偽物の『相談』
「先輩………、いきなり呼び出しなんかして、申し訳ありません」
晴天の空の下、学校のアスファルトの屋上の上で向き合っている年若い男女。
先程少年へと話し掛けた少女は、まだ小さな方で、14歳くらいだろうか。
風が吹き抜け、少女のショートカットで、両方から一房だけ垂れている髪がサラサラと揺れる。
小柄な容姿で、向き合っている男子に優しげに、そして、少し悪戯っぽく微笑む儚げな少女。
「ああ、ちょうど僕も君に相談したい……ような事があるんだ」
「もしかして、恋の相談とかですか? 勿論、先輩の相談なら、どんなものにも乗りますよ? だって、先輩は私のお兄ちゃんの友達ですし、なにより、桃太郎は正義の味方ですから、いつでも誰でも助けるんです」
元気よさげに、ニッコリと微笑み、腕の袖を括った少女。
緑川 桃は、僕にそう告げたのだった。
*******
一時間ほど前の事。
「じゃあ、放課後、僕が二年生の教室に行って、偽物を屋上に呼び出す。その後、屋上に隠れている月姫が、偽物に飛びかかるっていう計画でいいな?」
「ラジャー」
「了解です」
月姫と桃ちゃんに校門の前で計画を再確認する。
ちなみに、桃ちゃんは偽物に制服を取られているそうだから、月姫の私服で。
そして、月姫は制服、僕も制服だ。
僕にとっては、三連休明けとでも言うべきだろうか。
何故なら、僕は昨日、学校を休んだから。いや、休ませられたからと言うべきだろう。
僕が起きた時には、既に月姫が学校に仮病の連絡をしていた後だった。
おかげで、皆勤賞は取れそうにない。
「あっ、ただ、桃ちゃんは僕達が学校に行っている間、どうする?」
「わ、たし、は………、もし許されるのなら……、ハジュハジュさんに、付いて行きたいと思います」
桃ちゃんは、目を瞑り、自分の心の奥底を静かに見通すように深呼吸を繰り返した。
そして、目を開けた桃ちゃんの目には、確かな、そして決して揺るぐことの決意が明確に感じられた。
桃ちゃんなりに、この2日間でなにか、心境の変化があったのだろう。
その変化は、確実に桃ちゃんを強くしている。
「分かった。じゃあ、桃ちゃんは今日1日僕に付いてくるとして、月姫とは、放課後落ち合うことにしよう」
「了解です、兄貴!」
そうして僕と月姫、桃ちゃんの戦いが始まったのだった。
*******
「おう、ハジュハジュ、もう大丈夫なのか?」
教室に入った途端、相変わらずの呑気な顔でさっそく緑川が寄ってきた。
びくりっ、と、一瞬桃ちゃんが横で震える。
動揺しているのだろう。
もう、何日も話していない実の兄なのだ。桃ちゃんとしても気まずいし、今だって、何をできるでもない。
ただ、それでも、緑川は偽物が存在している事で、桃ちゃんがいなかった事に気付いていない分、桃ちゃんは自分のことを兄に忘れさられたように感じて、大きなショックを受けている可能性が高い。
「それにしても、お前が道端に落ちてたドングリを拾って腹下して、下痢になったなんて、なんか拍子抜けだよな」
「はあ!?」
「先生から伝えられた時は、クラス中大爆笑だったよ」
月姫の奴……!! 何勝手に人の事を下痢にしてくれてんだよ!?
仮病の理由にしても、もっと良い理由があっただろうが!?
なんか教室に入った途端、微妙に生暖かいような感じの視線を受てると思ったら、アイツのせいだったのか……!
じゃあ、これからは、相手と目を見て話す時は、微妙に生暖かい目で見られながら相手と話すことになるのか?
…………気まずっ!
「あっ、そういえば、今日の放課後なんだけど、時間あるか?」
緑川が突然に切り出した。
いつもの店で、また宿題を見せてほしいとか言うのだろうか。
いつもならOKだが、今日は偽物を捕まえなければならない。
だが、流石に、お前の妹が偽物に取って代わられたから、偽物を捕まえてくるとは言えないし、適当に言って誤魔化すか。
「いや、今日はあいにく時間が………」
「桃の奴がな、放課後お前に会いたいんだって」
「「えっ…」」
桃ちゃんと僕の声が重なる。
まさか、偽物の方から呼び出しが掛かるとは思いもしなかった。
普通に考えて………罠、なのか?
いや、でも、偽物は僕達が本物の桃ちゃんを保護しているとは知らないはずなんだ。
そうなると、狙いは別のところにある、のか? だが、相手はドッペルゲンガーみたいな超自然的生物、つまり、化け物だぞ? むしろ僕達が桃ちゃんを保護していると知らない可能性の方が少ない気もする。
い、行くのか? でも、やっぱり危険は犯せない。
ただ、それを好戦的すぎる月姫に話したところで無理だろう。
「……分かった。 その子に、行くって、そう伝えといてくれ」
「うぇっ? あ、ああ………、いや、お前、桃のこと、前は桃ちゃんって、呼んでなかったか?」
緑川が少し、戸惑ったように聞いてくる。
「前は」もなにも、今だって、桃ちゃんは桃ちゃんだ。
僕は、桃ちゃん以外を桃ちゃんと呼ぶつもりはないし、これからも桃ちゃんであるのは桃ちゃんだけだ。
それに、偽物を桃ちゃんと呼ぶことだけは、絶対にしたくない、という、僕の思いの表れでもある。
「まあ、別にいいけどさ、その………、あんな愚妹だけど、嫌いにはなってくるるなよ?」
「当たり前だろ。 お前が引くくらいには、僕は桃ちゃんが好きなんだからな(親友として)」
「「…………っ」」
緑川と桃ちゃんが元から似ている顔を、同じようにあんぐりと開けて、固まっている。
あれ? 僕、なんかまずいこと言ったか?(本人無自覚)
微妙にここら辺の空気が固まった気がした。
「It is like, and is it not love?
I mean is it sane? Is this a dream?
That reminds me as for the front, the peach Midorikawa……」
緑川が壊れた。
えっ、僕は緑川を壊してしまうぐらいのことを無意識に言っていたのか?(*緑川はブラコンです)
しかも、流暢な英語すぎて、苦手科目が英語と数学な僕には、まったく理解出来ないのだが。
桃ちゃんならなんと言っているのか分かるのだろうか?
もしかすると、大切なことを口走っているかも知れないし、桃ちゃんに聞いて…………、
「馬鹿兄! それ以上喋ったら、『存在』が戻った瞬間、また包丁でぶっさして、全治6ヶ月の怪我を負わせてやるからな……!!
あと、馬鹿兄の初恋の相手の名前を書いたメールを、この学校全体に回るように、私の友達全員、けしかけてやるーー!!」
ーーー桃ちゃんが叫びながら、手で頭をかきむしっている。
おふ。
どうやら、壊れたのは緑川だけではなかったようだ。
兄弟揃って壊れるなんて、僕は一体どんな言葉を言ってしまったんだ?
特に、桃ちゃんの病状がヒドいし、もう、病院に行ったほうがいいんじゃ………。
いやいや、今の桃ちゃんは姿が見えないんだから、『存在』を取り戻してからにしないと。
とにかく、あらゆる意味で桃ちゃんのために早く『存在』を取り戻さないと!
「あ、その………、緑川、僕、もう行くな………?」
「Does the peach reach a bride at last, too?
What has happened to this world?」
訳わからない事を口走ったままの緑川を、そっとその場に放置して、桃ちゃんを連れて月姫の教室に向かった。
桃ちゃんは今だに俯きながら、ぶつぶつと「あの愚兄……、ぶっ殺してやる」などと、危険極まりない言葉を呟いているが、もう僕にはどうしようもない。
完全に目がにイっている。
思わず、お巡りさん、コイツです!というあれをやってみたくなるくらいには、今の桃ちゃんは危険な雰囲気を醸し出していた。
ふう………。
緑川には、『存在』を取り戻した桃ちゃんに酷い目にあってもらうしかないか。
「なっ……! ひ、ひどい! あんまりじゃねえですか! 一体、誰が桃ちゃんにこんな酷い事を……!!」
とは、半分鬱になっている桃ちゃんの状態を見た月姫の第一声だった。
犯人は主に僕と緑川だ。
い、言えない………、よな。
ピーチちゃんの仇とか言って、緑川と僕が殺されて終わりそうだもんな。
いっそ、これも偽物のせいにするか。
うん、そうしよう。
なに、偽物のせいにしたら、皆が傷つかないんだし、至って平和的な解決方法のはずなのだ。
そう……本当に。
ただ、僕の心のなかの隅っこに残っている、雀の涙よりも小さな良心を無視すればいいだけで。
「大丈夫です……、月姫ちゃん、落とし前は、しっかり愚兄に償ってもらいますから」
うつらうつらと桃ちゃんが言葉を口にした。
まるで、呪いの呪文のように。
「そうですか。 まあ、ピーチちゃんがそう言うなら別に構わないです。 ただ、なんで兄貴は私の教室に来たんですか?」
桃ちゃんが堂々と自分で仇を討つと宣言したことで、月姫も納得の表情をみせる。
そして、次に月姫が僕が何故自分の教室まで来たのかを聞いてきた。
ああ………、そうだ。
そうだったのだ。
用件は別の事だったのに、桃ちゃんの豹変で、用件をすっかり忘れていた。
僕は偽物からの呼び出しがあったことについて月姫に相談しに来ていたというのに。
「月姫、桃ちゃんの偽物が、僕に放課後会いたいらしんだ」
「ふぁっ!? つまり、あっちからの呼び出しって事ですか?」
「ああ」
想定外の状況に驚く月姫だが、僕としては、好戦的な月姫のことだから、いい度胸じゃねぇですか。とか言うと思ってたんだが、だから、むしろ月姫の態度に驚いた。
いつも諸突猛進の癖に、やけに今回は慎重というか、臆病な気がする。
「分かり……やした。 でも、計画を変える必要はありませんから、予定通り、兄貴は屋上にむかってください」
「分かった」
*******
直前の打ち合わせが終わり、桃ちゃんと一緒に僕の教室に帰る。
「……ハジュハジュさん、さっきは、ありがとうございました」
廊下を歩いていると、ポツリと桃ちゃんが言ってきた。
心当たりがない。
「えっ? 僕、何かしたかな?」
「実は、さっきの、ちょっと嬉しかったんですよ? 私のこと、私だけのこと、桃ちゃんって、そう呼んでくれるのは、ハジュハジュさんだけなんですから」
少し、寂しげに呟く桃ちゃん。
ああ、そうか………。
誰かに自分の立場を奪われて、自分の名前を取られ、家族さえも横取りされたというのは、桃ちゃんにとって、相当な苦痛だった筈だ。
なら、今の桃ちゃんは誰かに自分の名前を呼ばれるのが、嬉しいのか。
ただ、僕が桃ちゃんのことを桃ちゃんと呼ぶのは普通のことだ。
間違っても、ありがとう、なんて、お礼を言われるようなことじゃない。
だって、名前を呼び、名前を呼ばれるのは、生きている者なら、普通のことなのだから。
「だから、「ありがとう」はいらない。 と、格好つけて言ってみる」
「…………確かに、格好いいですけど、私の姿は今も見えていないので、ハジュハジュさんは廊下で独り言を言っているヤバい人にしか見えないんですけどね」
「そうだった~~!!」
そこには、廊下で1人で叫んでいるヤバい人の図が出来ていた。
*******
現在
と、まあ、そんなあれこれがあり、僕は今、屋上で偽物と対峙していた。
ちなみに、桃ちゃん逹は屋上の入り口付近の物影に隠れてもらっている。
前振りが極端に長くなった気がするが、もうこの際気にしない。
目の前にいる少女を見て、僕は息を呑んだ。
対峙した偽物は、本当に桃ちゃんそっくりだったのだ。
どこをどう見ても、桃ちゃん以外には見えない。
いや、桃ちゃんにしか見えないというべきだろうか。
鏡のなかの桃ちゃんが抜け出してきたような。
微笑む姿も、声音も、眼差しも、桃ちゃんそのもの。
まるで、もう1人の桃ちゃんに接しているような奇妙な感覚。
「先輩?」
不思議そうに偽物が首を傾げる。
そこで、ハッとして、我に帰る。
ああ、駄目だ。
思わず呆けてしまっていた。
見知った人物、それも、普段から好意を向けている相手によく似た、見た目だけでも同じ人物に敵意を向けるのは、とても難しい。
変に緊張してしまう。
言うなれば、大好きな愛犬がいたとして、その愛犬と、まったく同じ犬を嫌いになれるかというと、なれない。
つまり、今の状況も、そういうものなのだ。
相手は、『存在』を奪った、桃ちゃんの仇だというのに。
(桃ちゃんはまだ死んでない)
こんなんじゃ駄目だ。
こちらは、しっかり桃ちゃんの『存在』を返してもらはなければならないのだから。
「その、どうして僕のことを呼んだんだ?」
相手の話術に呑まれないように、先行をきって、
直球に聞く。
そして、僕が一番気になっていたの疑問。
何故僕を屋上に呼んだのか、だった。
色々考えたが、罠の可能性は、この偽物の反応をみる限り、薄いと思う。
なら、何故僕を屋上に呼んだのか、せめてもの救いとして、和解の可能性はあるのか。
「私、実は先輩に返してもらいたいものがあるんです」
「返してもらいたいもの?」
警戒を怠らずに、聞く。
だが、僕はこの子から、何か借りていただろうか?
そもそも、桃ちゃんにも、この子の方にも、僕が何かを借りたことなんてなかったはずだ。
なら、僕と何かを貸した誰かとを間違えている?
だが、何かの思い違いなんて、本当にあるだろうか?
「私を、返して欲しいんです」
予想外、想定外、意想外、思いがけない、言葉、だった。
自分でもはっきりと分かる程、ドキッと、一瞬、鼓動が跳ねる。
心のなかを色で表すとしたら、今は色んな色がぐちゃぐちゃの状態だろう。
それでも、分からなかった。
偽物の、意図が、分からなかったのだ。
『私』とは、一体誰のことを指しているのか。
その『私』に、偽物が、何をしようとしているのか。
それが僕が想像している人物と違えばいいのだが…………。
僕に自分が言った意味伝わっていないと感じとったのか、偽物はもう一度、口を開き、
「ですから、そちらにいる緑川 桃を、こちらに返して欲しいんです」
しかしながら、無情にも、もっとも当たってほしくなかった次は予想は、当たってしまったのだった。
桃ちゃんが鬱になっていた理由は、緑川の言葉を和訳すれば、分かります。