134. 植杉
児童養護施設【にじのゆめ】理事長…植杉誠。
昼間に天気を気にしていた男が、まさか理事長だったとは。
正門の両脇はレンガブロックになっており、右脇に【社会福祉法人 綾谷福祉事業会】と書いてあるプレートが設置されている。
以前思ったことであったが、【にじのゆめ】以外にも手広く福祉関係を扱っているのであろう。それらを統括する責任者と思われるのが、目の前にいる60代半ば位の無精髭殿、植杉であると言うのだ。
そこらへんのスタッフを捕まえて…などと安易な考えをしていた百合華にとって、話を聞く相手が理事長だという事実に頭が混乱した。
しばらくするとそれが非常に幸運なことだということに気づいた。もしかしたら、どのスタッフよりも怜のことを知っているのかも知れない。
「では、早速中へ。もう門閉めちゃうからね。」
敷地内に入ると、暗闇でよくは見えなかったが、小さな子どもからある程度成長した子ども達がすくすくと育つ環境であることが伺えた。室内から子どもたちの元気な声が聞こえる。
目についたのは乳幼児のための遊ぶエリア。芝生に砂場、小さな遊具が沢山あって、昼間はちびっこたちが元気に遊ぶのであろう。
以前、施設のことをネットで調べていた時に、写真も少しだけ載っていた。それを参考にここまで来たが、想像よりはるかに大きな敷地であった。建物それぞれがとても大きい。
そして、明かりで照らされている部屋の内部も、明るくてとても綺麗だ。
「ここはね、実は5年ほど前に内部と庭の一部を改装したんだよ。」
なるほど、それで建物内部は新築のように綺麗なのか。
「さ、さささ、こちらへ。」
理事長という肩書きが似合わない位、剽軽な話し方をする。
植杉と百合華は部屋に入った。
なんとなく木の香りがする。見回すと、壁も床も、柱も、高い天井も、総無垢材の木造りだ。温かみがある明るい空間で、大窓があちこちに設置されている。
「ここが面談室ね。この奥が事務室になっているよ。」
面談室に置いてあった机も木製で、細長く丸い形であった。角が無い。柱も丸いし、全体的に丸みを持たせることがモチーフだったのであろうか。
「さあ、倉木さん。椅子に座って。どう?ここお洒落でしょ?」
植杉はニコニコ笑って百合華聞いた。
「はい、お店みたいですね。すごく落ち着きます。」
「ちょっとさ、担当の者に僕が倉木さんと話すこと伝えて来るから待っててくれる?」
「はい。」
植杉は事務室の内線電話で話をしている。
「上原君?ああ、僕だ。今から面談入るから、そっち宜しく。はい。はい。」
「今の上原君というのが、ここの施設長をしている人だよ。これがまた面白いやつでね。」
余程面白いのだろうか、植杉の笑顔が輝いている。
電話をした数分後、女性のスタッフが1名面談室にお茶を持って来て、百合華と植杉の前に置いて、「ごゆっくり」と笑顔で挨拶して帰って行った。
「お気遣いいただいて、すみません。」
「いやいや。リラックスしてくださいな。」
「ずっと福祉のお仕事を続けていらっしゃるのですか?」
「そうだね。大学の頃から社会福祉や児童福祉に興味があって、実践してみたかったから。福祉街道一直線。」
そういって植杉は自分の前で手を一直線に伸ばした。
「そうなんですね。素晴らしい…。私は小さな出版社で働いています。」
「出版社?いいじゃない。どんな仕事してるの?」
「日本向けの雑誌や本——基本的にローカルの穴場スポットを紹介するというのがうちの出版社の仕事なのですが——それを外国の方も楽しめるように、翻訳したり、電話対応でご案内するような仕事をしています。」
「へえ〜、海外の人向けにねえ。確かに現代はグローバリズムが進んでいるから、日本も人種のるつぼとなってきているもんね。英語以外の言語も扱っているの?」
「はい、専門の者が、中国語やスペイン語、ペルシャ語など、様々な言語を扱っています。」
「へえ!そりゃ凄い。」
「やりがいのあるお仕事です。」
「それで、あなたは穂積怜のことを聞きたいとおっしゃっていたけど、怜とはどういう関係で?」
「同僚です。しかもデスクが隣なんですよ。」
「ははは!そうかそうか!そりゃ結構近い関係だね。でもデスクが隣なだけなら、そんながむしゃらに怜のこと調べたりしないよね?」
「そうですね。」
百合華は以前、怜との会話後、『鬱陶しい、ナルシスト、クズ、人の気持ちなんて全くわかっていない』と言われたことを話した。
「私は気づかないうちに、怜さんを傷つけていたみたいなんです。でも、それが何なのかがわからない。何かもわからないで謝罪しても、表面的なものでしかありません。だから、怜さんのことを知りたい、と強く思ったんです。それを怜さんも承諾してくれました。
それから、ナルシストでクズと呼ばれた私自身、自分をしっかりと見直して磨きをかけ、本当の意味で魅力のある人間に成長したいと思いました。
それで、2週間前から週末は五谷メインで調査をしていました。」
「ほう、五谷で。怜の生まれ育った場所だね。」
「はい。それから、ここへたどり着いたところです。」
「やっとここまで来てくれましたか。」
植杉は笑顔で、出された茶をゆっくり飲んだ。