彼が人間嫌いになるまで
ちょっとグロいかもです。
人間なんてみんな身勝手だ。どいつもこいつも。今もあいつの声が耳の中に響いている。
「あははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは。」
狂ったようにいや、狂った男は笑った。そいつは僕の'チチオヤ”という何かだった。母親はチチオヤの同僚に僕が小さい頃に嬲り殺された。しかもそいつは高飛びしてすぐ逃げ、今も捕まっていない。更にチチオヤはそれを笑った。
「あいつの飯はまずかったよな。」
そうあいつは笑い飛ばし、次の日別の女と家を出て行った。その時僕は3歳。家に閉じ込められた僕はあと数時間したら死んでいたらしい。
そこを拾ってくれたのは山奥の孤児院の人だった。優しいひとだった。最初はそう。でもお金がなくなって疲れてくるとおかしくなり始めた。いきなり子供を殴ったり、蹴ったりそんなことが日常茶飯事になった。
それでも僕は元気だった。ここには誰よりも明るい親友がいた。神楽坂 凛。キリッとしてて明るくて、みんなのまとめ役で。ぼくはそんな3歳年上の彼女に恋をした。ただ暴力は終わらなかった。
チチオヤはこっちにくるようになった。気晴らしと言う理由で足を踏みつけ、折れるまで踏みにじられたりした。気絶するまで殴られたり。そんなことが。そして孤児院でもついに一線を越える。
ある日廃材がいきなり落ちて来て、男の子が死んだ。凛もぼくもみんな悲しがった。その三ヶ月後暴力団が来て遊んでた男の子がまた死んだ。でもここは孤児院でかつ山奥。どんな言い訳でも出来た。そして5年が過ぎたころ、44人いたうちの28人が次々と死んだ。中にはまだ1歳にもならない子供もいた。市役所などにツテがあるのか誰も助けに来ない。もうこの頃には心が疲弊していた。凛さえももう疲れていた。
「だしてだしてだしてだしてだしてだしてだしてだしてだしてだしてだしてだしてだしてだしてだしてだしてだしてだしてだしてだしてだしてだしてだしてだしてだしてだしてだしてだしてだしてだしてだしてだしてだしてだしてだしてだしてだしてだしてだしてだしてだしてだしてだしてだしてだしてだしてだしてだしてだしてだしてだしてだしてだしてだしてだしてだしてだしてだしてだしてだしてだしてだしてだして。」
子供はそういい大人たちはそれを言われるたびにばきっという音とともに骨をへし折った。
やがて鬼ごっこが開催された。その頃子供は増えていた。暴力団がおいていったこどもであった。鬼ごっことは最悪のゲームだった。制限時間3分で森の中を大人から逃げる。それが3回続いて、増えて286人いた孤児院は57人になった。どんどん殺し方が悲惨になるのを見て、凛は言った。
「逃げるよ。次。私たちがみんなを助けるの。」
そして次のゲームでぼくらは逃げた。遠くにそして人を見つけた姿は身体中ボロボロのひどい状態だった。今までのことを全部いった。そしてその申請は通った。凛もぼくも涙した。でもしんでた。みんな死んでた。そこにあったのはただのしたい。よんかいめはですげーむ。つかまったぜいいん。で、みんなしたい。りんとぼくはただ頑張った。みんなの分頑張るために。もう凛しかいなかった。都会に出ては唾を吐かれ、田舎に行ってもこんなのも知らないと見下され、笑われる。凛だけだった。凛は言った。
「みんな死んで行った。どんなに辛くても今生きて心配させないことぐらいが天国にいるあいつらの供養になるかもしれない。」
そんなふうに毎日言ってくれて、ぼくは彼女と生きたいと改めて思った。そして一生懸命それこそ寝るじかんすらないほど頑張って…
しかし悪夢は訪れた。
ある日凛は帰って来たら死んでた。そしてぼくは彼女を見ていて気づかなかった。背後からの死に。内臓を刺された。クラムシカイデワラウアイツワラウ。ニンゲンナンテダイッキライダ。心に決めるとその瞼は閉ざされた。
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