-156-煙と、報せと、行動と。
地下施設は、不思議な構造をしている。
いくら汚いゴミを流そうとも、それがダクトや床にこびりつくことは無い。そういう素材でできており、液体、物体問わず反射する。
消臭性も抜群で、集積所以外からの匂いはほとんどしない。
そんな、明らかに時代錯誤な場所で、煙の匂いが上がっていた。
「…………」
「…………」
煙をたてているそれを前に、誰一人、ピクリとも動かない。
「…………」
「…………」
「……今っ!」
「──!?」
「ふっふーん。これは私のものだっ!」
「「あああああああ!」」
七輪から攫われていった肉を頬張る、栗毛のポニーテールに掴みかかる。同じく栗毛の猫妖精も狙っていたらしく、毛を逆立てて抗議している。
「それは私が大切に育てた肉なのです!」
「出荷した肉はみんなのもの!」
「まだ出荷前なのです!!」
頭を抱えてブリッジを決めている猫妖精さんだが、そのスカートの奥は見えない。【絶対領域】、すごいなぁ。そう言うと、彼女は「言ってくだされば見せるのです」と脱ぎ始めるので、絶対に口にしないけど。
「……あの」
「なんだい」
「どうして私の家の前で肉焼いてるんですかね」
一連の流れをずっと見ていたゼノヴァが、姦しいBBQを揶揄する。
「そういう気分だからさ」
「気分でバーベキューしないでもらえます!? いえ、別にいいんですけど、せめてよそに行ってください!」
むぅ。何が不満だというのだ。
肉は美味しい。みんな楽しい。それでいいではないか。
「だいたいですね。あんなことがあったのに、よく平気でいられますね」
「そりゃああれが夢だったからさ」
医務室で目覚めた時に見ていたものは、簡単に言うと夢だった。邪神による精神攻撃、と師範は言っていたけど。
「夢だとしてもショックでしょうに」
「あのねぇ……ぶっちゃけ夢で死にすぎて、夢だとわかった瞬間に『こんなもんか』って思っちゃうんだよね。それに……」
その夢では喧嘩別れした彼女に向き直って、一言。
「ゼノヴァ、あんなこと言わないでしょ?」
「ええ……まぁ。初見こそ殺されかけましたけど、今ではお友達ですし」
ちょっと拗ねながらのお友達、頂きました。ちなみに、彼女はリリィに絞められたあとだ。『お姉さまと毎日会っていたァ!? 二人きりでェ!?』って。怖かったなぁ。
「次が焼けますよー」
「ほらゼノヴァ。食べよ」
「……そうですね。いつまでも落ち込んではいられませんし」
ゼノヴァを伴って七輪に戻る。カッシュくんの焼いてくれた肉の焼ける匂いが胃を鳴らす。
「どんどん焼けぃ!」
「今度は逃さないのです!」
「焼くのは僕なんですけどね……」
賑やかな七輪につきながら、やはり聞こえてこない声に少し寂しくなる。
確かに、あの夢は夢だった。
私はスクルドさんを襲わなかったし、殴られなかった。ゼノヴァに見限られることもなく、師範が変死することもなかった。
ただ……
ベルとメアは、戻らなかった。
◆
二人の失踪に、学園は騒然とするかと思ったが、逆に静かなものだった。二学年は元々ベルが仕切っていたこともあって、騒ぐ原動力を失ってしまったのだ。
私達の学ぶ下の階は、あの日以来通夜のような空気が流れ続けている。
三学年にも死者は出た。私がライドのしかたを教えた子もいた。
弔いをすませ、関わりの深かった者は涙したが……それでも、数日後には復帰した。
私は、これを普通と考えている。
この世界、この界隈では、それが当たり前なのだ。
いくら転生システムがあったとしても、それはあくまで「寿命の引き伸ばし」でしかない。「物理的な死」は、いつでもありうるのだ。
冒険者や狩人よりも、わざわざ死地に赴くヴァルキリーともなれば、それは明白だろう。
しかし、二学年に流れる空気は別だ。
「死んだかどうか、わからない」。これが、彼女たちを不安にさせ、素直に復帰できない理由になっている。
死んでいれば、弔い、喪にふし、悲しむことも出来る。
だが……死んでいないともなれば、何をされるかわからない。シーカーにされるかもしれない。陵辱されるかもしれない。非合法な実験の実験体にされるかもしれない。
言い出せばキリのない不安が、彼女たちから元気を奪っていた。結果として、せっかくエインヘリヤルと契約したというのに退学者が続出した。契約を切り、涙ながらに学園長に退学届けを提出して、荷物をまとめ出ていく。
一週間経ったが、そのスパイラルが止まらない。
でも……私にはどうすることも出来ない。悔しいが、学園という組織に所属している以上、勝手な真似はできないのだ。無断出撃なんてすれば、契約は破棄、最悪存在を消される。それは、下界から主神に連れられてきた私でも例にもれない。
抗議をしに、フリッグさんの所へといった。話を聞いてもらった上で、しかし断られた。
今は捜索隊の報告を待つしかないと、我慢してくれと、震える声で嘆願された。
彼女は、ベル……ヴェルダンディと仲が良かったようだ。封印される前の彼女と、よく出かけていたらしい。友を……親友を、心配をしないはずがない。彼女もまた、組織に縛られていた。
だから私も待つことにした。彼女の言うことも全うだったし、ライドも身につけたはずの二人なら、きっと自力で帰っても来れるはずだと。
しかし、報せは突然だった。
ある日のこと。ちょっとした野暮用でフリッグさんの所へと行った時だった。用事も済み、紅茶を振る舞われたあとで、さあ寮に戻ろうと席を立った。
勢いよく空いたドアから、全身鎧を身につけ、息せき切った兵が転がり込んできたのだ。すわ敵襲かと身構えたが、その男の鎧は所々が砕けており、また血が滲んでいた。
取り敢えず回復を、と思って手を向けると、鎧の兵はそれを手で制し……握りしめていたらしい手紙を差し出してきた。兜の隙間から覗く目が、それをフリッグさんに渡せと、強く訴えかけているのが取れる。
私は無言で頷くと、それをフリッグさんへと手渡した。そしてすぐに治療をと振り返ると……兵は事切れていた。役目を果たして安心してしまったのだろうか。……冥福を。
遺体を部屋の済にもたれかけさせて、フリッグさんの元へと戻る。あの手紙の内容が気になったからだ。
丁度読み終わったようなタイミングだったようで、眉間を指でトントンと突いているフリッグさんから、手紙を受け取る。
中身は、こうだ。
『我々第三捜索部隊は、ついに被保護対象である戦乙女候補生、ベル並びにメアを発見することに成功した。
しかし、我々が声をかけると、あろうことか彼女たちは我々を襲い始めた。あっという間に部隊は全滅。残るは後方で記録をとっていた私のみとなってしまった。
第二部隊が合流した。先の戦闘音で気付いたのか、警戒は取っているようだ。しかし、やはり被保護対象を発見すると、にこやかに近寄って行ってしまった。
結果は我が部隊と同様、全滅だ。私はなぜ、彼らに声をかけてやれなかったのだろうか。
第一部隊が合流した。合流してしまった。彼らはどちらかというと死臭を頼りに接近していたようだ。被保護対象を発見しても、すぐには近寄らず、観察をした。
ようやく、私の出番が来たと思った。彼らに今までの流れを説明し、彼女たちの身柄を拘束するべきだと進言するのだ。意を決して、呼びかけてみよう。
物陰に揺れる影ひとつに怯えている。
私が出て言った瞬間に、炎弾が飛んできたのだ。それは私のいた場所に着弾し、爆風で私は吹き飛ばされてしまった。煙に紛れてなんとか逃げようとしたが、いつの間に隣に立っていた被保護対象・メアに滅多刺しにされていた。第一部隊の治癒術師の魔法が一瞬遅かったら、私はこれを書いていないだろう。……しかし、彼女は死んだ。あの中で生き残れるはずがない。
第一部隊が全滅した。これで捜索隊は全滅したことになる。このままではいけない。次の捜索部隊が無残に殺されるのを、甘受してはいけない。
今もてるすべての力を、逃げに使うことにした。
なんとかヴァルハラまで戻ってこれた。しかし、治癒術師の魔法でも治らなかった深い傷が、だいぶ広がってきているようだ。
届けます、フリッグ様。彼女達の居場所、そして、我々の無念を──』
私は手紙を放り捨てて、部屋から飛び出していった。
◆
「すぐに出るよ」
『行くのかい?』
「今動かないでどうするの」
制服から【雪月花】に着替え、夜に備えて黒いローブを羽織る。荷物を整える必要性は腕輪のおかげでありはせず、ただ着替えだけを済ませた。
『組織の方はどうするんだい?』
「時として、ルールは破らないといけない」
『それが今だと?』
「……何が言いたいの?」
支度は終わったというのに、どうも乗り気でないアースに問いを投げかける。彼自身よくわかっていないのか、短い前足を組んで唸っている。
『いや……報告書に関しては真実だと思うんだ。彼の絶命と、その内容は、確かに噛み合っている。ただ……うーん……』
「考えてる暇はないんだよ」
『わかってる。だからこそ、一旦冷静になってほしいんだ。君ならわかるだろう』
「私は冷静だよ」
そう、私は冷静。焦ってなんか──
『ほい』
ポフッ、と肉球を当てられた。顔面ど真ん中、戦闘なら──
『ほら、状況判断ができてない。はいしんこきゅー』
「すぅ……はぁ……うん、だいぶクリアになった」
『じゃ、座って話そうか』
レギンは買い物にでも出かけているのか不在の寮室の机に行儀悪く腰掛ける。アースは浮きっぱなしだ。
「どうしてなんだろう」
『ベルたちの行動かい?』
「うん。ベルとメアは裏切り体質ではなかったと思うんだ。ハクだって、師範を裏切るような真似はしないはずなんだよ」
『それは同意だね。どう逆立ちしたって、ディミアルゴスを裏切る理由、が……』
実際に空中で逆立ちして、そういったアースが止まる。額には汗が見えるのだが、毛皮からは汗は出ない。どうして生物のルールをガン無視するのか、この生き物は。
と、そうではなくて。
「なにか気付いた?」
『あるんだよ。ディミアルゴスを裏切るだけの、理由が』
「…………」
師範を裏切る理由……?
私はパッとそれが思い浮かばない。それは多分、父親の顔よりも師範の顔を見慣れているせいだとは思う。
しかしアースは、師範とそこまで親しいわけではない。確かに挨拶は済ませたし、宿主である私の師匠なのだから信頼はするだろうけど……
そんな一歩引いた彼だから、パッと出てきたのかもしれない。
『邪神だ……邪神に、絆されたんだ。大方、協力すればま命を助けてやるとか、親しいものは殺さないでおいてやるとか、そんな理由で』
「そんなのに引っかかるわけ──」
『退っ引きならない状態だったら? 奴なら、2秒で決めろとか、普通に言いそうだろう。そして出た答えが、彼女達の本質だ』
「そんな……」
ベルが、裏切った?
自分の命欲しさに?
……いや、それは仕方の無いことかもしれない。何遍も死んだ私でも、死ぬのは嫌だ。命とは、失っていいものではないのだ。
でも……裏切り、か。
「どうやら、本当にここから先は記憶は頼りにならないらしい」
『みたいだね。統計を見る限り、このような展開は今までに一度もなかった。案外、正解の道かもね』
「どうだか」
暇を見つけては私の記憶を閲覧していたアースも、今回の流れは未確認だという。私よりデータ量の多いはずのウルドさんに聞けばもっと詳しいのが聞けるのだろうけど、そんな暇はない。
「リリィ、カッシュくん」
「はーいお姉さま!」
「……どこから入ってきた?」
「ワープしました」
名前の二文字目、リ『リ』ィの時には既に隣にいた猫妖精。撫でて撫でてと頭を押し付けてくる。普段なら全然撫でてやったのだが、今は状況がよろしくない。
「ああ……リリィさん、やっぱり早い」
「当たり前なのです。お姉さまのお呼びとあらば、ノータイムで出現する……それが私っ! ケット・シー・リリィなのです!」
「すべての猫妖精に謝ってください」
こんなケット・シーがいてたまるか。こいつを猫妖精にした奴の品性を疑うね。
そんな全開少女を追ってきた地獄犬は、なんか盾が増えているようだった。
「……それは?」
「これですか? これは【ヘル・ゲート】と対になる大盾、【ヘヴンズ・ゲート】です」
わぁお。地獄の番犬が、天国の門持ってきてるよ。
「【ヘル・ゲート】を作ってもらった人に頼んでみたんですよ。そしたらその人、ヘパイストス神のお弟子さん? 眷属? らしくって。僕の【神性】を見破ったから何者かと思いましたよ」
カラカラと笑いながらとんでもないことをボンボン口走るショタジジイ。なんでそんなのが下界で盾作ってんだよ……そしてなんで知り合いなんだよ……
「ヘルの話をしたら喜んで聞いてくれて……あの日の酒は美味かったなあ」
「はいはい、その話はまた今度。で、その盾の効果は?」
右手に担がれる【ヘル・ゲート】には相変わらず禍々しい呪腕が。
そしてその対になる、左手に担がれる【ヘヴンズ・ゲート】には、アルドゥ鳥のものとはまた少し違う趣のある美しい翼が二枚ついていた。
「これはですね、簡単に言うと治癒の盾です」
曰く、この盾で叩いたものは、傷が治るらしい。それは有機物、無機物関係なく、破損や損傷、失血なんかも治癒できるとか。ただし死者は救えず、治癒された人は魔力/妖力を相当量持っていかれるらしい。
【ヘル・ゲート】が殺傷を。
【ヘヴンズ・ゲート】が救済を。
本来それは分けるべきであろう能力が、どういうわけか地獄よりのワンコロに集まっている……いかなものか。
「藍波さんの《全快》の劣化版だと思ってください。接触しないと発動しませんし。あ、普通にシールドバッシュもできるんで、殺傷能力もあります」
なんか殺しに長けた【ヘル・ゲート】に対して、【ヘヴンズ・ゲート】の方は迷ってる感じがするなぁ。救うけど殺すって……どっちが悪魔かわかったもんじゃない。
ともあれ、呼んだらすぐに来てくれる仲間というのはありがたいものだ。レギンなんか呼んでも来やしない……それは置いておこう。
「さて、状況を」
「「あ、だいたい分かってるんで」」
まったく、頼もしい限りだぜ。