-113-処理と、夢と、神界と。
真っ白な空間には、もはや悪意は存在していなかった。一面に修正液をぶちまけたような部屋で、地獄門の閉門を見送る。
『あとはウルド姉の肉体の対処だね。魂は分離できたから、肉体は死んでしまっても構わないんだけど……』
「既に死んでる、よね」
『いつの間にかね。周到なディザスターらしいな』
恐らく、持ち帰られてネクロ化及び邪神化の術を知られることを懸念したのだろう。
『それで藍波。君が見たという彼──勇者はどこへ?』
「ここまで見てないよね。リリィたちはまだ会ったことないっけ?」
「いえ、私は見たことあります」
「僕はないですね」
そういえば、リリィはあの遺跡で勇者と会ってたか。
「それらしき人影は?」
「見てないのです。ただ、気になるのがあの『声』なのです」
シドをネクロ化させたエネルギー弾を撃ってきた声の主のことだ。師範……ディザスターと会話していたことから、敵であることは間違いない。
『確かに彼とその声の主は気になるところだけど、今日はもうここを出よう。……みんな辛そうだ』
「そう……だね」
通夜のような空気の中、ウルドさんの遺体はここに残しておくわけにもいかないので、ヴェルさんの指示で焼却した。
そして、私達は一人と一柱欠けたまま、部屋の出口に向かう。
今更思い出した、カーナの言っていた『無』の未来。あれは、やはりこうなることが見えていたのだろうか。
「運命……か」
『藍波……』
「よし、うん!いつまでも下向いてたら、シドが帰った時に茶化される!いつも通りに行こう!」
ズキズキ痛む胸を制し、今回の出来事を糧とする。
まだシドと完全に会えなくなった訳では無いのだ。ヘルによって閻魔の説得が成れば、きっと帰ってくる。
その時に見せる顔は、笑顔でありたい。
「ん、出口か」
「ふわぁ……久々の太陽光なのです」
「一日経ってませんけどね」
「気分の問題なのです」
留めてあった馬車は健在。なんの支障もないようだ。
「疲れてるだろうから、一旦寝てから出発しようか」
「賛成なのですが、少し遺跡から離れませんか?彼がもしいた場合、面倒なことになりかねないのです」
「あぁ……確かに」
私達は体力的にも精神的にも限界が近い。そんな中で見張りやら戦闘やらが出来るはずもない。
勇者を探して問いただしたいのは山々なのだが、今は休むことを優先させる。
「じゃあ……あそこまで、行ける?」
「お任せあれ、なのです」
私達は例の場所へ向かうことにした。
◇
道中は特に問題なし。ただ、リリィが運転中だというのに寝るのも申し訳なく、ずっと起きていた。周囲の警戒や軽食を摂り、万が一に備える。
まぁ、警戒したところで何もなく、目的地につけた訳だが。
「随分と早いお帰りですね……あれ、シドさんは……」
「うん……ああ、私達このまま寝るから、詳しいことは明日話すよ」
フロントでちょうど鉢合わせたザックにそれだけ告げると、私達は目的地だった『天の楔』にある自室に向かう。
風呂にも入らず、着の身着のままでベッドに倒れ伏す。それだけで、意識は簡単に手放されるのであった。
……夢を見た。
いつか、彼が生き返る日が来て。別れ際に伝えた事が、形となって。例の詐欺じみた方法ではなく、ちゃんとした手順で式をあげて。
幸せな家庭。笑いの絶えない家庭。気が早いかもしれないけど、子供もふたりいて。
兄妹で喧嘩して、私が叱って。彼がそれをたしなめて私に怒られる。それを見たリリィとカッシュくんがだいたい同じ理由で拗ね、彼は体育座りで部屋の隅ですすり泣いて……
──ゴン
「いったぁ……」
どうやらベッドから上半身だけ転げ落ちてしまったらしい。頭を床に打ちつけてしまい、後頭部に痛みが残る。おかげで幸せな夢が霧散してしまった。
「今何時だろ……」
未だにだるい体を引き摺りながら窓際に寄り、外を見ると……空は西日で赤々と染まっていた。
「夕方……?」
ここに到着したのは夜の話だから、ほぼ丸一日寝ていたことになる。とすると、アレが怖い。
「ザック!ザックはいる!?」
「はいはい、なんですか?」
私の呼び声に反応してドアを開けたのは、『天の楔』に住まう「ミズガルズ」リーダーのザック──ではなく、見知らぬ男性だった。
「……誰?」
「ああいえ、そんなに警戒しないでください。敵じゃないんで」
思わず戦闘態勢に移ると、男性は両手をあげて害意がないことを示してくる。
「……話を聞かせてもらおうか」
「はい、もちろん。そのために僕はここにいるので」
オッドアイの青年といった見かけの彼は、私が警戒を解除したことを確認すると、腰をおって礼をした。
「僕はシューデルゲ。ここの執事です」
「『天の楔』の?」
「いいえ。ここは神界です」
…………。
「はぁ!?」
「ふふふ、その反応を待ってました。あなただけ、『天の楔』から引っ張りあげてきたんですよ」
「えっ、そうじゃなくて。方法とかは今聞いてないんだけど」
私は「どうやって」より「どうして」を聞きたい。
「必要だからです」
「端的すぎるよ!」
「ええ……なんといいますか……」
シューデルゲさんが言い淀んでいると、彼の後から見知った顔が突撃してきた。
「シューデルゲ!なんで目が覚めたら神界に戻ってきてるのさ!」
「おはようございますヴェルダンディ様。御髪が乱れております。しっかりとセットしてからおいでくださいとあれほど」
「そ・ん・な・こ・と・よ・り!どうしてボクだけじゃ飽き足らず、藍波までこっちに来てるんだ!」
【朧月】の中にいたはずのヴェルさんだ。よかった、知ってる人がいて。
「必要ですので」
「端的すぎるよ!」
あ、すごいデジャブ。
「はぁ……もういいや。オーディン様の所行く」
「では準備を」
「いいよこのままで。どうせしきたりとか、ボクには無理だしね」
寝癖だらけのヴェルさんは、そのまま部屋を出ていこうとする。私は一体どうすればいいんだろうか。
「というか、オーディン様って」
「ええ、ここは北欧の神々が住まう場所ですね。ああほら、でっかい木が見えるでしょう?あれが世界樹ユグドラシルです」
うわぁ……でっけぇ……エベレストなんか目じゃないほど大きな木がそびえ立っている。なのに何故か木のてっぺんまで見える。なんでや。
「神界ですから」
「ねぇシューデルゲさん。あなた、一言足りないってよく言われない?」
「ええ、まぁ……それなりに」
わかってんなら直す努力をしてほしい。
「藍波ー!何をボサっとしてるのさ!君も行くんだよ!」
「えっ、どこに?」
「決まってるだろ、主神のところだよ!」
ちょ、主神ってことは……
「オーディン様のとこだよ!いまの状況を問いただすんだ!」
「いやいや待って!私こういうところの礼儀作法とか知らないから怖いんだけど!」
「大丈夫!ボクもしらない!」
「ですよね!」
ネット廃神が知ってるわけがないのだ。
「言わせておけば……!」
「こちらでございます」
「シューデルゲ!君はユグドラシルの上から紐なしバンジーしたいのかな!?」
憤るヴェルさんを押しのけてシューデルゲさんが案内を始める。彼女の相手をするのは面倒なので、素直についていくことにした。
礼儀作法に関しては、私は被害者だ。むしろ王座の前までズカズカ行ってやったって文句は言わせない。
「覚悟しとけよ軍神……!」
「頼むから面倒ごとは起こさないでくれ……」
殺る気満々の私と、いつもの事ながら情緒不安定なヴェルさんは、主語のない執事の案内で長い廊下を歩いていった。
四章終了です。
暗雲に引き摺り込まれたのはシドでした。実は、この作品を考えているうちから、ここのくだりは決めていました。
今後、彼はどうなっていくのか。また、藍波は今後どうしていくのか。
……どうなるんだろ。