07 真夜中のできごと
07 真夜中のできごと
どんどんどん、と、戸を叩く音が夜の闇に響く。
「ああ、何だいこんな夜中に!」
戸が開き元気な婆さんが顔を出す。
「仲間、病気、ポーション頼む」
そう言って、冒険者の男は金貨を2枚差し出した。
「なんだい? コカトリスにでもやられたのかい? こんな真夜中に尋ねて来るぐらいだ、急ぎだってのは分かるんだけどね、今は営業時間外だ。特別料金が必要だねぇ」
冒険者の男は、懐からさらに1枚金貨を取り出した。
「おや? まぁ、くれるってんならいいけどさ。しかし、迷惑料に金貨1枚かい。金払いがいいんだね。本当に訳ありなんだね。わかったよ。口外はしないさね。あたしもまだまだ長生きしたいからね。ほら、もってきな」
冒険者の男はポーションを受け取り、頭を下げて走っていった。
「あの冒険者……。この辺りじゃ見ない顔だったねぇ。黒髪に黒目か」
薬師の婆さんのつぶやきは夜の闇に溶けていった。
・
冒険者の残していった防具は、よく洗って拭いてあった。
それぐらいしかやる事がなかったし、いつか売れるかなと思っていた。
それでも酷いにおいがしたが。
C級とD級冒険者の防具をツギハギで着込み、夜中に街に入った。
夜道で人に出くわすかもしれないと思ったが、フィレの魔力レーダーで人がいるかどうかわかるらしく、フィレの指示通りに動いて、本当に誰とも会わずに薬屋にたどり着いた。
顔を隠しては居なかった。顔を隠すと、もしも誰かと出くわした時に誰何される可能性が高かったからだ。
冒険者ならフラフラその辺を歩いている事は多いが、顔が隠れていると巡回中の衛兵が冒険者の顔と冒険者タグを確認するという。
冒険者タグはあるが、全部死人の物。これを持ち歩くぐらいなら、携帯するのを忘れたと言った方がましだ。
わざわざ真夜中を選んだのも、人気が少ないからだ。
いくらツギハギで着ているとはいえ、死んだ冒険者の装備を憶えている人間もいるかもしれないし。
人目に付かないという事は重要だ。特に俺はこの辺では珍しい顔らしい。
薬屋の婆さんが、かなり俺の顔を見ていた。ダンジョンに侵入する冒険者は、皆完全に白人系だった。俺の様な東洋系の顔の黒髪黒目は珍しかっただろう。顔を憶えられたかもしれないが、なんだか勝手に納得していたようだし。大丈夫だろう。
しかし、特別料金で金貨1枚はやはり多かったか。
閉店後だし、幾らか上乗せするつもりはあったので、別にかまわないが。
いかんいかん。あぶく銭と思っているからか、使い方が荒い。
まだまだ残っているが、後はちゃんと食料買おう。
そういえば、俺まだ食事していない。
気付いたら腹が減って来た。でも急がないと。
「リブロースだ。起きているか」
と、小さく声を掛けると、ボロ布の向こうから、
「どうぞ」
と声が掛かった。
ボロ布を上げて中に入ると、かなり暗い部屋の中で、サエさんがベッドに腰かけて座っていた。
マイカが居ない。
「マイカは、知り合いのおじいさんの所にあずけて来ました」
ああ……。これは……。
「私は病気ですから、最後まではしてあげられませんが、それ以外なら……」
「違います」
さっさと話をぶった切る。
そういえば、今夜また来る、としか言ってなかった。病気で1年臥せっているとはいえ、元娼婦だし、確かにそう考えたのかもしれない。
「違うんですか?」
との問いに、
「はい」
と、はっきり答えた。
サエさんの隣に座って、ポーションを差し出す。
「これは……そんなっ」
暗闇の中でも分かったらしい。
「これは確か金貨2枚はしたはずです。そんなお金、私では払えるかどうか」
「気にするな。もらっておけ」
ポーションをサエさんの手に握らせ、押し付ける。
あれ? 俺今好みのタイプの女性の手を握ってるんじゃないのか? いいじゃない。
サエさんはしばらくじっと俺を見ていた。
だが、
「分かりました。これで病気を治して……。5年まって下されば……」
「だから、そういう事じゃないからね」
話をぶった切っておいた。
金貨2枚って、娼婦が5年で貯める額なのか。生活費を差し引いているとしてもかなり大きいな。
あのA級冒険者そんなの腰に下げてたのか。格差怖い。
しばらく押し問答があったが、やっと見返りはいらないという事がわかってもらえたらしい。
「しかし、でも、何で私なんかのために……」
「いから受け取ってくれ。必要なものだろう。めんどくさい押し問答は嫌いなんだ」
友人にいつも言われる事だが、あまりにストレートに言うなと。
実際それで何度も振られてきた。
よくわからんが、駆け引きとかが大事らしい。
俺の金でもっしゃもっしゃとリブロースを食っている目の前の女にそれがわかって俺に分からないというのは癪だが、まぁ女心は男にはわかるまい。
いや、そもそも俺低身長の短足だし。顔も良くない。理由はそっちだと思うんだが、友達が言うには違うらしい。
「わかりました。リブロース様と、女神様に感謝します」
「様付けは止めてくれよ。多分同い年ぐらいだぞ」
「そうなんですか? 私はもっと若い方なのかと」
若い方に様付けもどうかと思うが。
「あの……、やはり、私、病気が治ったら、リブロースさんに……その……体を……」
「だから、いいってば。だったら最初からそう言ってサエさん買えばいいわけで……。ああ、いいや。その辺の話はまぁ今度という事で」
「はぁ……」
ややこしくなりそうなので、話をやめた。
この辺も友人に怒られるところだが、どうも俺はめんどくさい話を放り投げる癖があるらしい。
そんな事言われても、話が進まないんじゃ投げたくもなる。
友人によれば、女はどうでもいい会話でも続けたいものらしい。
というか、女自身どうでもいい話と気付いててやってるんだなとその時思った。
「今夜は泊まっていかれるのですか?」
「いえ。無理です。一緒に寝ようものなら、我慢できなくなります。帰ります」
「……そうですか」
少し残念そうだった。脈ありか? 脈ありなのか? いや、希望的観測は置いといて、そんな事よりも、
「さぁ、早く飲んで下さい」
サエさんはずっとポーションの瓶を持ったままだった。
「……あの……。また来て下さいますか? まだお礼とかしていないので」
「ええ。もちろんです」
帰り道で思い付いた事があったのだ。
「そうですか。楽しみにしています。では……」
サエさんがポーションを飲み干した。
ただの飲み物で病気がすぐに治るってすげぇなと思ったが、地球でも一度ではないにせよ薬で治ったりするんだから似たようなものだろうか。
なんか、サエさんの体がわずかに発光している。
あれ? 全然違う。これ薬なんかじゃないよ絶対。
「母さん!」
そこにマイカが駆けこんできた。
「マイカ、どうしてここに?」
「外で隠れてたんだけど、お母さんが光ったから、その……どうしたのそれ」
こいつ、出刃亀してやがった。
会話までは聞こえて無かったようだ。一応ご近所様に配慮してお互い小声だったし。
「これはね、リブロースさんがポーションをくれてね……それで、私の病気……治るのよ……」
最後の方は声が震えていた。暗くて分からないが、泣いているのだろう。
「ホント? ホントに!? お母さん!」
マイカがサエさんの胸に飛び込んでくる。さっとポーションの空き瓶を取り上げた。
サエさんが自由になった両手でしっかりとマイカを受け止める。
ちょっと、暗いんだから気を付けなさいってば。
何やらまた小芝居が始まる雰囲気だったので、
「じゃあ、俺は帰りますね。明日の朝また来ます。今日はゆっくり休んでくださいね」
「はい。ありがとうございます」
「ありがとう!」
そうして、俺はダンジョンに帰った。
「なぁ、フィレ。俺はサイコパスか?」
『質問の意図が解りかねます』
「俺は冒険者達を何人も殺した。にもかかわらず、あの母子に人情の様なものをかけた。同じ人間相手に、やっぱりおかしいかなってさ」
『確かに、人間を殺し、人間を助ける。それは一見矛盾している様にも見えますが、いくつかの道理は通ります』
「例えば?」
『あなたはダンジョンコアと魂を融合させている。ダンジョンコアの維持はすなわち生きる事です。冒険者はあなたの食べ物です。対して、あの母子はただの人間です。必要な食べ物を食べ、あの2人にに情を注ぐ、という考え方なら矛盾しません』
「人間っていう枠組みは関係ないわけね」
『その通りです』
実は俺は病気にかかる事が無いらしい。
つまり、実際にあそこで、ポーションを飲ませる前にサエと色々やっても問題なかった。
それはさっき、帰って来てからフィレに聞いた事なので、後の祭りだが。
いや、別に知っていてもあの時はそんな気分じゃなかったし。
そう、俺は病気にならない。
ウイルスや病原菌が、俺の体の中で繁殖することはできない。
だが、完全に身体機能は再現されていた。疲れてもいるし、食べ物を食べないとエネルギーが作られずにやはり死ぬらしい。
死んだ後の俺の死体は、純度100パーセントの魔力結晶になる。
だから、ダンジョンマスターは殺される。
俺の体は魔力で作り上げられていた。
いつの間にか、俺自身がダンジョン産モンスターになっていた。
「やっぱり異世界転移じゃなくて、転生の方だったか。それならせめてもうちょっと理想の見た目にしてほしかった」
それは無理だとフィレに言われたが。
俺のつぶやきはダンジョン最深部の闇に溶けていく。