-140-策と、前進と、遡行と。
「にひひ、上手くいったかな?」
「はぁ……我が妹ながら悪質だわ……」
呆れるウルド姉に対し、私はもうおかしくって仕方ない。
だって、こんなにあっさりと信じ込んでくれるなんて。
手はず通りに被された毛布をとっぱらって、思わずニコニコしてしまう。
先程彼女が聞いたであろう嗚咽は嘘泣き。罪悪感からの同情を招き、味方に引き込みやすくするための……簡単な罠だった。
「これでこの子はこちら側につくね」
「まだ油断はできないけれどね」
「もちろんだよ。未来を言えないことは確かなんだし……あとは、彼女の一挙一動が、すべてを変えていく。それを、私たちはうまく誘導するだけ」
実際、出来ることは限られている。
もし仮に彼女が味方にならなくても、やることに変わりはなかったのだけど……やりやすくなった、と言えばわかりやすいか。
「私の迫真の演技、思い知ったか!」
「思い知る以前に、バレたら即死の可能性が……」
「うぐぅ……確かに」
彼女は、大戦の記憶……それも「死の瞬間」を大量に見せてしまった。それは、恐らくこの世に存在するどんな拷問よりも残酷で、無慈悲なもの。
むしろ、過去の彼女を戻しただけで正気に戻れたのは奇跡としか言えない。
ウルド姉の力のみの記憶操作は、《現在》が消されないために戻したい位置から現在までの記憶が丸っと残る。寝ていれば大した問題はないが、今回に限っては痛烈な……とても忘れられないような体験。
それだけは、本当に悪いことをしたと思っている。
「それより、彼女に言われたことは大丈夫なの?」
「え?だって私自身そう思うし、神ってそういうのも仕事じゃん?」
「割り切ってるわね……私からすれば悲しくて仕方ないのだけれど」
私よりも姉にダメージが入っている。なんとも不思議な光景だが、ウルド姉はこれがデフォだ。
本人以上に自分が心を痛め、涙する。それだけ慈悲に満ちている……というと、語弊があるかもしれない。
彼女は、何度も記憶遡行をしている。
私の未来視とは少し違った手法で未来を知ることが出来るのだが、それは私の「見たものをなぞる」のではなく、「やってきたものをもう一度やる」のだ。
それをする理由は、IFの切り捨て。ただそれだけのために、彼女の精神年齢は世界の年齢を超えている。
だからこそ、私やヴェル姉の──ヴェル姉は別かもしれないけど──痛みや悲しみなんかがよく分かってしまうのかもしれない。
何度も、繰り返してきたから。
……まぁ、今回の件に関してはこれが最後になりそうだし、きっと大丈夫だろう。
誘導の果てに、少女が導く世界に光あらんことを。
◆
──アニマ国・王城──
「は?」
「は?」
「信じたくないのはわかりますけど……」
ストンと抜け落ちた顔の二人に掴みかかられているカッシュくんを横目に見ながら、私は途切れた報告を引き継ぐ。
「それで、ムニンさんという方が2度目に来た時に告げられたのが……『会議の結果、七海藍波は戦乙女になるべく養成校に通うことになりました』とのことだったです」
「「は?」」
カッシュくんの胸ぐらを掴んでいた二人の目がグリンッとこちらを向く。喉からヒッ、と変な音が漏れましたが、どうにかして報告を続けねば。
「そ、それで……力をつける、という具体的な方法と達成条件なのですが、とある神殿にいるとされる魔獣を討伐すると微小ながら【神性】が獲得できる、とのことだったので」
「「なんだって!?」」
二人の真顔が崩れる。先程までの能面のような表情とは打って変わった、鬼気迫る表情に思わず縮こまる。
カッシュくんは放り捨てられ、今度は私の肩が掴まれる。痛い。すごく痛い。多分全力で掴んでるな、と分かるほどに痛いのです……
「ごほ……その神殿というのが魔人領にあるらしくて。そこに行く前に一応報告を、と」
「「ついて行く!」」
「駄目ですよ!何言ってるんですか二人して!あなたは国家元首で!あなたはその補佐でしょう!?」
「「国なぞ、どうとでもなるわ!」」
「臣民に謝れ!」
むちゃくちゃ言ってるのです。どう考えても国王を連れていくわけには行かないし、その隣にいる人を連れていけば大混乱間違いなしなのです。主に私たちが。
「ネストはあれとして、私は大丈夫でしょう!?」
「あんたが一番問題児だ!」
「な、なんですって!?」
このとおり、自覚がないようで。どうしてこの母親からお姉さまのような素晴らしい人が育ったのか……アニマ七不思議に登録決定なのです。
「つーれーてーいーきーなーさーいーよー!」
「……ここまで来るといっそ哀れですね」
「すぐに拘束部隊と治療台を用意して欲しいのです。彼女が遺体になる前に」
「まぁ待てお前ら。目が笑ってないぞ?冗談、冗談だよな?」
「「ええ、冗談ですとも」」
「だから目が笑ってないぞ!?」
菓子をねだる子供より子供らしく地面を転がり回る王宮妖術師(笑)にトドメをさしてやろうと銃口を向けると、慌てた様子の王に割り込まれてしまった。命拾いしたな、なのです。
「……今回は。今回だけは、お前達に任せる。だが、約束しろ?この件が終わり次第、私達もそこへ」
「「では行ってまいります」」
「畜生っ!王に向かってその態度はなんだーっ!」
段々と王の威厳が失われつつある、今日この頃。
なんやかんやで、出発なのです。
◆
「すまんの……今お主らをここから戻すことはできんのじゃ」
「いや、別にそれはいいんだが……いやよくはないか。でも、帰れるんだろ?」
「私もです。兄様に会えるのであれば、いつまでも待っていられます」
「時が来れば、お主らを届ける。だからその間は……」
「ああ、分かっている」
「力をつける、ですね?」
妾の言わんとしていることを理解してくれているようで助かる。本来ならばすぐにでも送り返してやりたいところなのじゃが……色々と事情があるのでな。
ここの本来の機能は、現在停止させている。
今輪廻を廻せば、新たな犠牲者が現れてしまう。なので、どうしても留まってもらうしかない。
……なるべく早く頼むぞ、スクルドよ。
◆
……夢を。夢を、見た。
もうはるか昔のようにすら感じられる……奈落に落ちた日。あれがなかったら、どうなっていたか。
そんな、都合のいい、そして全く意味の無いIFの夢。物理的な問題では誰も死なない地上世界で、人類の敵と共に修行を積んで……大会で成績を残して。いつかは引退して幸せな家庭を──
崩壊。
周りの人々がバタバタと死んでいく。
果てしなき悪意が世界を満たし……守護られていた者達が、なす術なく淘汰されていく。
そんな超常の中で、私は酷く無力で──
「──ハッ!」
「……大丈夫?酷くうなされていたけど」
「はぁ……はぁ……」
なんだろう、今のは。
夢と分かっていながら、本当に死ぬかと思った。大戦の記憶、死の瞬間を見てしまったからだろうか。より鮮明に、よりリアルに、死を間近に感じた。
脂汗をダラダラと流しながら、差し出された冷水を煽る。身体が内側から冷やされていき、どうにか冷静さが戻ってくる。
「ふぅ……ありがとうございます」
「ううん。それより、本当に大丈夫?」
「はい……何とか落ち着きました。あまり気分は良くないですけど」
夢。夢だったはず……なのに、どうしてこんなにもハッキリと思い出せるのか。
転写されてしまった写真のように、その光景が脳から離れない。
「……ひとつだけ、謝っておきます。ごめんなさい」
「……え?」
水をもう一杯持ってきてくれたウルドさんが、こちらに頭を下げてきた。
唐突だったので、反応に困っていると……
「私は……潰してきたIFを、あなたに見せました。あれは、『七海藍波が大穴に落ちず、普通の生活を送っていた場合の世界の結末』です。あなたはあそこで死に、世界は滅びました」
「なん……え?だって私は生きて」
「有り得たかもしれない世界線。今回のものに関しては『実際にあったもの』です。誰も覚えていない、誰も知らない。既に消滅した概念です」
「よく……わからないです」
「ごめんなさいね。これの説明を理解できるのは私たちくらいのものだから……」
異世界に呼び出されてからというもの、ずっと頭がぐちゃぐちゃだ。後で考えよう、後で考えようって、次から次へと問題が降り掛かって……
しかも、今回は。私が死ぬ場合のIF?何を言っているの?私は今、ここで生きている。ここにいる。存在している。
掻き乱されて散らかった思考が、後回しを提案する。また今度理解すればいい。また今度、じっくり考えればいい。そんな風に。
でも……
「一つ一つ噛み砕いて説明してもらってもいいですか?私は、このことを理解しないといけない気がします」
「と言っても、あれ以上は……」
「なら、もう一度見させてください」
理解したい。今すぐに。でないと、何かが狂ってしまう気がして。過去からの警鐘が、今に届いている気がして。
「もし、失敗してしまったら、あなたは廃人に……生きる意味を見失った『感情なき人』になる可能性があります」
「それでもです。……そして、その場合も、知っているんですね?」
ウルドさんは虚を突かれたような顔をして、そして見たことのないような不敵な笑顔を浮かべた。
「ええ。私は、色んなあなたを知っています。そして、今回の返答は、今までにない……新しい道筋です」
「ちょっ!ウルド姉!それ以上はダメな気がするんだけど!」
色んな「私」……多分、過去に、ウルドさんが潰してきたIFの世界にいたであろう私。無力にも死んでしまったであろう私。
それを、彼女は知っている。
「でもスクルド?この子は今までの事例以上に前進しているわ。多分……ここが正しい道」
「うぅ……賛同、するしかないかもね」
スクルドさんの言うダメなものは、きっと運命に関わることなのだろう。言えば変わってしまうほど不安定で、それでいて確定的なもの。
それを、ウルドさんは私に託そうとしている。
最悪、過去に戻ってやり直してしまえばいいのだろうけど……なんて、悲観的な思考を殺す。
やるんだ。絶対に。
乗り越えて見せよう。必ず。
「じゃあ……これを使って」
スクルドさんが取り出したのは、ひと振りの刀。それは、かつてヴェルさんが使ったとされる刀と同型のものだった。
「《同期の運命》……ヴェル姉の権能を一時的に行使できる刀。これでウルド姉の記憶を、あなたに流し込む」
「私の行ってきた記録抹消作業は、総数5億にものぼるわ。そのうち、核心に触れるもの……20に絞ります」
「力加減を間違えると全部行っちゃうんだなコレが。その場合は堪忍してね?」
5億と20の差はでかい。なにせ……何倍だ?
「さすがにそんなヘマはもうしません。では……いいですか?」
刀を手に、確認するようにこちらをのぞき込むウルドさん。見守るように佇むスクルドさんをチラリと見やり……私はコクリと頷いた。
「お願いします」
「わかったわ。──《同期の運命》、展開……擬似権能行使……忘れ去られし歴史を、ここに顕現せん」
刀が、ゆっくりと迫ってくる。その刃は、不殺……殺生ができない、優しい刀。
それが、するりと私の中に入ってくる。
「あなたの過去を、存分に──」
──生き延びてね。