-154-棒と、気まぐれと、勘違いと。
ただでさえでかい身の丈を越える野太刀……いや、あれは棒だ。ただの棒。そこらへんの木から折ってきたのだろうか。ただ、ちょっとだけ研磨したのか、片刃の剣に見えくもない。どちらかというと木刀が近いかもしれない。
どちらにせよ、へし折るが。
「────」
「ほう、恐れず挑んでくるか。勇敢か、馬鹿か……貴様はどちらでもあるようだ」
最速ではなった初撃をひらりと躱され、小さく舌打ちする。せっかくリーチ眺めの槍で急所を狙ったというのに……
「相変わらず、化け物じみた反応速度」
「ほう? ほう!!? 貴様、俺を知っているのか……? いや……それはありえん。どうせ伝聞だろう、それでわかった気になっているだけの……」
「全部わかってるよ。あなたには何度も殺された」
油断なく剣にした【朧月】を構える。対する敵は、その大きな手で顔を覆い、何がおかしいのか大笑いをしはじめた。
「クァッハッハッハ!! なるほど、なるほどォ! ウルドの差し金か? そうだろう!?」
「あなたに答える義理はない」
言うが早いか地を蹴る。最短距離を、瞬間的に詰める。腰を最大まで捻って繰り出された横凪ぎは、棒の表皮を削るにとどまった。
もちろんその程度で私は引き下がらない。即座に瞬撃に移行する。
一撃を放つたび、棒の欠片が飛び散る。が、遂にへし折ることはできなかった。
「感謝するぞ、名も知らぬ娘よ! ただの棒が、より洗練された武器となったわ!」
いくらか細くはなったものの、それがむしろ刺突攻撃力を高めてしまったようだ。奴の嬉しそうな表情が癪に障る。
「──《狐火》」
「フハハ、そんなちゃちな炎では燃えぬ燃えぬ! いいか? 炎とは、こう使う」
木には火を、ということで火を放ってみたが、棒のひと振りでかき消されてしまった。それどころか、逆に自分から棒に炎を纏わせ始めたではないか。
「んっん〜♪ スルトの炎も、いくらか役に立ではないか。なにより見た目がいい!」
言いながら、炎の蛇をまとった棒を中断に構え、おもむろに虚空に向けて突き出した。咄嗟に【朧月】を大盾に変形させて地面に突き立てるが、盾を残して吹き飛ばされてしまった。
「おうおう、炎熱系は効かないってか。こりゃなかなかいいものを見つけた」
「は……」
随分と上機嫌な敵を睨めつけ、身体を起こす。奴が何をしたかは、なんとなくだがわかる。
あの蛇のような炎……まずあれが盾に食らいつき、その数瞬あとになって棒が盾を突いたのだ。
なんだ、ただの分離攻撃……とは思わない。
いや、確かにただの分離攻撃ではある。が、その威力がおかしいのだ。
なにせ、炎の蛇の攻撃を受けきった盾の防御力を貫通しての衝撃波だ。地面に突き立て、衝撃の受け流しに優れた形態をもってしてもこの威力……
「それにしても、出てくるのがはやすぎでは?」
「俺の登場に早いも遅いもあるか? 俺は突然現れ、突然すべてを破壊し、突然この世を消し去る者だ」
破壊の化身は、言い聞かせるようにゆったりとした口調でそう語る。
その纏う殺気とは、まるでベクトルが逆だ。
「破壊者、世界の怨敵! ああ、なんと甘美な響きか……いや、わかるまい。馴れ合いを求める貴様らには、何度死んでもわかるまい!」
自分の言った言葉に対して恍惚の表情を浮かべ、自分だけの感覚に酔いしれている。
ここは自分の領域。誰にも踏ませはしない。
そんな、子供のような我儘。
「わからない……か。うん、わからないね? 師範」
「ああ。全くもって理解不能だ。お前はいつもそうやって私の気配を察知する」
「え、だって普通に後ろいたでしょ?」
「創世神たる私が全力で隠密を使っているというのにか?」
背後にいる髭の恩師に同意を伺うと、彼は少し自身をなくしたように肩を落とした。
出陣の時からこっそり付いてきていたのはバレバレだった。隠密を使ったかどうかは知らないが、暗い森の中、スキルも妖術もなしに渡り合った私が見逃すはずもない。
「貴様……いや、そうか。そうかっ! フハハハハ! こいつは楽しい日になりそうだぞ!」
そんな師弟のやり取りを見ていた敵は、またツボにはまってしまったらしい。棒を地面に根元まで突き刺し、その上から入念に踏みつけ始めた。
その棒が、端の数ミリも見えなくなったあたりで、敵は嬉しそうに両腕を広げる。
「やっと……やっとだ! この時を待っていたぞ、ディミアルゴス!」
「私もだアレ──いや、名も無き邪神よ。貴様という異物を取り出すための手術は今か今かとな」
「だろうなぁ……おい、覚えてるか? 俺たちの最後の戦いはよ」
「鮮明にな」
旧友と久しぶりに会うような、そんな軽いやり取りだが、師範の手には既に【絶禍】の柄が握られていた。見れば、少々力が入っているのか、手が白くなっている。
「じゃあわかるな? 俺の言わんとすることが」
「さて、名も無ければ慈悲もない邪神の考えなぞ、わかりたくもない」
「ハッ、気取ってんな。なにか? 弟子の前ではそうなのか。ん? 牙も爪も抜けちまったか?」
のぞき込むように威圧する邪神を前に、しかし師範は動かない。いや、動けない。
「ハァ……長ぇ隠居だとは思ってたけどよ。まさか本当に抜けちまったのか。興ざめもいい所だな」
「言ってろ」
昔……と言っても一年と数ヶ月、体感時間にすれば2万と少し前の私なら、師範に対する侮辱的な発言は許さなかっただろう。敵わないとわかっていながら、無謀にも戦いを挑み……死んでいただろう。
しかし、そんなヘマはしない。今の状況で勝てないということは、嫌という程身に染みているから。
「フン……そこの娘といい、少しは骨があるかと思ったが……見当違いか」
動かない私たちを見て、つまらなさそうに鼻を鳴らす邪神。せっかく無手でやりあえるとでも思っていたのか、握られた拳はところなさげに下ろされた。
「まぁいい。ここに来たのは気まぐれだしな。貴様の生存がわかっただけ、収穫があったと思っておこう」
「それはよかったな。できれば二度と人の前に現れないでほしいものだ」
「ハッ、そりゃあ無理な話だぜ? 俺はそういう生き物だからな」
直後、邪神の姿は消えていた。そよ風を通し、消えたはずの声が聞こえる。
『次に会う時は、必ず殺す』
微かに、しかし鮮明に響いたその声は、正しく宣戦布告だった。
◇
──Sideミスト──
「う……あ……」
時間が止まって見えた。
変な表現だとは思うけど、そうとしか言い表せない。何しろ、あの場で動いていたのはあの赤い男のみだったから。自分は人形のように動けないのに、それを見ることは出来たから。
その脅威が去ってしばらくしても、私は言葉を捻り出すことができなかった。どうにも無力。今までのすべてを否定するような存在が、まだ見ている気がして。
その超常の相手を前に啖呵を切っていた私の友は、突然現れた髭の生えたおじいさんと話をしている。その表情は険しく、額にはびっしりと脂汗が浮かんでいた。
「とにかく、ここから一旦離脱を」
「そうだな。奴の残した殺気に、皆あてられている」
話がまとまったのか、彼女がこちらに振り返る。そして、号令。
「周辺にいる戦乙女に告ぐ。直ちに撤退し、体制を立て直す。動けないなら運ぶので、ご安心を」
ご安心を、と言うけど、ここにいる生徒は大半が動けないよ……
なんて、口をパクパクパクさせていると、彼女の作り出した炎が寄ってくるのが見えた。え、ちょっと待って。絶対熱いよね!? 燃えるよね!?
「〜~~~~!!」
抵抗虚しく、担がれてしまった。人型の炎に、ひょいっと。
しかし、不思議と熱さは感じない。どちらかというと、人肌に近いような……そんな温かみ。
もう片方の肩にエルルーンを担いだ炎は、後方拠点の天幕に向かって歩みを進めた。
◇
後方拠点の天幕では、負傷した一般兵が大量に寝かされていた。
肩を砕かれて腕が動かなくなった人。鎧がひしゃげて血が滲んでいる人。膝から先を喰われてしまった人。危篤状態の人が多く、呻き声がそこかしこから上がっている。
そんな中、私を担いだ炎は私たちを壁にもたれかけさせて消えてしまった。見れば、周りの炎も同じように消えていく。
なぜ……とも思ったが、ここは「戦えなくなった者」が集まる天幕だと気付いた。物理的な負傷ならまだいい。損傷は治らないかもしれないが、傷というのはいつか癒えるものだ。
しかし戦意を失い、動けなくなってしまった者は?
もう嫌だ、怖いからと、戦場から目を背けてしまった者は?
「……馬鹿に、しないでよ」
彼女は暗に、こう言いたいのだ。
『戦えないんなら、いるだけ邪魔』と。
何のために、学園で生活をしていたのかと。
「まだ……戦えるから!」
「お、復帰早いね~さすがミスト」
自分を奮い立たせていると、私の怒りの矛先が天幕に入ってきた。思わずキョトンとしてしまったが、すぐに勢いを取り戻す。
「あ、あ、あのね! 私はまだ戦えるからっ!」
「え? あー……うん?」
「『うん?』って! なんでそんなシラの切り方をするの! もう怯えてなんかないから、前線に──」
「ぷっ」
!?
「な、何笑って……」
「いやミスト。なんか面白い勘違いしてない?」
「は……? 勘違い?」
「私はただ、皆を安全な場所まで運んだだけなんだけど」
「そ、それが気に食わないの!」
「え? じゃあ勝てるの? 邪神化して強くなった、戦神に?」
「何を言って──」
「あいつは、物量で攻めても、技で攻めても無駄な相手。それが気まぐれでどっかいってくれて、でも殺気だけは残していった。耐性のない皆があてられるのは当然だと思うんだ」
何を言ってるのか、よくわからない。ただ、あの場所にいるのが、無性に怖かったのはわかる。それが藍波のいう、残った殺気……?
「で、私は一旦負傷兵の治療にきたって訳。そしたらミストが奮い立ってるから何事かと思ったんだ」
「──」
「ミスト?」
言葉を失うとはこの事か。
みるみる顔が赤くなっていくのがわかる。今にも火を噴きそうなくらいに。
「はうぅ」
「ミスト!?」
羞恥は限界を超え、耐えられなくなった私は一人、気絶という手段で逃げるのであった。