13. 別れ
皆でバー・オリオンを外へ出ると、土砂降りの雨だった。先ほどよりも酷くなっている。風も強く、折り畳み傘も役立ちそうに無い。
「いやあ…すごいなあ〜嵐じゃないですか〜」
間延びした悠長な声で、ちょび髭店長は肩を落とした。
「マスターと、Mr.Brownellは、東駅だったよね?僕そっち方面だから車で送るよ。」
社長はマスターとMr.Brownell に合図を送り、
「車はすぐそこの駐車場に停めてある。そこまでは駆け足で頼むよ。ああ、倉木さん。さっきはタクシーと言っていたけど、怜に送ってもらいなさい。君たちは西方面だろう?」
「ちょ、ちょっと待ってください社長!お会計もさせてもらっていませんし、私はタクシーで大丈夫です。」
「何言っているんだ倉木さん、今日のは当然おごりだよ。むしろタクシーの方が金がかかるんじゃないのか?悪いことは言わないから。怜に送ってもらいなさい。いいね?倉木さん。いいね?怜。」
穂積怜を見上げると、暴風で巻き上がった髪を掻きながら戸惑った雰囲気を出していた。
「いえそんな、送ってもらうだなんて」
「いいよ。」
穂積怜が言った。
「乗れよ。駐車場は社長と同じだ。そこまでは駆けろ。」
人生で何度目の、穂積怜との会話になるのだろう。
…と言ってもどうせ2、3度だろうが。
—————でも、穂積怜の車で送ってもらうなんて。
期待すらしていなかった。今日はサプライズが多すぎて、酔いが回っているのもあって、倒れてしまいそうだ。百合華は髪を抑えながらめまいを覚えた。
「じゃあ、そういうことでな。怜、倉木さんを頼んだぞ。駐車場へ走ろう。ほら、すぐそこの駐車場だ、見えるだろう?」
"Wait!" (待って!)
突然穂積怜が叫んだ。
"Bye, Mr.Brownell..we'll see each other someday soon, right?" (またね、ミスター・ブロウネル。また会えるよね?)
"Rei, I'll miss you. But we sure will see each other again. Keep learning, ok? And take care of yourself. "
(怜、寂しくなるよ。でもまた必ず会える。勉強し続けるんだよ?自分を大事にするんだ。)
"Thank you, Mr Brownell. You take care of yourself, too."
(ありがとう、ミスター・ブロウネル。あなたも体に気をつけて。)
穂積怜とMr. Brownellはそこで固い握手をして、軽く肩と肩をぶつけてさようならの挨拶をした。
半年間毎日1時間。それはきっと百合華には想像出来ない程の信頼関係ができていたのだろう。師弟関係はここで一旦の幕を閉じる。
髪が大きく揺さぶられていて、穂積怜の目は見ることができなかったが、少し涙ぐんでいたのかも知れない。
穂積怜の人間らしいところが見ることができた一瞬でもあった。
「Mr.Brownell。私からも感謝の気持ちを伝えさせてくれ。また皆で会おう。美味しい焼肉をごちそうするよ。」
社長もそこで、Mr.Brownellと握手を交わした。社長のことだ。きっと駅前で別れを言う時にもっと深い感謝の意を述べるのだろう。
「アリガトウ、シャチョウさん。マタアイマショウ。」
Mr.Brownellは片言の日本語で返していた。美しいブラウンの巻き髪が風に揺れている。
「じゃあ今日はお開きだ。週明けを楽しみにしているよ。」
ははは、と笑いながら、社長と、ちょび髭マスターと、Mr.Brownellはバーの反対側にある駐車場へと向かい道路を渡って行った。
それに続くように穂積怜も道路を渡った。
…私に何の掛け声も無く。
平常運転だ。段々穂積怜の対応を自然に受け入れられるようになってきた自分の柔軟性に、またプライドが上がった。