-157-置き手紙と、会敵と、撤退と。
師範にも声をかけようと思って地下施設を訪れてみたが、そこには誰もいなかった。あの引きこもりのゼノヴァですら、気配を感じないのだ。
ふと顔を上げた目線の先に、今日も巨大な裁断機が入り込む。
「……ん?」
「どうかしましたか?」
「いや、なんかついてない? ほらあれ」
裁断機の刃の部分に、白い紙のようなものがくっついている。普段から裁断機の仕事っぷりを見ていた私からすれば、あそこに紙はへばりつかないことはわかりきっていた。
「取ってみるか……」
「う、動きませんよね?」
「そりゃ動くよ。そういう機械なんだし」
「「ゑっ」」
停止する二人とは裏腹に、私は赤いラインを飛び越えて駆ける。異物を察知し、それを粉砕せんと始動する……前に停止した。
『こんなことで使わないでくれよ』
「いや、だって飲み込まれそうだったし」
アースに小言を言われるが、確実性を重視してライドを使ったのだ。第一形態のバーニアを使っての往復は、10メートル程の距離であれば一瞬だ。
焼けないように注意して回収したそれには、こう記されていた。
『先に行ってますd('∀'*)』
私は紙を裁断機に向けて投げ捨てた。
◆
捜索部隊の生き残りが掴み取った情報を元に、ベルとメアの発見場所へと向かう。ライドをして時短をはかっても良かったのだが、リリィとカッシュくんは徒歩だ。流石に運ぶにも無理があったので、普通に走ることにした。
ちなみに地図はフリッグさんに返し忘れていたものを使っている。今頃探しているのだろうけど……仕方あるまい。
「……久しぶりに会うかと思えば、とんでもないことになっているのです」
「まったくですね。なんですかこの裏切りのスパイラル。許しませんよ」
パワーアップした二人がいうと物騒ではあるが、今は味方なので心強い。これならば、きっと寝返った二人も半べそかいて戻ってくるだろう。
──そんな期待と共に、捜索部隊が全滅したという場所にたどり着いた。
どうやら報告書を持ってきた兵はかなり急いでいたようだが、私達の移動速度の倍以上……そのくらい、時間が経っていた。私達は片道を3時間で来れたのだが、現場は完全に半日以上が経っている。
凄惨な戦場跡を見て、助っ人二人は顔をしかめるかとも思ったが……案外平気なようだ。
「見慣れましたしね」
「こういうのはよくあることなのです」
「ちょっと待って。1年間何やってたの!?」
人死を見慣れるという、よろしくない方向へ歩み始めている二人。まぁ死に慣れた私が言うことでもないか。
「それはまた帰ってからゆっくりと。まずはあそこにいる家出娘を更生させるのが先なのです」
「あれ、隠れてるつもりなんですかね」
「さぁね。あれでNINJAに憧れてたし、やりそうではあるけど」
「……あのさぁ。人を散々コケにしてるけど、状況わかってる?」
「わかってるから余裕ぶっこいてお話してるのです。既に射程圏内ですし、もう砲門はそちら向いてますし」
そういえばリリィの【パピヨン・レイ】をこっちで見てないな。と、思ったらいた。浮いてたわ……
「すごいねこれ、ステルス?」
「さすがはお姉さまなのです。『ステルス・スコルピオ』の素材をくっつけて、隠密効果があがっているのです。さらに自動で敵を追い詰めてくれちゃったりするので便利なのです」
「ファ〇ネルじゃん」
「王宮妖術師にも同じこと言われたのです……」
まじか……お母さんと思考回路一緒とか、もう人生終了じゃんか……
「おいおい、楽しそうな話なのに混ぜてはくれないのかい?」
「混ざる気ないでしょうに」
「それもそうだ」
飛来する苦無を首を捻って避け、そこに《狐火》を打ち込んでいく。ボンッという煙があがったので、恐らくあれは偽物……分身だろう。
リリィのファン〇ルもどきも掃射をはじめ、ところどころで煙があがる。しかし、ある時を境に音沙汰がなくなった。
「…………忘れてもらっては困る」
「もちろん、全て想定内ですとも」
後ろから振り下ろされた戦斧を禍々しい大盾が受け止める。【盾職】を使った形跡はなく、いつでも割り込める位置にいたようだ。
そして忘れてはいけない追加効果。二本の腕が意志を持ったように動き出し、受け止めた戦斧を掴み取る。
「──らっ!」
「…………やる」
呪腕と息を合わせて戦斧ごと敵対者をふっ飛ばす。その影で、フッと気配の消えるのを感じた。
「──しゃあっ!」
「…………む……」
【空間転移】で敵対者……メアの背後に現れたリリィが爪拳を振るう。極めてリーチの短い武器で、戦斧などの重量系、かつリーチの長い武器を相手取るには少し不利だ。
しかし、それは懐に飛び込んだ瞬間に逆転する。
小刻みに繰り出される攻撃に対し、防御が間に合わず、また攻撃もしづらいのだ。そして、リリィの【空間転移】は、突然隣に現れることも可能としている。
よって……
「…………限界、かも」
メアもメアでよく防いでいるが、リリィの猛攻には耐えられなかったようだ。身体の端々に切り傷ができており、額には脂汗が大量に浮かんでいた。
「くっ……今助けにうおぉ!?」
「そこを動けると思うなよ」
せっかく姿を消していた、二人目の敵対者……ベルを《風刃》で牽制する。《風刃》は不可視なのでこういった脅しにはもってこいだ。
「…………使いたくはなかったけど」
む、まずい!
「リリィ、離れて!」
「…………ライド」
光が爆ぜた。
◆
リリィはなんとか脱出できたようだった。冷や汗を垂らしながら、しかし無傷。やっぱり相当強くなってきたみたいだ。
隣で仁王立ちしているカッシュくんは目も庇わずにその光景を凝視していた。絶対に目が痛いと思うんだけど。
「藍波さん」
「どうしたの?」
「……回復を」
やられてんじゃねぇか!
「いえ、違うんですよ。敵の強化は、どこがどう変わったのかを見極めろって波旬さんが」
「それで目ぇやられてたら意味無いでしょお!」
文句を言いながらもきちんと回復はしてやる。見えぬ見えぬとボコボコにされては仕方が無いので。
「それで、ちゃんと見極められたの?」
「ええ。もちろん」
鷹揚に頷く彼の先では、戦闘態勢のメアが……
メア、が……
「そう。彼女は『何も変わってない』んです」
「ライドははったりか!?」
「…………それはどうでしょう」
いつの間に持ち替えたのか、緑色の鱗が敷き詰められた刀を居合いに構えている。そして、それ以外の見た目は先程までと全く変わらない──
「…………抜刀、《咬牙》」
「──っ!?」
普通の切り上げのはずなのに、上下から咬まれる感覚。咄嗟に出した【朧月】の変形が間に合わないくらいの速さで距離を詰められていた。
「…………返し刀、《衝破》」
咬みつかれたまま、地面に叩きつけられる。いとも簡単に体を攫われ、私はクレーターの内に沈むことになった。
「よくも!」
朧気な意識の中、リリィが飛び出していくのが見えたが……私の牽制がなくなり自由になってしまったベルが相手をしていた。
ベルはライドをしていないようだったが、どうも小太刀や苦無、手裏剣といった忍具の使い方が様になっている。
む……意識が……
「アース……」
『撤退かい?』
「できる?」
『僕を舐めないでもらいたいね。まぁ、ゆっくり休むといいよ』
遠のく意識。その最後の記憶は、地鳴りと咆哮だった。
◆
「ん……」
「目があいたのです!」
「今回はコマンド使わなくて大丈夫でしたね」
「当たり前なのです……」
頭に走る鈍痛に眉を顰めながら、私はゆっくりと体を起こす。上体を完全に起こした時に、膝の上でアースが丸くなっているのが目に入る。
「アース……あのあと、どうなったの?」
「ああ、あれはえっと……なんといえばいいのか」
「簡単に言うと、災厄・再び! っていう感じなのです」
『災厄って……僕はただ、元の姿に戻ったただけなのに』
「喋んじゃねーですよこのパオパオが! 一年もお姉さまにベッタリ、加えて身体の隅々まで覆える!? もういっぺんぶっ殺してやりましょうか!」
『ええ……』
私怨に燃えるリリィはさておき。パオパオって何? っていうのもさておき。
アースはあの場で、桜色の狐から元の姿……つまり巨獣・アストロスの姿に戻ったのだという。
もちろんそんなことをすれば辺りの壊滅は時間の問題だし、なにより位置がバレる。今回はお忍びの調査だったので、バレるわけにはいかなかった。
しかし、彼はそれと撤退を天秤にかけ……撤退に重きを置いたようだ。一時的に巨獣化し、その背中に私たちを乗せて少し移動──彼の尺度は人間のものとは段違いなので定かではないが──し、再び小狐・アースの姿へと戻る。こうして学園の近くまで戻ってこれたという。
「私が運びたかったのですが、念の為警戒をしていたのです。搬送はカッシュくんが」
「重かっ──いえ、この体ではという意味ですよもちろん」
失礼なカッシュくんを睨みつけると、目線をそらしながら頬をかく。まあ、10歳の子供には重かったか。あんな大盾は二つも背負えるのに。そっかー、重かったかー。
「Dieット、する?」
「遠慮しておきます」
冗談はさておき。
「追撃は?」
「恐ろしい程に。後ろ足を執拗に切りつけられていたらしく、学園前で降ろされた時には血の川のようになってました」
「そんなに……」
『ああ、すごく痛かったなぁ。なんだよあの刀。なんで刀に咬まれるんだよ』
「咬む刀か……」
どこかでみたような……?
「でも、学園までは攻め入って来なかったのです。主神クラスに見つかるのを恐れたか、または生かされたか……どちらにせよ、屈辱なのです」
「ごめんね、私が下手を踏んだばっかりに」
「いえ、あれは初見じゃ避けられないですよ。あんな踏み込み、見たことないですから」
「同意なのです。波旬さんでも、あんなにはやくはなかったのです」
メアの放った技。
二人はあれを私が初見だと思っているようだが、実はそんなことはない。
元の世界……地球で、嫌という程浴びた技だ。他ならぬ、師範の手によって。