-16-嵐と、暗闇と、変身と。
「って、なんじゃこりゃ!」
『うお! 凄いな、これは』
庭園を抜け暗い石室を戻り遺跡の外に出ると、まるで世紀末の如き台風が直撃していた。
周りの木々は根元から巻き上げられ、山頂に放っておいたアルドゥ鳥が風に煽られて吹っ飛んでいっている。
『見渡す限りサイクロン!』
「こんな状況なのに元気だね」
『そりゃあ、肉眼で見る外の風景は1000年ぶりだからな! こんな世紀末でも新鮮なのさってうおぉぉあ!』
「シドぉー!」
リリィの腕の中ではしゃいでいたシドは風に攫われてあっという間に天高く登っていった。
……彼のことは忘れない。
『舐めんなぁ!』
先程庭園で見たものと同じ煙がはるか上空で発生し、元のサイズに戻ったシドが降ってきた。
このサイズなら飛ばされないだろうと思ったが、割と危なそうだ。今にも飛んでいきそう。
「あっ! お姉さまぁぁぁぁぁぁあ!」
「今度はリリィか……」
シドという重りを失くしたリリィが飛んでいく。これ、まさかとは思うけどずっとこんな感じなの?
なんとか【空間転移】で戻ってきたリリィは急いで遺跡に戻って行った。シドもそれに続く。
え? 私はどうしてるのかって?
【朧月】を杭にして地面に突き立て、何とかそれに掴まってます! でももう限界!
「あ──れ──」
「お姉さまぁぁぁぁぁぁ」
『あっ、藍波ぁぁぁぁぁ』
リリィの声と、未だ照れの入ったシドの声がどこか遠く感じる。
轟々と吹き荒れる風の中、どこまでも高く昇っていく。雲を突き抜けたあたりで急降下を始め、また風に煽られる。これキツいな!
3度目くらいの雲海突撃の際、雲の中になにか見えた。黒い球状のものが浮いている。
それに宙を泳ぐようにして近づく。って、何か引っ張られてる!? ああ、ダメだこれ、逆らえない。
「ちょっと行ってくるぅぅ──」
『「どこへ!?」』
地上の2人に報告し、私は球体に吸い込まれた。
☆
大変なのです! お姉さまが、お姉さまが! どこかへ消えてしまったのです!
「どうしましょうシドさん!」
『俺に聞くな……俺も絶賛困惑中だ……』
「ぺっ」
すこぶる役立たずなのです! 神獣のクセしてなんにも役に立たないのです! ああ、お姉様は今頃1人で心細くしているはずなのです! 私が行って慰めなければ、なのです! ぐふふ……いけない、ヨダレが。
『俺なんかより全然危険人物だと思うんだよなぁ、お前』
「失敬な! 私は純愛を向けているだけなのです!」
『それが重すぎて逃げられてんだよ』
なにおう……言わせておけば好き勝手いいやがって、もう許さんのです!
と、いつもの私なら言うのですが、今は些か緊急事態なのです。大人らしく、淑女らしくここは冷静に、なのです。
『……いや、突っ込まんぞ。緊急事態なのは確かだからな』
「さっきまで見えていたお姉様のステータスは既に見えないのです。きっとあの球体がなにかしたに違いないのです!」
『同感だ。調べてみるか……ただ、危険だと思うが』
危険なら尚更行かねばならないのです。お姉様が中に囚われているのですから!
「行きますよ! シドさん!」
『わかったよ……もうどうにてもなれ! しっかり掴まってろよ!』
消えた狐のあとを、子猫を乗せた大きな狐が追うようにして宙に飛び出した。
◆
謎の球体に吸い込まれた私は、コスモ・グランデに来た時と同じような感覚で地面に落ちた。
ドサッと尻餅をつき、何があってもいいようにすぐ立ち上がり、周囲を警戒する。
しかし辺りは暗闇が広がっているだけで、なんの音もしない。
取り敢えず明かりを、と思って例の光球を出そうとするが何故か出てこない。
まさかと思って《狐火》を使おうとする。やはり出てこない。どうやらここは妖術が無効化される空間のようだ。
いつもならこの辺りでヴェルさんが喚き出すのだが、そんな気配はない。手元の【朧月】は完全に沈黙しており、それどころかヴェルさんの気配すら感じない。
……これは思っていたよりも不味い状況だ。
ここがどこかも分からず、普段はおちゃらけているがいざという時には頼りになる神もいない。
ましてや明かりすら灯せないとなると、もうお手上げだ。
しかしここに留まっていても何も解決しないので、取り敢えず真っ直ぐに進んでみる。
……歩き始めてはや10分程度が経過した。進んでいけば目も慣れるだろうと、そう思っていたが、一向に目が慣れない。
暗闇の中、自分の呼吸の音と歩く音しか聞こえない。
こんな状況にひとりで立たされるとなると、精神の崩壊に繋がりかねない。早めの脱出を試みよう。
またしばらく進むが、やはりどこまでも暗闇。もうイライラは最高潮なので、変形しない【朧月】を力任せに振り回してみる。
ザクッ
刺さった!
適当に振り回したら何かに刺さったようだ。これはラッキー!
チェーンを辿り、鍵の刺さっている場所を見つける。
その鍵は何もない虚空に固定されていた。
「は?」
思わず声が漏れる。途端、辺りの暗闇が凄まじい勢いで晴れていく。
暗闇に慣れようと、目が自動的に瞳孔を開いていたため、もろに光を浴びて視界が真っ白に塗りつぶされる。
目を片手で覆いつつ、なんとか光に対応できるようになると、鍵の刺さっている場所には身の丈3倍ほどの大きな石像があった。
胸の前で両腕を交差させ、鋭い牙のある頭は俯けられている。その背中には蝙蝠のものを何倍にも大きくし、禍々しくしたような翼が生えている。
──ガーゴイル。
ヨーロッパで見る雨樋のそれとは違う、見るからに危険なオーラを放つそれは、【朧月】の切っ先を両腕の甲で受け止めている。いや、元々交差されたところに刺さったというのが正しいか。
この手のガーゴイルは斬撃が効きにくい。石像ゆえ、切っても切っても傷しかつかず、決定打になりにくいのだ。しかし、なぜか刺さる【朧月】。化けダコのときもそうだったが、どうもこいつは石に刺さりたがる。
そんなことを考えていると、【朧月】を中心に先ほどより強い光が放たれた。
【朧月】をどうにか引っこ抜き、距離をとる。
ゴゴゴゴ──と素敵な重低音を響かせながら、ガーゴイルがその鈎爪のある両手と禍々しい翼を広げていく。
そして首をゆっくりと上げ、その双眸が赤く輝いた。
〜Sideリリィ〜
真っ暗なのです! どうしようもなく真っ暗なのです! 目があ! 目があ!
乗っていたはずのシドさんはいないし、妖術は使えないし、音も光もなーんにもないのです!
昔、倉庫に閉じ込められた時のことを思い出すのです。おもちゃで遊んでいた私に気づかず、お爺様が倉庫の鍵を閉めてしまって……おもちゃもどこにあるか分からなくなってしまい、翌朝になるまで誰も助けがこなくて辛かったのです。
ああ、こんな時、お姉様がいたらきっと
「大丈夫さリリィ。私が守るからね。(絶世のイケボ)」
とか
「怖いのかい?なら私の胸に飛び込んでおいで!私の全てをもって慰めてあげるさ!(前代未聞のイケボ)」
とか言ってくれるに違いないのです!
想像しただけでヨダレが止まらないのです……ごしごし。
さて、妄想に浸るのはこれ位にして。真面目に状況が悪いのです。周囲の確認すらできないとか、一体どうすればいいのです?
……お姉様ならきっと、ひたすら真っ直ぐに進むのです。そうと決まれば出発進行! なのです!
〜Sideシド〜
数時間前にできた嫁が謎の球体に攫われた。救出しようと嫁の妹分と共に球体に飛び込んだ。で、はぐれた。イマココ。
というか暗すぎな。石室の方がよっぽど明るい。
妖術も使えない。【千年宝珠】も機能しない。こうなると小型化もできやしない。俺のアイデンティティ全部持っていかれた。ちくしょう!
……悩んでいても仕方ないか。取り敢えず明かりを探すとするか……?
ちょっと待て。歩き始めて気づいたが、俺はここ1000年四足歩行だったはずだ。
──これは一体、どうなってる?
☆
目を光らせたガーゴイルは右手の拳をゆっくりと握りしめていく。嫌な予感。
即座にその場から後ろに飛び下がると、さっきまでいた場所にガーゴイルの拳がめり込んでいた。
そしてめり込んだ拳とは逆の掌は既に握られており──
「なんのぉぉ!」
右手拳を支点に左拳を振りぬいてきたガーゴイル。射線は読みやすかったので、全力でその延長線上から立ち退く。ガーゴイルの拳は轟と音を立てながら私の鼻先を掠めていく。
空振りに終わった左手の勢いそのままにガーゴイルはひっくり返った。自分の体で右手を潰している。右肩がありえない方向に曲がり、べギョッという不快な音を立てる。
仰向けに倒れたガーゴイルにこれ幸いと攻撃を加える。
伸びない【朧月】をガーゴイルの頭に振り下ろす。ガーゴイルはその体からは想像ができないほどに俊敏に首を捻るが、いかんせん顔の面積が広かったので左目を叩き割ることに成功する。
ガーゴイルが空気を震わす大絶叫をしたので、耳をたたみながら後退する。のそりと起き上がるガーゴイル。
使い物にならないと判断したのか、右腕を根元から外し、左手で振り回し始める。
スキルは使用出来ないが、アレがどれだけ危険かはわかる。誰だって逃げるし、私もそうした。
しかし逃げるには少し間が足りなかったようだ。
振り下ろされる左腕のさらに延長、破壊の権化となった右腕に横から強かに薙ぎ払われた。
◆
その頃、リリィやシドの前にも同じようなガーゴイルが出現していた。
リリィはひたすら走りながら狙撃を続ける。
関節を重点的に狙い、念のため持ってきていた実弾を【パピヨン・レイ】に装填しつつ、打開策を練る。
既に弾薬は底を尽きかけている。妖術が使えないこの空間では妖力弾が撃てない。加えて前衛がいない中でのガンナーソロは非常に危険である。リリィは【空間転移】で逃れながら戦うことが出来るからたまにソロで出かけていたが、ここではそれすら使えない。
防御や体力が多いわけではないので、下手したらガーゴイルのデコピン一発でやられかねない。
そんなギリギリの状況だが、やっと左腕の肘から先が瓦解した。
思わず喜びに浸りたくなるが、相手はただ左腕が壊れただけ。まだ右腕がある。
その空間には、絶望しか残されていなかった。
☆
別地点にて。俺ははただ困惑していた。
なぜ妖術が使えないのか、などではなく、今の自分の姿についてだ。
自分はあの日、火に焼かれて死んだ。もしくは殺されたのかもしれない。記憶は曖昧だが、死んだことに変わりはない。
目覚めた時には既に九尾の妖狐姿だった。
そもそも死んだ者が目覚めるなど有り得ないのだが、自分はなぜか九尾狐に身をやつしていた。
その理由を知ることすらなく、ただ自分の死と、仲間を殺された事実だけを気まぐれに放った2尾から得た。
以来、自分の姿に違和感や疑念は感じなかった。ただ自分たちを殺したやつらに復讐がしたかった。そのために待ち続けた。
そして遂に出会い、色々あって行動を共にすることになったのだが。
──どうして自分は今、この空間内で、「狐人」の姿をとっている?
俺は暗闇を歩き始めたあたりで、まず自分が二足歩行になっていることに気づく。
そして、なぜか腰にある片手剣。
この剣は。この相棒は。生前、師匠に剣術を習っていた時に使っていた剣。
銘を、【大地の咆哮】。
片手剣ながら非常に重く、子供は絶対に持ち上がらない。
しかしこれをまるで紙のように軽く振り回すシドは当時、もしスキルビューワーがあって検査していたならば、筋力がEXと表記されていただろう。
それほどまでの重量を誇る【大地の咆哮】だが、その見た目は実に麗しい。
ミラーシルバーの刀身に、数本の緑色に輝く筋が走っている。
これを見たものはまず見惚れ、そして剣の銘について首を傾げる。
それもそうだ。この剣は破壊すべきものにしか牙を剥かない。
ゆえに、この剣が開放されるのを見たものは少なく、そして見たものはそれを語ろうとはしない。
それほどまでに、恐ろしいのだ。【大地の咆哮】は。
俺は懐かしい重みと、かつての体の隅々に生力が、魂が行き渡っているのを感じ、ニヤリと笑った。
その先では他のの二箇所と同じく、赤い目のガーゴイルが腕を振り上げていた。