1話 異世界
「──様! 大丈夫ですか若様! 」
誰かが俺の事を揺さぶっている。
目を開くと着物を着た銀髪の女の子がこちらを覗き込んでいた。
「目をお覚ましになったのですね」
女の子は胸に手を置きホッと息をつく。誰かはわからないがだいぶ心配してくれたらしい。
しかしおかしい。俺に娘がいた記憶は無い。
状況を確認しよう。まず俺。女の子に膝枕されてる。すごい柔らかくて気持ちいい。ここは天国か?
そして現在地。草原だな。そよ風が気持ち良い。それと向こうに城みたいなものが見える。石造りで西洋の城。
次、俺を膝枕してくれているこの子。何? やっぱり俺死んだの? 一体どれだけの対価を払えばこうなる? いやそうじゃないこの子誰だ?
俺の事を相当心配してくれたらしいが知らないものは知らない。
ここは失礼のないように聞いてみるに限る。
見てろよ! 俺の社会の荒波で鍛えられた会話スキルを!
「えっと、どちら様で? 」
「え……? 」
「え? 」
女の子は一瞬キョトンとした顔をする。その時、既に俺の直感が不穏な空気を感知していた。しかし「あ、これやばいわ」そう思う頃にはもう手遅れ。
少女はみるみるうちに涙ぐみ始める。
「わ、若様。雪のことお忘れになってしまったのですか……? 」
ボロボロと大粒の涙が彼女の目から溢れ落ちていく。
いかん! このままではヤバイ! 男として! そして社会的にも!
「嘘だって! 大丈夫! 雪ちゃんだよねー!? ちゃんと覚えてるよ! うん! 雪ちゃん! 」
「うう、若様。意地悪しないでください」
そう言って涙を拭い、再び笑顔を見せる少女。
(よかったぁぁぁ! ほんっっっとうによかったぁぁぁ! )
初めて会った子を泣かすとかどんな最低野郎だよ……。
とりあえずいつまでも膝枕されてるわけにもいかないのでゆっくりと立ち上がる。
「お、お手伝いします! 」
立ち上がろうとする俺に雪は腰を支え立つのを補助してくれる。くれるのはいいのだが……。
なんだろう。彼女にとって俺はおじいちゃんみたいな扱いなのかな? それはそれで傷つく。
ひとまず雪の事は置いておこう。
俺は今まで何していた? まず元上司にヘッドバッドして……いやそこじゃない。家に帰ってアンノウンを起動させた。
アンノウンとは、ある海外の会社が発売したゲームで人に存在する精神を電子世界に送りこむ──みたいな売り文句で世界で人気のゲームだ。仕組みなんて知らん。
昔ならわかったのだろうが少なくとも俺はその世界からは既に離脱している。
話を戻そう。
その後どうなった? 一応持ってる全てのコンテンツは体験したがこんなものは無かった。
ゲームをアップデートしたのが原因?
いやまずアンノウン自体が?
一番の問題は時間だ。アンノウンは電子世界と外の世界は同じ時間軸だったはず。故に時間帯は夜でないとおかしい。
だが今は太陽が真上に来ている。完全に昼の時間帯だ。
ゲーム内で眠った? ならゲームが強制終了されるはず。
「若様? 雪には難しい事は分かりませんが雪に出来る事なら手伝わせてください」
考え事をする俺に助けになろうと手伝いを申し出る雪。
「もしかして口に出てた? 」
「いえ、何やら難しい顔をされておられたので」
他人の表情を読み気遣いができる。なんていい子なのだろう。嫁に欲しい。
「むぅ」
雪が唸り声に似た、曇った声を出す。
何かに感づいたのだろうか。雪が俺を庇うように前に出る。
「若様。お下がりください。囲まれています」
「囲まれている? 」
周りに意識を向けると確かにいろんな所からギッギッという雑巾を絞るような音が聞こえる。
「どうやら雪が前に町で耳にした ごぶりん という輩らしいですね」
ゴブリン? 漫画でよく出てくるゴブリンの事か?
「安心してください。若様に刀を抜かせる事はありません」
雪は袖元から扇子を取り出し片手でスナップをきかせ勢いよく開く。
「 刀? 」
コツンと左手に何か当たる。
刀。赤い鞘の。
抜かなくても分かる。これは正真正銘本物の刀だ。
いざ意識するとズッシリと重さを感じる。
そういえば着ている服もめんどくさがって着替えずにいたリクルートスーツではなく和風の作務衣みたいなものだ。
「若様……来ます! 」
背の高い草むらから一匹。体格は小学生くらいの怪人が二人に飛びかかってくる。
「邪魔 」
雪がふっと息を吹きかける。
一瞬。
息を吹きかけられたゴブリンは全身を霜に包まれ動きが止まる。
瞬く間に石作りの不細工な剣を振り上げたゴブリンの氷像が完成した。
ここらで俺はついていけない。何が起こったのかさっぱりだ。
雪はほんの少し氷像を扇子で仰ぐ。
すると手首が落ち、腕が落ち、頭が落ち、最後には身体がバラバラに砕け散った。
「あれ? もう少しいたと思うのですが……」
確かにさっきまでそこかしこで鳴り響いていた雑巾を絞ったような音はさっぱり消えている。
雪は出した時とは逆に両手で丁寧に扇子をたたみ袖にしまう。
「どうやら去ったみたいですね。……それにしても」
「それにしても? 」
「ああいえ、あまりにもあっけなかったなぁと。確かにあまり妖気を感じませんでしたし、雪自身も若様や馬骨様ほどでは無いにしても屋敷では強い方だと自負しておりますがここまでとは……」
少し頬を赤らめ恥ずかしそうに語る雪。
どうやら自分で自分を 強い と言うのが少し恥ずかしいらしい。
「そういえば、さ」
「はい。なんでしょう? 」
「雪はなんで俺の事そんな慕ってくれるの? 」
「それはもちろん。若様が雪達を創ってくれたからです」
「俺が創った? 」
「はい。雪達は数年前、若様達によって生み出されました」
若様達……? 数年前って事は1〜9年前ってところか。
「若様を慕っているのは雪だけではありませんよ? 馬骨様や酒呑様、鎌様。皆、若様の事を慕っております」
馬骨、酒呑、鎌、そして雪。確かにどれも聞き覚えのある名前だ。
口元に手を当て9年前までの記憶を全て掘り起こす。若様「達」をつけるって事は複数人。同僚と何かやった記憶は無いから昔入ってたゲーム制作同好会? だとすると俺が制作に参加したゲーム三つがヒント。
「吸血城襲来」「勇者戦記」「百鬼夜行」
「百鬼夜行……? 」
ついボソッと口に出てしまう。
「そうです! それです! 私達は確かにそう呼ばれていました! 」
随分小さな声だったと思うのだが近くにいた雪には聞こえたのだろう。
雪が嬉しそうな顔で子供のようにはしゃぐ。
まぁ、見た目中学生くらいなのだが。
謎が解けここまでくると俺の記憶も鮮明になってくる。
昔、大学で入っていたゲーム制作同好会の思い出。楽しかった事。夜中まで馬鹿騒ぎしていた事。細かいキャラ設定で喧嘩した事。
「確かに創った記憶がある……。だんだん思い出してきたぞ! 」
百鬼夜行。同好会のみんなが最後に創った作品。一人の武士が妖怪達を倒し進んでいくシンプルなアクションRPGなのだがシンプルが故に難易度が高すぎて結局、売れなかったし同好会の中でさえクリア出来たのは二人だけの失敗作だったはずだ。
これでひとまず慕われている理由はわかった。
だが最後にこの問題が残る。
「ここどこ? 」
結局考えても考えても分からなかった。
夢かと思ってほっぺをつねったら普通に痛かったので夢どころか電子世界でも無い。
アップデートで仕様が変わったという可能性も考えたが、それはもうシステムではなく部品から変更しなければいけないレベルだ。
「やっぱ機械工学を数年かじっただけじゃわからんな」
気づいたら周りもすっかり暗くなっている。
「若様。もう遅いです。そろそろ屋敷に帰りましょう」
雪が左手をこちらに差し出す。もしかして握れということか?
自分としては可憐な女の子の手をおっさんの油めいた手で握るのに抵抗があるのだが下手に断ってまた泣いてしまわれても困る。
せめてもと手のひらを袖で念入りに拭き、そっと雪の手を掴む。
とても柔らかい。そしてそれ以上に冷たい。
そういえばこの子は雪女として創ったんだっけ。雪女だから雪……。そのままかよ! こんなことになるならもうちょっと可愛い名前をつけてあげればよかったなぁ。
「ところでなんで雪は俺の事を若様って呼ぶの? 俺なんてどう見てもおっさんだと思うんだけど」
一瞬「ヤバイか? 」と思ったが雪の振り返りざまの笑顔を見てそれは杞憂だと知る。
「雪がそう呼びたいのです。若様はずっと若様です。たとえとても久しぶりに再会し成長されておられても雪にとっては若様なのです」
なんだかよくわからないがとても強い意志があるらしい。少し、ほんのすこーしだけ恥ずかしい気持ちもあったりなかったりするのだが。
俺の手を掴みゆっくりと歩いていく雪。
そこには少し色っぽさもあったし自分達が手がけたキャラに出会うということに何か嬉しい気持ちもあった。わからない事をいつまでも考えていても仕方ない。最初は戸惑ったがたとえこの世界が俺の見ている夢だとしてももう少し楽しんでやろう。
読んでいただきありがとうございます!