-109-痛みと、布告と、告白と。
創世神……
私は、その存在だけ知っていた。
かつてあった神界での大戦、その発端。
確か、封印されていたはずでは……?
『恐らく、力を封印したとき……本体には逃げられたんだ。多分狐人の集落だったり、君のいた世界に紛れていたんだろう』
「誠に屈辱的な時間だった。私がこうして力を取り戻すまで、貴様ら人間は繁栄を続けてしまった。どちらの世界でも、な」
彼の憎しみは深いようだ。かつての彼からは考えられないほど歪められた顔は、この世に生きとし生けるもの、すべてを呪っていた。
「貴様ら運命神の交信がどうして途絶えたか?簡単だ。私の部下が邪神化させたからだ」
『なんてことを……ウルド姉とスクルドはどこにいる!』
「それを教える義務も義理もないが……片方は、既にいるぞ?今頃外で暴れ回っているだろうがな」
『外……?遺跡の外ではないな?まさか』
「そのまさか。貴様らの連れ二人のいる、あの小部屋だ」
私は完全においてけぼりだ。話の1ミリも理解出来ていない。まず師範の存在からよく分かっていないのだから。
ただ、今この時、リリィたちが危険な目にあっているの理解した。
「はやく助けに行かないと」
『藍波、すまないがそれは無理だ。ネクロ化してしまったシドに加えてディザスターなど……ボクらじゃ到底逃げられない』
ヴェルさんが歯噛みするように言うと、師範──ディザスターはそれを鼻で笑う。
「私は手を出さんぞ?弟子同士の殺し合いに、首を突っ込んでなんになる」
『余裕たっぷりってワケだね。いよいよ頭きたよ』
「…………」
もはや、私の知っている師範ではない。
私のよく知る師範は、戦わせはするが殺し合いをさせることなどしなかった。
「藍波、まだわからんか。お前の師は、元よりこうだったということが。頑なに認めんとするならば、私が目を覚まさせてやろう」
言葉の意味を理解し損ねていると、右側面に焼けるような痛みを感じた。
見れば、どこからともなく飛来した片手用直剣が私の右脇腹を抉っていた。
それが、私の思考を現実へと引き戻し、気付けば問いを投げかけていた。
「……つまり、あなたはこの醜い世界を殺すと」
「何度もそう言っている」
「じゃあ……敵、なんですね?」
「お前が生まれるずっと前からな」
「そう、ですか……」
怪我に関しては《全快》でどうにでもなる。はずだったのに。
かけられたはずの万能治癒は、まったく効果を現さなかった。
「あれ、おかしいな」
異変を口にして、自分の声が震えていることに気がつく。どうやら、相当動揺しているらしい。
いや、これは動揺なんて生易しいものじゃないか。
「なんで……っ」
「それが運命だからだ」
第二の父親だと思っていた。
見た目的には完全におじいちゃんだが、それでも、家族のように思っていたというのに。
「全部、嘘だったんですか」
「全ては、目的のため」
淡々と語る彼の目を、私はもう見ることができなかった。きっと見てしまえば、厳しくも優しかった師範が戻ってきてしまうから。
「……では、幕引きだ。宣言通り、私は手を出さん。思う存分、殺しあえ」
「……てろ」
「ん?何か言ったか」
「首洗って待ってろって言ったんだ。私が、必ず貴方の計画を踏みにじり、砕き、挫折させる」
親しいからこそ、止めねばならない。
それ故の宣戦布告だった。
「昔から目標だけ高いお前らしい。達成出来るといいな」
師範……ディザスターは、ひとしきり高笑いした後、闇の向こうへと消えていった。
『──侵食段階、残り1%……しかし、予想外の抵抗にあっています。
再計算……完了。残り90秒で侵食可能です』
意識がないように見えて、今この時もシドは戦っている。悠長に話している場合でも、打ちひしがれている間もないのだ。
「ヴェルさん。私は、彼を殺すよ」
『すまない。【回帰ノ運命】が使えれば……』
「それは言わない約束。ないものをねだってもしかたないでしょ」
『……本当に、すまない』
彼女の必殺武器と言っても過言ではないふた振りの刀、【回帰ノ運命】と【希望ノ運命】は、使用に制限がある。
というのも本人次第で、理論上は やろうと思えばいくらでも使える。
ただし、その存在は完全に消滅する。
存在の消滅は、歴史からの退場。「なかったこと」にされるのだ。
今までどんな経験を積んでいて、どれだけ社会貢献をしていたとしても、消滅をした瞬間に、すべてが無に帰す。彼女の武器は、そういうものだった。
彼女自身、シドの、果ては私のために消滅しても構わないとか言い出しそうだったが、彼女にはまだ仕事が山積みになっている。
今消えるわけには行かない。そうでなくても消える必要はないというのが私の考えだ。
「9回。それだけの数の心臓を潰す。再生した途端に潰す。細かいことは考えない」
『……わかった。ボクも微力ながら助太刀きよう』
気の乗らなさそうな彼女に苦笑しながら、私は【朧月】を構える。
その敵意、殺意を感じたネクロ・シドは行動を再開する。爆発じみた勢いを持っての突進。もちろん剣を構え、こちらを突き刺そうという動き。
「──疾ッ」
『──!』
普段なら受けずに逃げに専念していたであろう攻撃を、正面から迎撃する。武器の根元を狙った、取り落としを試みたのだ。
絶妙な角度、タイミングで放たれた柄部分への攻撃は、吸い込まれるようにして命中。彼の手から【大地の咆哮】が離れた。
『好機!』
「畳み掛ける!」
このまま懐に入り込んで、一気に決める──!
『──!』
「チッ、流石にそうもいかないか」
小太刀のようにリーチを調節した【朧月】は、ネクロ・シドに白刃取りされていた。しかも二本指で、突き出されたものを。胸前1センチという位置で。
そういえば筋力のステータスでは負けていたな、などとビクともしない【朧月】を見ながら回想する。
「でも──チェックメイト」
小太刀形態の【朧月】の鍔が変形し、簡易な杭になる。そして──
──ドスッ
シドの左胸に穴が空いた。
「ヴェルさん、固定できる?」
『少しなら行ける!ただ、9回目までもつかは賭けだ!』
「いや、ありがとう」
突き刺した杭を引き戻せば、ウジのようなものが傷を修復する。
──ドスッ
間髪入れずにもう一撃。シドの手は既に【朧月】から離れており、呆然としている。
私は拘束の意味も兼ねて、シドを抱きしめる。
「私ね。シドのこと、割と嫌いじゃなかったみたい」
──ドスッ
「いや……もうこの際だし、素直になるか」
──ドスッ
「いつの間にか……ちゃんと好きになってたよ。シド」
──ドスッ
「なんでだろうね。シドみたいなのに引っかかるって、私も大概物好きだよね」
──ドスッ
「……密かに憧れてたんだよ?なんだかんだ言って強かったし」
──ドスッ
「それが……なんで。どうしてこんな形でこの言葉を伝えなきゃならないのさ」
──ドスッ
『フ……最後の最期に、いいことを聞けた。あの藍波が……そうか。ちゃんと、俺に惚れていてくれてたか……』
「シド……」
あと一撃。あと1回突き刺せば9回目。シドは死ぬ。
そんな時になって、ようやく喋ってくれた、最愛の人。
『ああ……本当に、どうしてこんなになっちまったんだろう、な。悔しくて仕方ねぇ』
「全くだよ。年下の女の子に告白させといて、死に逃げとか……許さないから……っ」
視界が不規則に歪む。その歪みは目から零れ落ち、頬を伝って大地へ還った。
『俺の答えは、言うまでもないな。今更言うのも気恥しい』
「言って」
『……は?』
「ちゃんと、言ってくんなきゃ……やだ」
最期に聞いておきたかった。彼の気持ちを。
それが、出会った時から聞いていたことだったとしても。
『──愛してる、藍波』
「──ッ」
もう耐えられない。とめどなく溢れ出る涙はさらに量を増し、脱水症状に顔中が痙攣を始める。
その痺れを知覚するよりも深いところで、私はシドの言葉を噛み締め噛み締め……
「……ありがとう。さようなら」
『おう。またどこかで出会える、ことを……』
──ドスッ
暗闇に、最後の命が散った。