんだ。
勿論、親御さんには泊まってもらって、少しずつ泊まる日にちを増やしていくんだよ。
これを疎かにすると元の木阿弥だから、長い時間、場合によっては数年はかけて進めていく。
親が「返せ!」と言ったから簡単に返す訳にはいかないんだ。
それに、彼女は酷い仕打ちを子ども達にしていた事実があるんだから。慎重にならないとならなかった。
でも怜たちのお母さんには、何度も説明した、けど叫ぶばかりで話にならない。
声を聞いて、穂積きょうだいも情緒不安定になっていた。恐怖と不安で、また喋れなくなってしまった。
とても会わせることが出来ない状態だったんだけど、数ヶ月間突然消えたんだよ、その母親が。毎日の怒声が無くなって、皆ホッとした。
そしたらある日インターフォンが鳴ってね、「1番偉い人とお話があります。」って落ち着いた声で女の人が来て。そうだよ、怜たちの母さんだよ。
僕は偉くは無いけど、責任者だから対応した。そしたら、今までのことを猛省していて。声まで変わっていたんだよ。
「今まで申し訳ございませんでした。今日はお詫びの品をお持ちしました。」
と言うんだ。
もちろん、お断りしたんだけど、次の日も次の日も、申し訳ありませんでした。反省しております。もうしません。できることからさせてください。と、丁寧な口調で言うんだ。
職員で会議して、また豹変して叫び出す前に、1度面会をしてみるのはどうかという意見が出てね。もちろん怜たちには会わせない、見ることも無いようにきちんと保護した上で、面談室…つまり、ここに母親を入れて職員が話を聞いてみるということになったんだ。職員は全員が警戒態勢でね。
それで、その旨を、怜たちの母さんに打診したんだ。今すぐ怜君達には会えないが、職員と今後のことを少しずつ相談していきませんか?と。
母さんは
「それだけでありがたいです。ありがとうございます。ありがとうございます。」
とインターフォン越しに泣き出して。
かくして、彼女の前の門は開かれたんだ。初めて見る施設を見て目を輝かせていたよ。見た目は落ち着いた感じだったよ。その時はね。化粧も最低限って感じで。腰も低くて、言葉も丁寧だった。
僕らは、その母さんの担当をする職員を1人決めて、その人が継続して話を聞くことにしたんだ。担当者がコロコロ変わっていたら、母さんも説明しづらいだろうからね。そしてその職員が1人で抱え込まないように、定期的に会議を開くことにしていた。職員全体でフォローする、という形で進めることにしたんだ。
まだ面会段階だったけど、あれだけ悪態をついていた母親が急変するなんておかしいでしょう?だから、基本的には疑ってかかるという作戦でいこう、という話になった。
担当する職員は、田沼さんというベテランの女性職員だった。経験豊富で、笑顔しか見せないような明るい人だ。同時にメリハリがあって、厳しい目で人を見抜くこともできる。情で流されることは無いタイプだったから、厚い信頼性が寄せられている人だった。子ども達からもとても好かれていたなあ。
田沼さんはもう定年退職されて、今はいないんだけどね。
母さん……あ、弥生さんっていう名前は知ってるよね?じゃあ、弥生さんって呼ぶよ。弥生さんは熱心に面会を求めた。最初は2日に1度は来たいと言っていたんだけど、週1回にしましょう、と田沼さんは提案したんだ。それでも文句は言わず、
「ではそれでお願いします。」
と言っていたそうだよ。
週に1回、うちに通うようになった弥生さんだけどね、職員は毎回ハラハラだった。いつ豹変するかわからないからね。怜たち穂積きょうだいは勿論のこと、他の子ども達の安全も強化したんだ。でも杞憂に終わった。彼女は毎週、落ち着いて話ができていた。
今までの生活の失敗点を反省し、今後の計画を考えてアピールしていた。経済的にも今は安定した事務職を見つけたから大丈夫だと、就業証明書まで持ってきた。カウンセリングにも通っており、怒りのコントロール法を学んだり、自分の悩みなどを聞いてもらっていると語っていたそうだ。
でも、それを聞くだけでおいそれと怜たちを返す訳にはいかない。最低1年以上は面会を続けることにしたんだ。