-151-ループと、運命と、湯治と。
3695。
この数字が表すのは、私がヒルデを倒した回数だ。
もちろん、今回ではない。総計である。
2万の記憶の中であった、ヒルデによる襲撃の回数でもある。
それがどういうことかと言うと……
「ヒルデ」
「…………」
彼女は答えない。答えられない。
翼は散り、鎧は砕け、折れないように願った槍は無残にも粉々になっていた。
「私はね。ヒルデとの戦闘に関しては誰よりも研究してるんだ。どんな書物を読んでいたのか。どんな呪いや魔法を使ってくるのか。3000を超えるあなたを知ってるから、わかる」
「…………」
「ヒルデは、この状況での襲撃において、私に勝てる確率はゼロ。無理。無謀。無駄。無意味なの」
たしかに彼女は強い。私が来るまで次席に収まるに恥じない強さがあった。
槍の動きは滑らかだし、同時に剣の方も悪くない。ライドをして、片手に聖槍を、片手に聖剣を。そんな戦闘スタイルも披露してくれた。
……が。
そんな奇っ怪とも言える戦い方を、私は1278回、打ち破っている。
やり方はその時によって変わるが、どれも真っ向からの接近戦だった。
槍が来れば剣で弾き、剣が来れば槍で落とす。
この場合はこう動く。こう弾けばこう隙ができる。全てが、手のひらの上だった。
要するに、だ。彼女は……ヒルデは、自分を駆り立てる激情を抑えられなかった瞬間、詰むのだ。
『私』という、『地下施設で初めてヒルデを倒す』ことを3695回繰り返した、『対ヒルデ戦闘員』に、敗北する形で。
「最初から、無意味だったというの」
「そうだね」
「どうして……こうなったの。こうなってしまったの」
「ヒルデのいい分だと、私が来たからでしょ?」
「そう……あなたが、あなたが来たから……っ!」
「そう、思いたいだけじゃなくて?」
「そんな、ことは……」
実際、そんなことはないだろう。
なにせ、私はズルをしているようなものだから。歴史を紙面で見るのと、実際に体験するのとでは、話が違う。脚色なしの、ありのままの物語は、体験せねばわからない。
その体験をするというのが無理な話なのだが。
そして、残念ながら。私は来てしまう。
コスモ・グランデに。神界に。学園に。寮に。Aクラスに。
それをなかったことにするのは、運命神でも難しいだろう。
「私は、これから先……誰も殺したくない。死んでいい命なんかないと思ってる。でも。それでも私の前に立ち塞がって、剣を抜くというのなら」
いくつもの失敗を見た。
甘い価値観で見逃した者に殺されたこともあった。
あれやこれやと、私の計画を邪魔する者に殺されたこともあった。
私とて死にたくない。痛いのは誰もが嫌がること。命を失うのは……もっと、もっと嫌なこと。
「──その時、私は本気で敵を消す。殺すのではなく、消す。存在を、なかったことにさせるように」
「──っ」
「でもね、ヒルデ。私は3000を超えるあなたを、一度だって……」
油断していたのか。いや、想定の範疇だ。
突きつけた剣の下。そこにあるヒルデの両腕が動いた。
弾かれて飛んでいく剣を眺めながら、私は再び戦闘態勢に移る。
「……まだ、やるっていうんだね?」
「とう、ぜんっ……まだ、死ぬわけには」
…………。
「まぁ、私はまだ余裕があるしね。なんなら回復したげようか?」
「……結構よ」
「そうかい」
私は制服のポケットに手を突っ込む。最早剣など必要ない。ただ躱し続けるだけで、あとは勝手に力尽きてくれる。
ちなみに。
この戦いで、ヒルデは全力でのライドを行っている。それに対し、私は……
『本当にいいのかい?』
「ん? もちろん。見届け人になっておくれ」
『まさかライドしたヴァルキリーに【朧月】一本で立ち向かうとは……』
そう。私は今回、ライドをしていない。
それどころか、【朧月】による武器はヒルデのものに似せてある。要は片手剣と槍だ。
妖術なんかも一切使わず、経験と記憶、そして勘で動いている。
これまでのヒルデとの戦いで、ライドなしというのは初めてのことだ。しかし3000の経験から、私はそれが可能だと踏んだ。
ヒルデの癖、太刀筋、思考なんかも手に取るようにわかる。
速度は早い。が、パターンが少なすぎる。
言うなれば、奇想天外さが足りない。
もっと搦手を使わなければ、私は倒せないだろう。ましてや殺すなんて以ての外。
さて。
今度は少し趣向を変えてみようかな。
回避メイジ……というと少し違うかな。
避けつつ妖術で攻撃する。そして手は使わない方向で。
いわゆる舐めプってやつだ。
「さぁ、最悪の時間を始めよう」
どこぞの骨(兄)のように口元に三日月を浮かべ、カッ、と目を開く。骨の兄貴の目は節穴のはずなので意味合いは違うが……ここは気分だ。
ヒルデのいる位置に《狐火》による炎柱が立ち上がるが、作り直した翼で回避される。
そのまま直角に突っ込んでくるが、私は左右にブレながらそれを回避する。MISSという表示が出そうだが、現実の戦いはターン制ではない。
槍を突き立て、それを支点に聖剣を振るってくる。それを《風刃》で迎撃し、槍の刺さっている部分を爆撃する。
バランスを崩したところで蹴りを入れ、距離を開ける。体勢を立て直して、また突っ込んでくる。
ヒルデにしては珍しく、直線的な動きしかなかったように感じる。
そして、何度目かの蹴りがヒルデの脇腹を抉り、彼女は遂に起き上がらなくなった。
「当たらないね」
諦める様子のないヒルデ。顔をあげ、殺意のこもった目を爛々とこちらに向けてくる。
しかしどんなに睨みつけようと、その身体は傷ついていく。
「が、は……」
「あーあー、血まで吐いちゃって。こりゃ医務室行きかな?」
「うる、さい……!」
ヨロヨロと立ち上がり、槍を支えにこちらを睨みつけてくる。
限界か。
「仕方ない。一旦頭をキンキンに冷やしてあげよう」
私はポケットから手を引き抜き、彼女に水をぶっかけた。それでは止まらず、一瞬のうちに彼女を氷漬けにするのだった。
◆
物理的に冷やされた頭は、丁寧に扱わなければならない。
しかし、いくら頭は冷えようとも、やってしまったことは変わらないのだ。
「…………」
「…………」
謎の沈黙が生まれる。
いや、分かってはいる。どうしてこうなった、と言いたい顔だ。これは。
現在、私達は寮の風呂に浸かっている。2階部分にある温泉の中には「精神安定」なんていう効能のあるものもあるので、そこにドボンしたわけだが。
ヒルデは後ろめたさから。私は未経験から。全く話が進まない。
さて、どうしたものか。
「……取り敢えず、服を脱いでくるわ」
「ああ……そういえばそのまんまドボンだったからね……私は腕輪にしまっちゃったけど」
ヒルデの切り出しは、とても殺し合いをしたあとに出る言葉ではなかった。シュールだが、笑ってはいけない。笑えるはずもない。
「なんならしまっとこうか?」
「……お願いするわ」
一瞬迷ってから、アーサーと分離。着ていた制服を私に預けてくる。
うぅん、なんとも無防備。
「えっとね。ここから先は私も未経験部分。今まで、一緒に風呂に入ることはなかったから」
いつもは大体、ヒルデが死んでしまうので根本的な解決にはならなかった。
しかし……今回は私が攻撃の手を緩め、最後にはヒルデを凍結させた。命は落とさず、こうして話し合える機会を得た。
「その……私を知ってるって言うのは、なんなの? ……いや、いいわ。どうせ言えないのでしょうし」
「うん……それなんだけどね。許可が下りてしまったのですわ」
「……え?」
「あんまりポンポン使っていいものじゃないんだけどねっと!」
いつからいたのか、という程に影を薄くして潜伏していたスクルドさん(全裸)によって、時間が停止する。風呂場の床にはお馴染みの刀。
私としては二人、腹を割って話したかった。互いに行き違いもあったろうし、このまま終わるのはよくないと思うから。
しかし、それにはどうしても『説明』が必要となってしまう。 世界規模の隠し事を、言い方は悪いけど癇癪持ちにバラさないといけないのだ。
私は悩みに悩んだ挙句、ゼノヴァに頼んでスクルドさんを呼んでもらった。相談の結果、大丈夫との事だったので、こうして話す場を設けられた。
「アース」
『なんだい?』
「アーサーと、少し話してきて」
『了解』
『私も少し話をしたいところであった』
エインヘリヤル達は少し別の場所で話をしてもらう。とはいえ、湯に浸かりながらではあるが。
「それで……ヒルデ?」
「あ……あ? え? スクルド、先生?」
「はーい☆ みんなのアイドルぅ、スクルドちゃんでーす!」
きゃるるんっ☆ と目元ピース&ウインクをかましているスクルドさんを沈め、私は本題に入る。
「どこから説明しようかな……あ、まず師範のことから入った方がいいか」
ヒルデは未だ固まっている。なにか珍しい生物でもいたのだろうか。珍獣ハンターはまゆを太くしないといけないんだぞ。
世界の果てまで行ってきそうな珍獣ハンターを思い出しながら、一つ一つ話し始める。
「師範……世間でいうところの、星滅神ディザスター。彼は──」
そして語られる、歴史の真実。
私の話が始まると、ヒルデは真剣な顔で聞いてくれた。今までのように無視する訳でもなく、たまに思案げな表情をしていることから、どうやら本当の意味では嫌われていなかったようだ。
私が話し終わると、ヒルデはしばらく唸ってから……静かに口を開いた。
「……それで、その話をして、私にどうしろっていうの?」
「いや、別にどうも」
「は?」
思案顔が怪訝そうに歪められる。
「ヒルデにこのことを話すメリットはないってこと。別にアレスを倒すのに協力する必要は皆無だし、むしろ無関係でいてくれた方がいいかもね」
「じゃあ、なんで……」
怪訝そうなヒルデに、私は人差し指を立ててこう言う。
「友達をね、簡単に失いたくはないんだ」
「…………」
ヒルデの顔は俯けられてしまって見えなくなった。しかし、お構い無しに続ける。
「確かに、私は5回に1回のペースでヒルデに襲われて、その都度 殺めてしまっている。でも……それでも、ヒルデは私の、七海藍波の友達だよ。それは、どれだけ繰り返そうと、変わらない」
「でも……私はあなたを殺そうとしたのよ?」
「まぁ、やっちまったことは変わらないだろうけどね」
止まった空間なのに漂う湯気を揺らしながら、ヒルデに向き合う。
「だから……その、これからもお友達でいてください」
圧勝したからではない。
完封したからでもない。
ただ、1人の友人として、ヒルデと付き合っていきたいだけだった。
確かに怪しい部分、わからない部分はあるだろうけど……
「……ごめんなさい。私も動揺してるみたい」
「動揺しない方がおかしいよ」
そう言って、笑う。どんよりジメジメはよくない。風呂ゆえ湿度は高いが、これも気分の問題だ。うん。
「そーだよ! 喧嘩別れなんて哀しすぎるからね! ムムっ、私の未来視では……うん、それは2人が未来で見るものだね」
なぜこのタイミングで首を突っ込んできたのかは謎だけど、未来視で得た情報を言わないのはいい判断だと思う。取り敢えず、沈め直す。
そしていつか、ミストにも言った言葉を口にする。
「私達は、今を生きよう」
「許して、くれる……の?」
「もー、何度もそう言ってるの! 包み隠さないよう、服まで脱いで! 誠心誠意、お話したの!」
両腕をバッと広げ、ヒルデに抱きつく。彼女は、震えていながらも ちゃんと温かかった。
「ごめん、なさいっ……!」
「いーのいーの。それよりヒルデが私を許してくれた方が嬉しいよ」
元々私はヒルデを嫌ってはいないし、今までの記憶からすると何度も死なせてしまっているから、どちらかというと私は許される側のはずなのだけど。
……まぁ、いっか。
泣きはらすヒルデの頭を撫でながら、体の芯まで温まるのを感じた。