少年の頭の中の写真
アレグリア。
鉱山が街を囲み金属や宝石が豊富なことで有名だ。
大陸の西側に位置していて木々は少なく、土が度々風によって巻き上げられる。
人族と耳長族のハーフという災有児、世界的イレギュラーが生まれてから2年。
今もなお、隠れて生活を続けている人族の少年がいた。
ディラン
現在 15歳
出身地 アレグリア
家族 無し
「あっついなぁ〜」
雲もないギラギラな空を見上げてふと呟いた。
少年ディランは、こんな暑い日差しの中で不似合いな茶色くフード付きの大きな服を着ていた。
ここでは日焼けを防ぐためとは言い訳がきくとも思えるが、実は彼には隠さなければいけない事があるからなのだ。
犬族や猫族などのように特徴は無い。
妖精族でも何も特徴が無いような種族はいるが、大抵はその権力から貴族のように優雅な格好をしている。
今 ディランがそのフードを取った時点で体を即座に観察され、動物的特徴がなければ魔力を示すようにと言われることであろう。
ほつれまくったその服装、ボサボサの髪、薄汚れた肌、どれを見ても人間にしか見えないのだ。
…というか人間である。
彼は家族もいないまま、 10歳から始めていた運び屋の仕事をいまだに続けている。
ディランの父親や弟もたった 3ヶ月前に亡くなってしまったのだ。
そう、5年前までは家とも呼べるか分からないほどのボロ屋ではあったが家族4人が笑顔で支え合うようにして暮らしていた。
父親 グレパス
母親 カンナ
弟 ユガル
弟はディランの5歳下で、兄弟共々とてもやんちゃだった。
その2人の遊び場所と言えば、鉱山で出た余分な廃棄する石などが積み上げられている所。 いわば、石捨て場である。
かけっこをすれば転ぶ、怪我して泣く、他の種族の子供も集まってくる、いじめられる、の繰り返しで傷を作っては家に帰っていた。
当然値段の高い薬が買えるはずもなく、自力で治す。
適当と言えば適当だが、こうする以外方法はないのだ。
父は人間という事を隠して働いていた。
父は剣術が得意で、モンスターの討伐などの戦闘系の依頼を受けて稼いでいた。
それなりに人目につくので仕事に出る時は毎回、母の手作り リアル犬耳を付けて外に出ていた。
母は少しでもお金を稼ぐため、布のほつれ直しという小さな仕事で貯金していた。
人間ということは隠せず、安い賃金でよく働いていたのをディランは今でも覚えていた。
やんちゃ兄弟はそんなの気にせず、新しい遊び場所を見つけては怪我も持ち帰ってくるような日々。
そんな時、いじめもなく怪我も(前と比べたら)しないで遊べそうな所を見つけた。
それが街だ。
裏路地に入ってみたり、屋根を伝って街を明くる日も明くる日もかけ続けた。
そのうち、アレグリアの街に彼らの知らない場所は無くなった。
その時に弟と緑ある所まで旅をしようとも話していた。
そのうち体もたくましくなり、10歳になってからは少しでもお金を稼ぐために運送屋の仕事をし始め、いつしか弟との冒険の数も減っていった。
また 時は過ぎて3年後のディランが 13歳になった頃、世界を更に歪ませた災有児の存在が明らかになった。
それからは人間は追われる立場になり、必死で隠し続けた。
やがて半年が経ちディランと家族共々が順調に逃げ続けられている、そう思った瞬間に悪夢を見たのだった。
父はこの日も仕事に明け暮れていた。
討伐したモンスターの素材を持ち帰って来て売り捌こうとしていると、盗人が現れ奪おうとしてきた。
そいつは前々から父のことをよく思っていなかったようで、今回も大物を取られて腹が立ったらしい。
周りには人(人間、人族ではないもの達がほとんど)が集まり、喧嘩だ喧嘩だと煽りだした。
騒ぎを聞いて母と弟、仕事中のディランまでもが揃い、居合わせていた。
ディランはすぐさま止めようと何度も父の名前を呼んだが、届くはずもなかった。
観衆は父にも相手にもひどい事ばかり聞かせ、2人がイラついていくのがよく分かった。
ーー来た。ーー
間合いを詰め終わった2人が一瞬止まる。
次の瞬間、父は大剣をここぞとばかりに相手の体の中心線へと振り下ろす。
その動きは鮮やかであり、ディランは魅入ってしまっていた。
喧嘩というよりは戦闘。
そして、それは徐々に盛り上がり観衆達も声を上げた。
父の剣術についてこれるだなんてあいつ、結構強いんじゃんなどとディランは父が負ける事など想像もしてなかった。
ーキィィィンッ!!ー
甲高い金属音と共に一つの剣が宙を舞った。
ディランや母は息を飲み、その剣を見つめる。
そしてよく見ると、舞い上がった剣は父の物ではなかった。
それに気づいた瞬間、思わず よっしゃ!! と叫びそうになった。
周りの人々は歓声を上げ、ディランの家族はホッとした。
父は肩が大きく動くほど息が荒かった。
戦闘系に関しては手練れな父に汗をかかせるというのは珍しいことであった。
実は理由があった。
いつもなら、モンスター討伐中は人目を気にせず、偽物の獣耳がズレてもどうってことなかった。
がしかし今ここで好き勝手に大剣を奮い、本気で戦ってしまえば獣耳がズレることが分かっている。
その瞬間 正体がばれて何もかも水の泡である。
それだけは避けたかったのだ。
倒れた相手はまだ立つこともできず息を荒げていた。そして悔しそうに唇を噛んでいた。
父は安心した顔で空を見上げた。
ディランは無性にその姿をかっこいいと思ってしまっていた。
歓声が収まると父はディラン達の方に振り返り、ははっと儚く笑うと歩いてきた。
誰もが終わったと思ったその瞬間、倒れていた相手は咄嗟にそばに転がっていた石に手を伸ばした。
ディランは時が止まる様な感覚に陥る。
頭の収集がつかない。
僅か1秒間の間に思考は廻り廻り、やがて辿り着いた先には…
「父さんッ!!」
声が出た。父は止まった。風が止んだ。
ガゴッ
嫌な音がすると父は少しよろめいた。
《幸い》頭の端に当たったから気絶することもなかった。
《不幸》獣耳がずれ、頭から離れると地面に落ちた。
父も悟り、ディラン達も悟った。
そして父は下げていた大剣を持ち直し、ディラン達の逆側へと走り出す。
それを見た周りの人々は狩り人へと変わる。
叫び声を上げ父の姿を追っていく。
その中、駆けてくる者を背に逆方向に進むのはディラン達。
弟は訳も分からず母に抱き抱えられ、ディランは必死に顔を隠しながら歩いた。
母もディランもこの時覚悟していた。
父にはもう会えないかもしれないと。
ピィィィ!!
鳥の声だった。美しい鳥の声。
街中に響く声の主は、天使のような翼を持った鳥族の男だった。
みんなが同じ方向を向く。
よく見ると背中には父を乗せている。
ディランは始め、理解できなかったが鳥族の男が空を旋回する姿を見ると安心した。
まずは家に向かい持つものを持って逃げなければならない。
もうあの家には住んではいられないのだ。
父が間に合うかが心配だがせめて夕刻までは待ち、一緒に街を出なければ。
家に着くとできるだけの必需品をまとめた。
後は父の帰りを待つだけだ。
不安は不安を呼び、弟はぐすぐすと母の腕の中で泣いていた。
少しずつ日が落ちていく。
たった1分でさえも心を締め付けていく。
ディラン達はただひたすらに父が帰って来るのを待った。
風が吹いた。家の中にある布はバタバタと音をたてて、砂は舞い上がった。
「父さん!?」
「待たせたなー!!」
地に降りると父を乗せた鳥の男共々、グシャっと崩れ落ちた。
そして鳥の男はため息をついて
「まーったく、おめぇは随分と重いんだな。
もう少し軽い女の子なら大歓迎だったのに…。なんでおめぇを俺が好き好んで乗せてやんなきゃならねぇんだよ〜。」
そう言って肩をぐりぐりと回した。
「あいつら、足が速いからまくのも至難の技なんだぞー。ってこれはこれは、どうも!
鳥族のサガラでっす!
いや〜こいつにはお世話になって…ますかねー?」
「おい!!お前なー。
何回も何回も助けてやったのにその言い草はなんなんだよ。
とうもろこしも一生くれてやらね〜ぞ。」
「うえー。それは困るぜ。」
どうやら結構仲がいいらしい。
ディランは父にこんなにも打ち解けられている人がいるとは知らなかったし 思ってもいなかった。
「それはそうと、おまえら街を出なければならねぇんだろ?
俺が上から安全な道を通るよう見ててやるから、早く出発しな!」
夜道を進む。
息を潜め、足音を極限までたてないように。
人目につかないよう路地裏、家が建ち並ぶ隙間を通っていく。
父が先頭、ディランは弟の手を離れないよう強く握りしめていた。
母は今にも泣きそうな目で前を歩くディラン達を追いかけていた。
風が吹く。
周りの家々の木の屋根が揺れ、ディランは一瞬息を飲んでしまった。
サガラだった。
「やばいっ!!奴らもう来てるぞ!!
おまえ達の家まで数十人来てる。
犬族もいるだろうから、匂いを覚えたらあっという間に追いついてくるぞ。
走れっっ!!俺が引きつけといてやるから!!」
「ありがとう。世話をかけるな。」
「ふっ、今更だろ。」
最後に言い残すようサガラは飛び去った。
さっきよりも足早に進む、万が一を考えてディランも母も腰にかけていた短剣を手にした。
父はすぐにでも大剣が抜けれる状態ではあり、戦闘を覚悟しているのが分かる。
アレグリアの街を出れる一番家から近い門に着き、父が壁から覗く。
そこにはいつもならいないはずが、門番のように爬虫類の種族と思えるもの達が四、五人立っていた。
しかし、門番など滅多に立つことはない。
もしかしたら、今後ろから追ってきている輩の仲間だろうか…。
もちろん父の戦闘能力であれば簡単に倒せてしまいそうだが、仲間が他にいないとも限らず容易に駆け出すことはできなかった。
「…っちだ!!早くっ!!」
声が聞こえてきた。
後ろを向くと、家々が燃えているようだった。空が明るく、目に焼きつくようだ。
しかしそれは火事が起きているのではなく、追ってきている輩の持っていると思われるたいまつであった。
次第に足音が聞こえてくる。
それは時が過ぎるごとにどんどん大きくなっていった。
それとともにディラン達の鼓動も大きく早くなり、さっきまでの汗は冷や汗へと変わる。
「…もう、行くぞ。」
父は決意した。
「俺が門の近くにいる奴らと戦っているから、門から振り向かずに走り切るんだ。
俺は倒し終わったらすぐに行くから…待つんじゃないぞ。」
「そんなっ!!やめてよ!?
分かってるのよ、あなたがどうしようと考えているかくらい…うっ…。」
ついには母が泣きだしてしまった。
弟には母が泣いている意味が分からないようだったが、ディランは予想できていた。
「いいか?よく聞け。
サガラがあんなに必死になって助けてくれたんだ。
絶対に生き延びるに決まってんだろ。
街を出れたら、できるだけ木の生えた山を進んで遠く遠くの新しい街まで行こう。
数日、そこで落ち着いたらまた歩いて歩いて他の国まで逃げ延びよう。
もう一回やり直す。それだけだ。
大丈夫。誰も死なない。誰も傷つかない。」
母は相槌だけ打って、すぐに涙を拭いた。
「ユガルはお兄ちゃんだけ見て、お兄ちゃんについて行くんだぞ。」
弟も不安そうだが理解したそうだ。
涙ぐみながら深く頷く。
声は未だに大きくなり続け、危機感は押しつぶしてくる勢いで近づいて来ていた。
ディラン達は目を瞑り、最後と言わんばかりに抱きしめ合った。
薄汚れた肌から家族の体温を感じ、少しだけディランも安心することができた。
そして迫り来る悪夢の時間。
父の合図でそれは始まる。
父は門の近くにいる奴らに風のように速く飛びかかる。
父の大剣はまるで五本もの刃に分かれたように敵と見なされたものに降りかかる。
ー電光石火ー鬼神ー…そんな言葉が思い浮かぶ。
人間となんて馬鹿にできないほどの剣さばきで敵をかなり圧倒していた。
ーしかし、予想外なことが起きた。
父が戦っている間にどこからともなく門は閉められてしまったのだ。
道を塞がれ戸惑っていると、追っ手がもう追いついてきた。
絶望ってこういうことか?そんな風にディランの脳は考えることをやめてしまった。
父が倒し終わり、息を荒げながら気づいた。
「壁を登れ!!短剣を突きたてれば上がれるはずだ!!」
土でできている壁の中でも歪んで低くなっている所に目をつけた。
父ももう登ってくるのかと思いきや、追っ手の前に立ちはだかり足止めをしている。
壁の方でディランは、二本の短剣で体を引き上げ必死に登りきる。弟は母が持ち上げ、ディランに託そうとする。
弟を持ち上げてはいるものの、壁は高くなかなか思うように手は届かなかった。
父は度々振り返り、まだがまだかと思っている。それをディランは感じる…。
「くそうっ!!」
ディランは壁の反対側に足を掛け、少しでも手を長く伸ばせるように上半身を降ろす。
すると、弟の腕に手が届き引き上げることができた。
次に母…そう引き上げようと手を伸ばした瞬間、矢が現れた。
母の体から急に矢が生えたような感覚だった。
ディランは声が出ない。
「あっ…。かあさ…ん…?」
母は手を伸ばし、ディランはその手を引き上げようと手を握っていた。
だから矢が刺さった衝撃も、ドッという残酷な音もディランには届いていた。
母は力が入っていた手を緩め、そのままストンと座り込んだ。
ディランは涙で歪んで母の姿がよく見えないが何回も何回も呼びかける。
返事が返ってくる事はなく、弟も一線を越えたように泣きだしてしまった。
父は自分の横を通り抜けた矢に気づいて駆け出していた。
それは間に合うはずもなく、目の前で命が毟り取られたようだった。
「な、なんでだよ!!」
父は母に辿り着き、隣に座り込む。
追っ手には商品が一つなくなっただけのこと。
もう抵抗はできないだろう思ったのかじりじりと近づいてくる。
ディランと弟は泣きじゃくる。
「カンナ…大丈夫か?」
「ええ、もう分かるのよ。
私はもう感じてるわ。
だから…あなたとあの子達だけでも…。
お願いだから逃げて!」
「何言ってるんだ!!うっ…。
すまない、誰も傷つかないなんて言っておいて。」
「いいのよ。ほら 早く…ゲホッ…。
早く…逃げて…!!!!」
ディランには父が、母を見捨てた卑怯者に見えただろうか。
それでも父は決心し、振り返る事はなかった。
その後のディランの記憶は断片的で、父が壁を登ってくる姿。
弟と一緒に抱き上げられ、追っ手は悔しそうにしている姿。
夜道の中、高い鉱山に走り込む写真。
時間の経過は見て取れるものだった。
が、変わらずその写真に写り込んでいるものがあった。
それは…父に抱き上げられ目線はずれつつも、ただひたすらに母のいる方にのびるディランのか細い手だった。