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瞳洸(どうこう)  作者: 内山潤
第8章 再調査
116/232

116. 石黒宅・4

 ———あたしゃね、ただ普通のチーママ、年増と言われてもいいから普通のチーママとして働きたかったんだよ。


 スナックが【よっちゃん】だった頃から、ママの頼子は粗暴でね。客がいないとなると悲鳴をあげながらあたしのことを(ののし)るんだ。人が言われたくないことを見つけては、いちいち傷つけてくるんだよ。


 そんな頼子も顔中痣だらけで接客することもあってね。ああ、これは家で旦那にやられてんだねって思ったよ。客には酒で酔って倒れてテーブルに顔ぶつけたとか言い訳してたけどさ。バレバレの嘘さ。

 そんな日は酷かったね。自分の()さをさ、全部あたしにぶつけてくるんだよ。ガラスの灰皿投げられたり、カラオケのマイクのコードで首絞められたり、本当、殺されるかって思ったよ。鬼だった。


 でもそこ辞めたら、子どもら食わせられねえから、辞めれなかった。金貯めて、自分の店持つのが夢だったんだ。


 頼子の旦那の達雄も似たもん夫婦さ。あいつは昼間っから酒飲んで、不味(まず)いとかいってその酒の入ったコップをあたしに投げつけてくるんだよ。

 それでもあたしゃ、『すみませんお客様、すぐ作り直します』って、酒でびしょ濡れになりながら片付けるんだ。客には笑われるわ、頼子には笑われるわ、達雄には『はよせい』って、蹴られるわでねえ。

 なーんでこんな目に遭わにゃならんのかって、わからんかった。けど水商売はそういうものだって、自分に言い聞かせてたんだよ。

 こういう経験を積んで、立派なママになるんだ…ってね。


 頼子には弥生って娘がいたろ?小学校のいつ頃か忘れたけど、ボロいアパートから引っ越してきたんだよ、店の裏に狭くて薄汚い部屋こさえてさ。

 この弥生が小学生のころから冷酷非道なケダモノだったんだよ。それも人に見つからないように悪さをする天才だったんだ。


 あたしのことを、虫以下の存在だと思ってたんだよ、小学生の頃からね。まあ、あの両親の子で、しかも虐待受けてたから、同情はしたんだけどさ。子どもってもっと、純粋だと思ってたよ。

 でもあの子は違ったね。誰もいないスナックであたしが留守番してたら、あの子が無表情で来るんだよ。それで眺めるんだ、血を。ガラスの灰皿であたしの頭を殴って、そこから溢れ出る血を眺めてるんだ。


 あたしゃ弥生には「おばちゃん」って呼ばれてたんだけど、『おばちゃん、手出して』って可愛い声でねだるように言うんだよ。小学生らしく何かプレゼントでもくれるのかと思って、手を出したんだ。そしたら『テーブルに手を置いてくれないとあげない。』って言うんだ。言われた通りにした瞬間、アイスピックで(てのひら)刺されて貫通したんだ。


 亡霊みたいな顔して、やることは下衆(げす)だったよ、弥生は。両親にされたことの憂さをあたしで晴らす。頼子が旦那にされた鬱憤をあたしで晴らすのと同じさ。あたしゃいわゆる…、そう、サンドバッグだったんだ。


 色々あったけど省くよ。

 それでもあたしゃ【よっちゃん】を辞めなかったよ。金の為にって涙流してさ。


 そしたら突然、頼子が死んじまったんだ。

 死因は、心臓発作かなんかだったよ。


 でも弥生がスナック継いで、まともに働き出したんだよ。掃除なんかもピカピカにしてね。それなりに客も来てた。


 でもいきなり外国の客に夢中になり始めたんだよ。頼子と同じで生粋の淫婦だった弥生は、そのうち外国人客との店の奥の畳部屋で売春行為みたいなのを始めたんだよ。最初は金取ってたのに、そのうち取らなくなった。もう外国人中毒さ。それでできたのが怜ちゃんだってのは知ってんだろ?


 子どもが子ども産んで、最初はかわいいかわいいって面倒見てたんだ。でも数ヶ月で、飽きてポイッさ。あたしに全部押し付けて、店番もさせてさ。


 弥生は客のご機嫌取りのために、怜ちゃんをサーカスの見世物みたいに足持って逆さまにしたり、振り回したり、扱いがあまりにもであたしゃ止めたんだよ。そんなんじゃ怜ちゃん死んじゃうって。それでも大丈夫大丈夫ってさ。


 そのうち弥生の実の父親、達雄がどっか蒸発しちまって、弥生と怜ちゃん2人になった。そしたら、銀行手帳が出てきて、頼子の貯金が結構あったらしいんだよ。

 それ貸すから、そこの……つまり今あたしらがいるここだよ、ここの空き店舗借りなよって弥生の提案があってさ。

 そこで自分がママしたらいいって。


 棚からぼたもちっていうのかねえ。あたしゃその話にすっかり酔っちまって、やっと夢が叶ったって、弥生に初めて感謝したんだよ。

 店を新しくして、カラオケ置いて、酒も揃えて、暫く順調にやってたんだ。大福屋の周造さんが来てた頃さ。


 最初は弥生も、おばちゃん、すごいすごいって言ってたんだけど、そのうち風向きが変わってきたんだよ。弥生がスナックを売春宿に変えたがってきたのさ。

 あたしゃ当然猛反対したさ。やっと念願のスナックが出来たのにって。そしたらしょうがない、って最初は弥生、諦めたんだ。


 ちょうどその頃、弥生が惚れ込んでた外国人の彼氏か何かが、弥生が持ってた貯金やらレジの金やら、全部持ってとんずらしちまったんだよ。

 弥生と寝食ともにしてたのはその外人だけだったから、そいつに間違いなかったんだ。


 なのに、犯人扱いされたのは、このあたしさ。

 どうやっても犯行は成立しないのに、弥生はあたしがやったって言い張るんだよ。そんで最終的には、売春宿で金稼いで返すか、警察行くかどっちか選べって言うんだ。


 警察行ったら子どもらが路頭に迷う。それに弥生に何されっかわかんねえ。その頃も複雑な事情があって、頼れる親戚も家族もあたしにゃいなかったんだ。


 仕方なく、いわゆる風俗店に変更したんだ。

 そこらじゅうの若者スカウトするのもあたしの仕事でね。あたしも必死だったから、若い女の子は商品にしか見えなかった。結局弥生の思惑通りになってたのさ。

 金が入ったらそれはほとんどが弥生に流れる。

 隠したら殺されるから、あたしが貰えたのは売り上げのほんの数割さ。


 その間怜ちゃんはどうしてたかっていうと、弥生の店はもう回らなくなって結局客も来なくなって潰れちまった。

 そしてある日弥生と怜ちゃんはどっかに消えちまった。突然だよ。


 こんどは弥生が有り金全部持ってとんずらだよ。あたしゃ警察のお縄を頂戴して、1年半の懲役と100万の罰金。

 さすがの事態に親戚がかけつけて、子どもらは預かってもらえて100万も立て替えて貰ったけど、懲役は免れられないだろ。1年半とはいえきつかったよ、ほんとにさ。


 そっから、親戚に子どもら返して貰えなくなっちまって、息子が死んだことと娘が結婚したことだけ聞いた。


 弥生が金持ってどこ行ったのかはわかんねえけど、きっとあれだろ、金髪のお兄ちゃんが沢山いるところ行って遊びまくってたんじゃねえのかい。



 石黒の話はそこで終わった。


 おいおいおいと、石黒は泣き始めた。

 気がつくと百合華は石黒を抱きしめていた。


「ずっと、お独りだったんですね…。社会が、人間が憎くて、それでもやっぱり、独りが怖くて、だから今泣いていらっしゃるんですね…。」


 石黒がうんうんと頷く。


「石黒さん、私の名前と電話番号、改めて書いておきます。何かあったら連絡してください。不安なことや異変などがあったら、遠慮せず電話してください。救急の時は119してくださいね。でもそれ以外は、福祉に繋ぐとか、私にできることがあればお手伝いしますから。その為にもここの住所と石黒さんのフルネームお伺いしておいてもいいですか?」


「あんたのばあさんに、なっちまった気分だよ。石黒恵子、住所は五谷市………」


「毎晩寝ると悪夢を見てねえ…よく眠れねえで、昼間、昼寝してんだわ。それでもさ、今夜はあんたのお陰で良く眠れるかも知れねえよ。」


 石黒の両目の下にはまだくっきりと涙の跡がある。


「良く眠れるよう、願っておきます。石黒さん、今日はご理解ご協力、心から感謝いたします。」


「たいしたもんだね、あんた。そこに咲く花のように元気でいるんだよ。いいね。わかったら帰った帰った。2度と来るんじゃないよ。」


「現金持ってきたら、入れてもらえます?」

 百合華が悪戯で言った。


「そりゃあすぐ番茶でも出すさ。」

 黒茶色の歯を見せて、カカカッと石黒は笑った。


「では失礼します。お体には充分、気をつけて…」


 そういうと百合華は石黒宅のドアを閉めた。



 閉塞感のあるこの場所で、一筋の光を見た気がした。全てを閉ざしていた石黒が、明日からは雨戸を開けて堂々と花に水やりをしてくれると良いな、と百合華は思った。


 心を閉ざすといえば、怜もそうだ。怜の調査もできればして帰りたい。

 時計は既に15時を指していた。石黒の家であまりにも濃厚な話を聞いていた為、時間感覚も空腹感も麻痺していた。


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