真夜中の整体師 第二話『プリュッツェル・ロジック』 その2「探索」
前回、謎の整体師小暮忍を追って朝草の街を再訪した織原経華が森カイロプラクティック整体院で小暮の情報を掴んだところからの続きです。
その2「探索」
「昔この仕事で同期のカイロプラクターがいてね。安田粧子先生っていうんだけど、彼女の紹介で彼も資格を取って、出張施術専門で営業してるの」
菅原は安田粧子という単語に一瞬眉を引きつらせた。加奈子はその変化を察して少し黙るが、経華はそのやりとりに気づかず話に食いつく。
「けっこうたくさんいらっしゃるんですね、カイロプロテクターの先生方たち。そのわりに正直あんまり聞かないですよね。デカデカと看板飾ってるのって朝草じゃここぐらいしかありませんでしたし」
「カ・イ・ロ・プ・ラ・ク・ター。あと正確にはここは夜島ね。隅田川を挟んであちら側が朝草、こっち側が夜島。まあ、外の人たちにとってはほぼ一緒だと思うけど」
「出張専門っていうことはここみたいにお店はないんですか?」
「カイロプラクティックは民間療法なの。按摩マッサージ、鍼灸や柔術整復師みたいに国家資格じゃないから基本的に営業形態は自由。屋号を名乗って、ちゃんと青色申告してれば問題ないわ」
「まあ収入の殆どはカイロじゃなくてギャンブルだと思うけどね、小暮選手の場合は。ウハハハ!」
「なるほどだから探しても見つからなかったわけだ~。そういう経営の仕方もあるんですね。でも国家資格じゃないってことは保険も効かないって事ですよね?たしか父が通っていた時にそういう事言ってた気が…」
「良いトコ気づくね!美人な上に頭の回転が良い、と!いやあ、もう恋の聴牌までイーシャンテンだな」
菅原の適当な相槌にモジモジし始める経華。経華は昔から元気だけど掴めない性格を叩かれるいじられキャラが強すぎて、本来の端麗な顔立ちはあまりスポットライトが浴びられなかった。その上、彼女自身が恋愛に疎くアニメの世界に走ったのも、モテない原因の一つであった。それが今後、このクレバーな大人たちによって大きく変化していく事になるとは本人の知る由もなかった。
「つまり彼の場合はここや他の整体院みたいにテナントを構えないで、電話一本でお得意先と交渉してるの」
「主に夜に客を診てるからここらじゃみんなに❝真夜中の整体師❞なんて呼ばれてるよ」
「およよ、やり手なんですね!!」
感心する経華に菅原が意地悪く言う。
「要は日中にギャンブルで稼いで、夜中にちょろっとほぐしてるだけさ。まあ、その夜中でも麻雀やってる方のが殆どだと思うけどね、彼の場合は」
「ダメな人!ところでさっきから出てくる粧子さんてどんな方ですか?この辺りでカイロブティックなさってるんですか?」
「さあ」
経華の天然ボケに突っ込む事もなく、ただ一言いって菅原と加奈子は少し黙った。
「なるほど。じゃあ、菅原さん!小暮さんの電話番号教えて頂けますか?」
「うーん、小暮選手に電話かけると運気下がるから嫌なんだよね。モリカナちゃんよろしく」
「やだ。私もこの前、備品の貸し出しの電話したら宝くじ100枚全部紙くずになっちゃったわ」
「一体どんな理由ですか!?それとみなさんギャンブルにハマり過ぎです!」
「まあ小暮選手ほどでもないよ。仮にアイツに電話掛けたとしても多分出ないぜ?今日は11日、日曜だからまずパチンコ屋のゾロ目イベントだろ?あと競馬もエリザベス女王杯のG1レースだしな。まずつかまらないんじゃないか?ところで森ちゃん、何買った?」
「シーホークキャプチャを頭にして、2着をジェンティルマドンナかブエナビストワールでフォーメーション買い」
「さすが固いトコから攻めるね。俺の場合はもうずっと目つけてる馬がいて、6番のディープクイーンなんだけどこれがまた今回の馬場に合ってる差し馬でさ…」
そのあとはただただずっと止まらないギャンブル談義の始まり。ギャンブルとは疎遠な家計に育った経華にとってこれも社会勉強と思って我慢して聞いてみたが、だんだんイライラしてきて、施術を頼む間も憚られたので適当な事を言ってその場を去った。
とりあえずその行きつけのパチンコ屋と場外馬券場の場所、それと一応小暮の電話番号も聞いて、GPS検索で探すことにした。
午後、15時30分。
経華は教えられたパチンコ屋の店内に入った。まず銀玉の波の音に耳がイカレ、たばこの煙に巻かれて自慢の黒髪ストレートはヤニ臭くトリートメントされてしまった。それでも懸命に3階建ての店内をくまなく探したものの見当たらない。パチンコ・スロット台の前には背中を丸めて画面に没頭する人、椅子に浅くかけてのけぞる人、器用にiphoneのLINEをしながらハンドルを握る客たちの姿勢の悪さ。猫背の山々を見て、全部小暮ではないかという錯覚に陥りそうになる。
それでも『一応、お店に入ったら何か買って帰らないと失礼』という律儀な性格の経華はなけなしの1000円札を握り締め、多少知ってる某アニメタイアップのぱちんこ台の前に腰かけてみた。その動機のどこかには社会勉強という謙虚さだけではなく、もしかしたら就活費の足しにできるかもという欲があった。隣のおばちゃんの見様見真似で貸し玉ボタンを押し、上皿に広がる銀玉の湖。ハンドルを握った途端にパチンとはじける盤面にびっくりしながらもプレイしてみる。
その3分後、普段の100円麦チョコを食べきるよりも早く1000円分の銀玉はマシンに飲まれていた。経華はじんわり悲しい気持ちで、ヤニでべとついた後ろ髪を引かれながら店を後にした。
場外馬券場にたどり着くと大きなレースという事もあって、老若男女。人の山がひしめき合っていた。今度は人の波に揉まれながら小暮の背中を探してみるものの、あまりの人の多さに断念した。しかしご他聞に洩れず、入ったからにはタダではお店を出ないという両親の教えに習い、なけなしの100円玉を賭けることにした。場内で一番動きの遅い、耳に赤ペンをかけたおじいさんの動きを隣で詳細に真似しながら、はたして自分がどの馬に賭けているのかさえ理解できないまま券売機で1‐6‐5の3連単を一枚買った。165センチの自分の身長とその数字がぴったり合った事に
「こいつは縁起がいいや!」
と思わずこの道云年のプロのような口ぶりをしてしまうが、レース結果は掠りもしない9‐8‐5。そのままゴミに捨てようかとも思ったが、もったいない気がして記念に手帳に挟んで外に出た。
ほろ苦いギャンブルデビュー。というより賭けすら成立していない、元の取れない勉強代で
マイナス1100円に罪悪感をかんじながら、
いい加減に何も考えなくていいところにひきこもりたい。
と思い、満喫に行ったが満席で入れず、人の多いロック通りから逃げるように去った。
すべてを諦めた自分におあつらえ向きと思える煤けた看板、角の折れたユニコーンの石像が店先にある純喫茶ペガサスに入った。
だがしかし、そこでもあのけたたましい競馬実況中継の音がする。奥を覗くとこの年季の入った店に不釣合いの最新32型液晶テレビと、その前のテーブルで新聞片手に4~5人の老人たちがニコニコしながら赤ペンを握り、テーブルに競馬新聞と場外馬券を所せましと並べている。まずいと思ったがすでに「いらっしゃいませ」とか細い白髪の老主人に声をかけられたので、入店を余儀なくされた。コーヒーを注文した後で後悔した。先ほどの負けのせいで財布にはお金が157円しか残っていない。強心臓そうに見えるが本当は人見知りの経華に、コーヒー一杯のために「銀行で下ろしてくるので、ちょっと失礼します」が言える心の余裕はなかった。
「どうしよう」
悩んでいるうちにこころなしか正露丸の匂いがする不味そうなコーヒーが運ばれてきた。カップの中で揺蕩う底の見えない漆黒が今の自分の状況を暗示する占いのように見えて、目を伏せた。それでも競馬実況が煤けた10席足らずの狭い、昼間からダウンライトの店内では賑やかに鳴り響く。人によってはノスタルジーを感じるシチュエーションかもしれないが、打ちひしがれた彼女にとっては子供のころ、正座の足のしびれを我慢しながら聞いた法事のお経を思い出させる苦痛だった。どうしようとティーカップを両手で握りながら彼女が困り果てていると、どこかで見覚えのある長身の黒猫背がヌッとコーヒーの表面に反射させながら手前を通り過ぎていった。その後ろ姿は老人たちの元へと寄っていき、テーブルに買ってきた場外馬券を広げた。
「番号間違いないか確認してね?あ俺この前会場のマーキング間違えたからさ。まあ、それが実はまさか当たっちゃったんだけどね」
「悪いねえ」「ありがとね」「いいねえ」「やっぱ先生は持ってるよねえ」と盛り上がった老人たちと聞き覚えのある長身は一斉に肩を揺らした。どうやら老人たちの追加馬券を長身の男性がお遣いしてきたようだ。そのお礼なのか老人たちが100円ずつカンパしあって先生と呼ばれる男にコーヒーを奢った。
「悪いねいつも」
とニヒルな口調で言ってから老マスターが持ってくるコーヒーカップを手に取り口に運んだ。その刹那、隣の席からニュッと白い手が男の腕をがっしり掴み叫んだ。小暮はびっくりして私服にコーヒーの殆どを零してしまう。
「捕まえたぞコグレ~!」
何となく銭形警部調で経華の白い手が掴んだ黒い袖は紛れもなく猫背の整体師、小暮忍のものであった。
続く
次回は再会した経華と小暮の押し問答から始まります。キーアイテムは馬券です。
今回の更新は反省点がいっぱいでした。小暮本人ではないですが、ネット麻雀やスロットを打ち過ぎて更新が滞ってしまいました(笑)
今後は気を引き締めて書かせて頂きますのでよろしくお願いいたします。