-111-嫌悪と、地獄と、段階と。
「運命神……ウルド……」
「しかも邪神化ですか。ヴェルダンディさんから聞いていたとはいえ、ここまで禍々しいとは」
真名を知られたのを悟ったのか、彼女──イビル・ウルドから発せられる瘴気がさらに黒いものとなる。
大気中の瘴気の大半が彼女に集中したので、現在は白い空間に落ちたシミのようになっている。
『いや、邪神かと言っても、まだフェーズ1じゃ。強制的に乖離させればなんとかなる』
「ということは、まだ救えるってことですね?」
『もちろんじゃ。だが、それには藍波とヴェルダンディの協力が不可欠。そして妾はこの盾より消えることになる』
なんだって!?藍波さんたちはどこかへ消えてしまったし、【ヘル・ゲート】からヘルが消えるって……
『消滅ではないから安心せい。言ったであろう、用事があるから来たと』
「そういえば」
『……この際じゃ、もう話してもよかろう。妾はウルドの邪神化を止め、未来視で見えたシドの死を覆すために来た』
なんだか、ヘルといえばヴェルダンディさんと喧嘩しているイメージだったので、そのことをすっかり忘れていた。
「それより、シドさんの死って……」
『話すと長くなるので詳細は省くが……運命の分岐において、シドが死ぬことは確定済みになってしまっていてな。彼がどこかで死なんことには妾も動けんかったのじゃ』
「そんな……じゃあヘーちゃんはシドさんが死ぬのを待ってたってことなのですか?」
『……妾だって、死んでほしい人などおらぬ。それがどんなに愚かな者でもじゃ』
彼女は冥界の神として、いんな死者を見てきたのだろう。それぞれが自意識の塊で、地上に戻りたい者やこのまま死んでいたい者、どうしていいかわからない者もいただろう。
『すまない……妾はこの光景を知っておるのじゃ。じゃから……』
「ヘル、その話はまた今度にしよう。もちろん言いたいことは山ほどあるけどね。
でも、今立ち止まってると……ほら」
身を傾ければ、頭のあった位置を通過していくイビル・ウルドの触手。通過と言っても、そのはらむ威力はとんでもないものだ。銃弾なんかより遥かに威力が高い。
「今は、彼女をどうするのか。藍波さんたちが必要なら、見つけ出さないといけない」
「──いえ、その必要はないようなのです」
『やっと来たか』
白一色の空間に、どこからが転送されてきたように現れる藍波さん。その腕の中には……
「そんな……」
「シドさん……」
「ごめん、ごめん……!」
シドさんの白髪の頭を胸に抱き、とめどなく涙を流している。
彼からすれば大喜びのはずなのだが、その兆候はない。やはり……
「シドは……私が殺した。私が……!」
「落ち着いてくださいお姉さま!お姉さまは悪くないのです!」
「救えたかもしれないのに!もっと上手くやれていたら!」
あれだけ前向きだった彼女が、自己嫌悪に陥っている。その事実だけでも戦意はどんどん失せていくし、改めて遺体を見てしまうと心が苦しい。
だけど、ここは心を鬼にせねばならない。
「藍波さん。顔を上げてください」
「離して、離してよ!」
「いい加減にしてください!」
思い切り頬を張る。この際、女の子の顔だとか言うのはナシだ。
彼女は受け身も取らずにそのまま倒れた。
「人に散々諭すようなことを言っておいて、今更それですか!とんだ笑いものですね!」
「……それは……」
「自分がその状態になったことがないからああいう事が言えたんでしょうか。もしそうなら、あなたはこれまでであった人全員に謝りに行かねばなりません」
彼女なりに経験はあるのだろう。山篭りの修行だったり、日々の鍛錬だったり。それぞれ、見てて凄いと思ったし、見習おうとも思った。
「てめぇを責めてる時間があるなら行動しろ!それもわからないあんたじゃないだろ!」
「──」
でも、そんな憧れが膝をついている。もつ立たないと言う。それなら迷わず、縄で縛ってでも立たせる。それが僕──俺なりのやり方だ。
「……まさか、カッシュくんにこんな言い方をされるとはね」
ギリッと歯を噛み締めた彼女は立ち上がり、その場にシドさんを横たえた。
そして吼える。
「邪神、世界神上等だ!みんな等しくぶっ飛ばしてやる!」
「それでこそです。次ああなったら本気で殺しに行きますからね」
「ふふっ、どうかね」
固く手を握り合わす。彼女の手は、涙を流しすぎたせいか震えていた。
『……邪神化した神をぶっ飛ばされると困るんじゃが』
「ヘーちゃん、余計な事言わない方がいいのです……」
「いや、詳しく」
『ねぇ、ボクがさりげなく抑えてるんだから、早くしてくれないかなぁ!?』
「わかりました。じゃあヘル、説明を」
『うむ。了解じゃ』
ヘルの言う、邪神化を解く方法はこうだ。
1、魂と肉体とを切り離し、魂の方を保管する。
2、肉体を倒す。
3、魂を冥府へと連れ帰り、手続きを経て元の世界へと還す。
『この手続きというのが面倒での。冥界の神は妾だけではないのじゃ』
「ハデスとか、閻魔とか?」
『よく知っとるの。特に閻魔なんかはもうガチガチの堅物じゃ。死んだら死んだで諦めろという奴でな。中々生き返れるものが少ない』
閻魔さんは相当頑固なようだ。でも、ホイホイ生き返られても困るだろうし……
「え!?生き返れるんですか!?」
『なんじゃ、知らんかったのか。まぁここ3000年程蘇生者はおらんから、無理もない』
初耳だ。300年生きてきた僕の知識にもないとなると、相当のものだ。
「それで、魂の分離っていうのは……」
『うむ、そこは妾とヴェルダンディの合わせ技じゃ。現在の魂魄を固定し、妾が引き摺り出す。その際に【ヘル・ゲート】を使うからの。カッシュ、頼んだ』
えっ。
「なんで【ヘル・ゲート】を使うんですか?」
『それが【ヘル・ゲート】だからじゃ』
一体何を言っているのか……
『よく考えてみろ、地獄門じゃぞ?これ以上の近道はあるまい』
「成程……でも僕はいりませんよね?【ヘル・ゲート】だけで動けるんですから」
『門を開ける際は盾を持っていてもらわぬと大変なことになる』
「……どんな風に?」
『地獄が現世に顕現する』
「喜んでお供致しましょう」
おそらく彼女は比喩で言っていない。盾の制御が乱れれば、モノホンの地獄がやって来ることになるのだ。
『あ、シドも同時に回収する』
「……どうして?って、そうか。地獄門か」
藍波さんが一瞬怪訝そうな顔をするが、すぐに理解したようだ。……納得はしていなさそうだが。
「天国っていう選択肢は……」
『確実に戻ってこれなくなる。天国というのはそういうところじゃ』
「……それなら私も地獄に」
『残念じゃが、それはできん。生者は誰であれ、はいることはゆるされておらんのじゃ』
藍波さんが食い下がるが、やはりダメらしい。僕だって地獄までいってシドさんのそばにいたいけど……
『おーい、早くしてくんないかなぁ!?ウルド姉は怖いんだから!』
「正気保ってないでしょうに」
『先も述べたが、まだフェーズ1なのじゃ。この状態だと、記憶も残る』
あぁ……それはなんというか……
絶対後でなんか言われるな。
『ああもう!そろそろ拘束といていい?いいよね』
『チャンスは一度切り、かつ時間は有限じゃ。失敗しても、時間をかけすぎてもウルドの邪神化は進行する』
「短期決戦ですね」
「なけなしの実弾をめいっぱいくらいやがれなのです!」
「……まだ、気持ちに整理はつかないけど」
約1名、まだ悶々としているようだが、やることは分かっているようなので良しとする。これ以上は彼女の精神を破壊しかねないと思ったのだ。なにせ、無意識に自分が向けていた好意に気付いた、その相手を手にかけたのだから。
最近藍波さんのシドさんを見る目が面白かったので観察していれば、どうやらそういうことだったようだから。【盲目】持ちは伊達ではない。
……いけない、浸っている場合ではないのだ。
「行きましょう!」
「なぜカッシュくんが仕切ってるのかは謎なのですが、了解なのです!」
「……ありがとう、カッシュくん」
誰にも聞こえないように呟かれたのであろうそれは、たしかに僕の耳に届いたのだった。
カッシュの一瞬の「俺」は、前世のものです。
そのうちカッシュ編がある(かもしれない)ので……その機会に。