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瞳洸(どうこう)  作者: 内山潤
第8章 再調査
108/232

108. 飯島夫妻

 飯島夫妻は客間に百合華を通してくれた。玄関を入ってすぐ右手にあった。小さなテーブルと、それを挟む形で深緑色の布張り座椅子が4脚あった。


「どうぞ、座って。今お茶入れますからね。」


「あ、いえ、本当にお構いなく。」


 百合華の声を聞かず、夫人はお茶を作りに行った。

 客間に沈黙が訪れる。夫人が来るまではしゃしゃり出ないでおこうと百合華は思ったので、沈鬱な静けさに耐えた。

 そこに夫人が現れ、それぞれの前に茶を置いた。


 手土産を忘れたことを心底恥じた。ここで「つまらないものですが…」と出せればもう少しは好感触であったかも知れないのに。急ぐあまり大事なことを忘れてしまったのだ。礼儀は守らなければ信用に影響が出てくる。


「遠い所からいらっしゃったの?」


 夫人が聞く。


「いえ、県内です。西脇というところです。」


「ああ、聞いたことあるわ。ねえ、あなた。」


「ん?うん…。」


「私は出版社で編集の仕事をしておりますが、今回お邪魔したことと仕事内容は関係ありません。今私がここで対面させていただいているのは、完全に個人的な理由からです。」


 百合華は、怜との出会いから、お弁当のトラブル、怜に本心でお詫びをしたいこと、自分のおこがましさに自らきちんと気づき、生まれ直したいことなどを洗いざらい話し、そのために怜の人生を本人の許可のもと調査している旨を説明した。


 調査する上で色んな人と繋がり、色んな情報を得てきたため、弥生と怜の関係はある程度理解していることも話した。


「その、穂積怜君とは恋人同士なのかね。」


 最初に聞かれたのは、怜との関係であった。


「いいえ。彼は自分の周りに高くて強い壁を作っています。その壁を這い上がって、彼自身の傷から流れて止まらない血を止め、傷を癒してあげたい、そう思って動いています。」


「そこまでするということは、好いとるってこと、じゃろ?」


 夫はそこで初めて笑顔を見せた。


「……はい。多分そうなんだと思います。」


 1つの誠意のつもりで百合華の本音を伝えた。


「どうする、真由子(まゆこ)。」


「私は良いわ。あとは正三(しょうぞう)さんが決めてちょうだい。」


「ここまで来て、帰ってくれとは言えんだろう。」


「私もそう思うわ。悪い子には見えないし。」


 これ程悩んで、話すことを決めようとしてくれている夫妻の前で、ジャーナリスト気取りでメモを取るのはいやだと百合華は思った。話してもらったことは全て頭にインプットする。そのための集中力を高めた。


「自己紹介からしようか、君何と言ったかな。」


「倉木百合華と言います。宜しくお願いいたします。」


「そうか、そうか。わしは、飯島正三。」


「飯島真由子です。」


「宜しくお願いします。早速ですが、このマンションが建設される前の、コーポ時代にお隣に住んでおられたと聞いております。」


「よく調べとるねえ、その通りだよ。昔ながらの古いコーポで慎ましく暮らしていたんだ。我々はね。ところが隣さんはどんちゃん騒ぎでねえ。」


「若いご両親だったと思うわ。ご主人はちょっと年齢不詳なところもあったけど。20〜30前後だったかしら。ご主人は達雄さんと言ったかしら。それと、奥さんが頼子さんよ。スナックよっちゃんのママ。知ってるかしら?」


「はい、大体は知っています。どうぞ続けてください。」



「その若いご夫婦が、私たちの隣の部屋に引っ越して来てから、風神雷神が引っ越してきたかのように毎日、毎晩、気を休めることができない位、彼らは暴れまわっていたの。」


「今でいう…なんちゅうのかな、夫が妻をバシッと…」


「DVですかね、ドメスティックバイオレンス」


「そうか、そういうのか。毎日だよ。怒鳴り声と、殴る鈍い音。悲鳴。男の罵声。よくまあ、毎日そこまで争えると思ったよ。」


「部屋もね、ドンドン殴ったり蹴ったりで、時々バキッて音がして、うちに貫通するんじゃないかって…ねえ。」


「奥さんの方もね、発狂したような声だして…いつもは怒鳴り散らしている旦那さんの方が、包丁はやめろバカヤローだなんて叫んだりしてね。」


「派手な格好したにいちゃんとねえちゃんでねえ、挨拶しても返さねえ。にいちゃんはちょっと筋者に見えたがね。」


「マナーとか、常識が無い人たちだったの。お酒のんだ瓶や缶、ベランダから外に投げるのよ。人に当てようとしていたり。とにかく、騒がしくて怖かったわ。


 ギャーとか、ワーッとか、ガラスがバリンバリン割れる音とか。私たちが住んでいたコーポは空室が無かったから、誰かが苦情入れて警察が来たこともあったのよ。やだ。今でもあの悲鳴が蘇るわ。」



 飯島夫妻は今まで溜め込んできたものを一気に吐き出すように、堰を切ったように話し続けた。



「それで、話を続けさせてもらうけどね。毎日毎晩騒がしかった夫妻がいっときだけ静かになったの。その2ヶ月後くらいから前の騒がしさに戻ってしまったんですけどね。


 そしたらある日、奥さんが新生児抱っこしていたのよ。私たち、隣の奥さんが妊娠してるだなんて全く知らなかったからびっくりして。


 妊娠中にあんな酷いドメスティックなんたらを受けて、大丈夫だったのかしら…って心配になったわ。でも本人たちはケロッとしたものよ。赤ちゃんがうまれてからもギャーギャーワーワー。あまりに口が悪かったので、私は今ここで言うの控えますけどね……とにかく口が汚かったわ。」

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