110. 太陽3回目
吉田不動産と飯島夫妻のところで思いの外時間を使ったため、外はすでに暗くなりかけていた。時計を見ると19時前だった。
混んでるだろうな…と思いながらも、考えられずにはいられなかった。
【ハンバーグ専門店・太陽】だ。
車を走らせ、太陽の前にいると確かに客で混み合っている。ひょっとしたら待ち時間があるかも知れない、とは思ったものの、コック帽を被り、バンダナを首に巻いた竹内文彦と、その手伝いをしている妻、涼香の姿を見ると、すごすごと立ち去る気にはなれなかった。
店内に入ると、カランコロンというベルの音がした。
「らっしゃ〜い」
文彦の声が響く。こちらを見て、満面の笑顔を見せてくれたのは文彦だけではない。涼香もだった。
「ごめんなさい、混雑していて今席がテーブルしか空いてないの。窓際の、あのテーブルなんだけど、いい?」
「はい、もちろんです。」
「じゃあ、注文が決まったら教えてね。」
「はい。」
ハンバーグ・太陽のハンバーグを食べるのはこれで3度目だ。お世辞ではなく本当に美味しい。常連さんでなんとかなっているとか何とか以前文彦が言っていた気がするが、この美味しさならリピーターが増えるのも当たり前だろう。良い肉を使っているのは味でわかるが、良心的な価格で提供してくれているのも竹内夫妻の性格を物語っている。
今晩は、【国産おいしいチーズハンバーグ】を頼むことにした。きっと溶けたチーズが肉汁たっぷりのやわらかなハンバーグと素晴らしいハーモニーを奏でるのであろう。食べる前から想像できた。
涼子さんに向かって手をあげ、注文をした。
「百合華さん、もしよかったら今日うちに泊まらない?」
注文をメモしながら涼香が言った。
「えっ、でもそんな、悪いですよ」
「一旦帰ってまた明日も来るつもりでしょう?大変じゃない。ゆっくり話もしたいし…」
涼香が小声で耳打ちした
「私ので良かったら、新品の肌着も一式あるから。」
「考えておいて。」
涼香は笑顔を残し、注文を夫に告げた。
文彦は「あいよ〜」と逞しい声で返事をしている。
確かに今晩一度帰って、また明日早朝に家を出るより泊めてもらったら数倍楽だ。しかし迷惑じゃないだろうか。
あとで、文彦に確認をして、涼香にももう一度聞いてみよう。
【国産おいしいチーズハンバーグ】は予想を遥かに超える美味しさだった。他の客も幸せそうに舌鼓を打っている。
このハンバーグは、【愛】でできているんだ。
【愛】という言葉で、ふと思い出した。
飯島夫妻が言っていたのだ。
———虐待の連鎖を止める鍵は【愛】なんじゃないかな…
弥生も怜も愛に飢えていた。飢えていた以上の愛を注ぐことができたら、怜も厭世的な生き方から脱することができるのだろうか。
【愛】。それは抽象的な概念で、定義することは難しい。
しかし百合華はその【愛】を、怜に示すことができるのなら、できる限りのことはしたいと心から思った。
営業時間の22時半を過ぎて、やっと文彦と涼香とゆっくり話すことができた。すると突然文彦が、
「百合華ちゃんさえいいなら、泊まってけよ!」
元気な声で百合華に声をかけた。あれ、この間まで倉木さんと呼ばれていたような…まあ、いいか。きっと涼香さんの影響を受けたに違いない。
「じゃあ、本当にご迷惑でなければ、甘えさせていただいていいですか?」
「遠慮なんかすんなって!旅館じゃないからおもてなしはできねえけどな!」
はっはっは、と笑いながら文彦は着替えに行った。
涼香が
「本当に遠慮しなくていいから。狭い部屋だけど、ゆっくり休んでね。」
と言ってくれた。
「ありがとうございます。本当に助かります。」
五谷は気の良い人が多い。今一番困っているのは…石黒さん。スナック弥生跡の近くに住む老婆だけだ。