-141-考査と、難問と、捨てたものと。
「では、期末考査を開始します。用紙を表に返して、はじめ」
ビラッと一気にめくる音が教室の各所から聞こえる。
かくいう私も同時に用紙をめくっており、第1問に取り掛かっている。
学校の試験。ここのものは非常に簡単……と聞いていたのに、
(話が違うぞ……なにこの難易度!?)
時空間演算とか聞いてない。というか、習った記憶もない。
試験官にバレない程度に視線を巡らせれば、周りも同様にして頭を抱えていた。おいおい、次席さんまでもがペンを置いてしまっているではないか……
でも……うん。まぁ……。
解けるんだよなぁ……。
改めて、自分がとんでもない域に至ってしまったと実感する。こんなの、とてもじゃないけど人間じゃない。
(第2問は……天体の消滅予測!? 本気で言ってんの!? まあ解けるけど!)
そう。解けてしまうのだ。9割以上の人が理解できないような、天文学的な難問を。
この知識の源泉となったあの人は、これらをいとも容易く扱ってみせた。なので、それを擬似的に引き継いでいる私ができなくてどうする、という話だ。
(うん、スラスラ解ける。なんかズルしてるみたいで気分悪いけど……中途半端に手を抜くと別の記憶を見せられそうだし。ちゃんとやろ)
あの日以来、私はあの人に頭が上がらなくなっていた。初対面こそ敵同士……今となってはそれすら怪しく感じるが、それはそれ。私からすれば倒さなきゃいけない状態の人だった。
でも、居合わせた友達や色んな事情が絡み合って……うぉ、時間が無い。
50分って、こんなにあっという間だったっけか。
最早時間感覚が狂っている私にとって、単位が『年』以外のものは一瞬で過ぎ去ってしまうのであった。
「では終了です。後から回収……こら、往生際が悪いですよ」
「待って! あと少しで抗議の文章が書き上がるんだっ!」
「あなたは何をやっていたのですか!?」
先生の終了の合図で、テストが無慈悲に回収されていく。
性根尽きて幽鬼のような顔をしたクラスメイトたちがぬらりと立ち上がり、水を飲みに廊下に出ていく様は異様の一言に尽きたが、あの内容じゃあなぁ……
「ねぇ、あなたは随分と余裕そうな顔だけれど……そんなにいい抗議文が書けたの?」
「書かないよそんなのは。普通に解いたの、普通に」
ザワッ
「え? 今なんて」
「あれを……解いた?」
「嘘でしょ……」
机に突っ伏して干からびていた人も、窓に手をかけて黄昏ていた生徒も、床に大の字になって最期の時を待っていた生徒も、全員の首がこちらに向いた。
その光景に思わず苦笑いをしつつ、慰めの一言を放ってやる。
「ま、あれを解けるのは人間じゃないから安心して。君たちは! 正しく! 人間であるッ!」
「「「嬉しくないっ!!」」」
懐かしいなんてものじゃない。遠い昔に置いてきてしまったかのような感覚。でも、日常は確かにここにある。
私に挿し込まれた記憶。私のものであって、私のものではない誰かの記憶。そのどれにも、この光景はなかったから。
「……人間さんは日常を楽しむといいんだよ?」
「藍波、最近大人びてきたよね……なんというか、年季がはいって私の指ィ!」
「レギンは相変わらず一言多いからね。肉体言語って有用だよね」
抗議文を書ききれなかったレギンの無能な指にギリギリと爪を立てる。同時に関節と逆方向に捻ってやり、一口で二度痛い、そんなプチ折檻を行使する。
ちなみに、これは挿し込まれた記憶で得たものではない。
「はんっ! 余裕ぶっちゃって……結果が楽しみだね!」
「ヒルデはどのくらい解けたの?」
「無視しないでよ!」
「一応解答欄は埋めたわ……教育委員会への抗議と、問題作成者への呪詛でね」
おおぅ……思ったより傷は深いようだ。ケタケタと笑い始めたヒルデを現世に連れて帰ってきてから、次のテストに備える。
「次はなんのテストだっけ」
「歴史」
「満点必至かよ」
何回終末を見てきた……見させられたと思ってるんだ。加減を間違えて2万やぞ!? 正気か!?
そしてその一分創世の瞬間から。もうね、これで歴史わかりませんとか許されないよね。
……えー。サラッと流したけど……
私は、ウルドさんの調整ミスにより、私とは全く関係ない記憶も見せられた。もちろん主な記憶は私だったが……一分くらいは俯瞰視点だった。
先も述べたが、創世の瞬間……ウルドさんの存在の有無にかかわらず、洗いざらいすべての記憶。世界の情報を、私は詰め込まれてしまった。
なんでも刀の挿入時にくしゃみをして根元までズブリと行ったらしく……ホント何考えてるんだろ、あの人。
現実時間にして約2分。その間に「世界の記憶」をぶち込まれた私は目覚めると同時にパンク。頭から煙が出て発火、もとい破裂寸前に陥ってしまった。
ウルドさんが必死に「過去」として抑えようとしていたが、毎秒ごとに破裂しそうになっていたのではキリがない。
そこでみんなの【環境順応】大先生が活躍した。
脳の処理を一部……ほぼ全部引き受けて、ゆっくりと定着させる形にさせたのだ。幸いにも場所は停止世界、時間のことは気にしなくてもいいとの事だった。
2万回、2万通りの創世から終末までの流れを、人智を超えたスキルで着々と「思い出して」いく。
そして……体感時間、5年。私は2万の「世界の記憶」の制御に成功した。
なので……
「畜生っ! 藍波に首席の座を奪われるわけにはぁぁぁぁぁ!」
「はっはっは。精進したまえ、人間くん」
「ぐぉぉぉぉ……い、いい加減に指を話してほしい……」
あれま、レギンの人差し指がうっ血して青くなってら。ま、死なないし。いいでしょ。
なんでもかんでも、死んでしまうよりはマシなのだから……という感覚なのは、完全に麻痺している証拠だと思う。
「次のテストでペン持てなくなりゅから!」
「持てなくなりゅのか……それは可哀想だな……」
「え!? なんで別の指まで曲げ始めて痛たたたた!!!」
戦わずして勝つ。それの何が悪いのか。
……はい。単にライバルを潰したかっただけですね。
「まぁ、どちらにせよ私に勝つことは敵わないだろうし」
「なにおう!? あんぽんたんの藍波に歴史の重要性が分かるはずもあるまいて!」
はっはっは。よく吠えよるわ。
それに……
「歴史の重要性なら、この世で2番目に理解しているつもりだよ」
「ハァ? ついにこじらせた? 病院いこうか?」
レギンが本気で心配そうな……いや、これはイタイ厨二病患者を見る目だ。どうしてそんな目で見られねばならぬ……
「はい。用紙を配りますので、各自席に戻ってくださーい」
「へへーんだ。私の一夜漬けが火を噴くぜ!」
「そして燃え尽きるんでしょう? テスト用紙とともに」
「むしろ机すら燃やしかねないよね」
「ええい、うるさいうるさい! 私は満点……とは行かずとも、首席を何としてでも維持するんじゃあ!」
えー……結論から言うと、レギンは真っ白な灰となって発見された。レギンの席があった場所で。
テスト中なんか焦げ臭いと思ったら案の定火を噴いていたらしい。
ヒルデの手応えはよかったらしく、私は簡単すぎて欠伸が出る思いだった。
先程の数学に比べて、いくらか良心的な問題だったせいもあるだろうけど……
しかし、ヒルデ以外の子達は口々に、
「これってヴァルハラ中央大学とかユグ大の特進クラスの問題だよね」
「うん。私も赤本見たからわかる……これはユグ大の特進クラスでも2割取れればいい方の問題の質」
「え? そんなのやらされてたの?私結構解けたんだけど」
「「「こんのガリ勉がぁ!」」」
どうやら難しかったようです。
私?私は解答用紙全埋め、かつすべてが自信あり。というか、事実と違うものすら混じってたりして困惑したわ。その王子はそんな立派な事言ってないとか、その英雄が死んだのは栄えある戦死じゃなくてもっとドス黒い裏事情があったこととか。
そのへんが歴史の良くない所なんだよね……金と権力で事実をねじ曲げる阿呆がいるから。
実際に見てきた側からすれば鼻で笑えるレベルだった。
「はい。今日はここまでです。明日以降も試験は続きますので、準備を怠らないように」
ヨルム先生はそう締めると、回収した回答を持って職員室へと引っ込んでいった。
「どっか寄ってく〜?」
「いやいや、明日もテストだよ?」
「もうね、諦めたわ。なんでユグ大の問題解くために教科書見直すのって話よ」
「まぁ……ヴァルハラ、ひいては神界五本の指に入る名門校の問題だからね……教科書レベルじゃ、正直太刀打ちできないわ」
帰り支度を始めるクラスメイトたちはそんな会話をしながら教室を出ていく。きっとこれからどこかカフェにでも行ってグダグダするのだろう。
「藍波はどうするの?」
「私? ん〜別にすることないかも」
「くっ……この余裕っぷり……! 明日のテスト、藍波よりいい点とってやるから!」
「期待しないで待ってるね」
レギンはこれから果てしなき一夜漬けを敢行するのだろう。同室の私は煌々と輝く光の中で眠らなければならないらしい。
「ヒルデは?」
「私は……まぁ、少し粘ってみるわ」
「さすが筆記では学年どころか学園一位」
「その称号も今回で終わりそうだけれど」
はぁ、とため息をつくヒルデ。彼女からはレギンと違って、悔しさよりも呆れの感情を感じる。それも無理はないと思うけどね。
「ねぇ……私の記憶だと、あなたはそんなに頭、良くなかったはずなのだけど」
「酷いなぁ……私、傷つくよ?」
「ええ。私もひどいと思うわ。実力を隠していたなんて……」
ズキンと何かが痛んだ気がした。
「レギンと同レベルとまでは行かないけど、記憶や思考速度に関してなら、私よりも下だと思っていたのに……まさか、ドーピン」
「ヒルデ」
「…………ごめんなさい。らしくもないわね」
無意識に、私の声には殺気が込められていたようだ。ヒルデが言葉を切り、霧のかかった心を無理やりしまい込んで……帰っていった。
「……私も、帰るか」
この学園も、残り一年。何がなんでも力をつけねばならない。
その為に、私は『私』の時間を犠牲にしたのだから。