信用は出来ますが、信頼は出来ません
SIDE:SQUARE
ドアを開けてスコヤを待っていたのは、机の上に足を投げ出しだらしなく寝そべった男だ。窪んだ目は薄っすらと開き、濁りきった目が焦点の合わないまま天井に向けれている。額を覆う髪は枯れ草の様に生気がなく、頬は痩せこけ、廃退的な雰囲気をかもし出している。
失敗しました。警戒しすぎて、監視カメラに顔が映らない位置に立ってしまいました。ちゃんと顔を見せておくべきでした。
隣で耳まで真っ赤にして、口をパクパクさせているシムに、心の中で謝る。僅かな罪悪感が、脳髄を疼かせるが大した事はない。慣れてしまった。この三日、シムと一緒に逃げている間、縦臼の運転が荒くなりシムの舌を噛ませてしまったり、謝って身体を拭いているところ見たり、言葉の選び間違いや態度で、何度も同じような痛みを受けていた。
やはり、僕は一人の方が良いんでしょうか。そうしたら、この痛みとも解消されます。その代わり、シムさんを見捨てた罪悪感で発狂させられるでしょう。ままならないものです。
頭に埋め込まれた善人チップが、善人であれ、と言っている。その呪詛を振り切る為に、スコヤは正面に座る男に笑いかける。
「お久しぶりですね、シックネス。元気そうで何よりです」
男は慌てて机から足をどけ、くたびれた上着の襟を正す。目がギョロリと開き、笑みを作る唇の間から、二、三本欠けた前歯が姿を見せる。
「やや、これは坊ちゃんじゃないですかい? 一体、何の御用で?」
「坊ちゃん?」
シムが口元を押さえて、スコヤから距離を取る。
「……本当に、怪しい事やってないのよね?」
「してませんよ。この人が困っている時、僕の両親が助けたらしいんです。それ以来、両親を旦那様、奥方様て呼んで慕っていたので、その流れで僕を坊ちゃんと」
「へぇ、そんなに感謝されるなんて良い両親ね」
「ええ、全く持ってそう思いますよ」
その両親の所為で僕は善人チップなんてものを埋め込まれてるんですよね。
亡くなった両親の事を思い出すたびに善人チップが疼く。両親と繋がるあらゆる物は失って、思い出も既に虫食い状態だ。それでも両親が最後に遺した善人チップだけは、決して朽ちる事無くスコヤの脳に今も痛みを伝えていた。
「それで、信頼できる人なのかしら?」
スコヤは顎に手をあてて、シックネスとの付き合いを思い出し、率直な評価を口にする。こんな事で嘘を吐いて、頭痛に見舞われるのも馬鹿らしい。
「いえ、お金しだいで誰にでも、どんな情報でも売買しますから、信用は出来ますが、信頼は出来ません」
「えーーー」
「僕の知っている情報屋は彼一人です。これから情報を持っていて、秘密を厳守できる情報屋を探すよりは、分の良い話でしょう」
「確かに……それなら仕方ないわね。認めてあげるわ」
「酷いっすっ! 坊ちゃん」
シックネスが濁った瞳を見開いて、嘆く。
「俺ぁ、坊ちゃん相手にあこぎな商売はしませんて! 誠実に対応させて頂きますよ」
シックネスの口が大きく裂け、目が油ぎった光を照らす。膨らんだ鼻から噴出す鼻息が見えそうだ。外に出れば、変質者としてしょっ引かれそうな笑顔に、シムの肩がビクつく。
「ホントに、大丈夫なの?」
「大丈夫です。そうは見えないでしょうが、あれでも精一杯歓迎してくれてるんですよ」
小声で尋ねてくるシムに、スコヤも小声で答える。
「それで坊ちゃん、本日はどんな御用で?」
「これに見覚えはないですか?」
スコヤはポケットから出したガシェットを起動させると、二つの画像を表示させる。一つはスコヤの家にやってきた男女の職業兵、もう一つは縦臼を追ってきた双輪車だ。映像をそのまま画像にしたので画質は荒いが、それでも判別はつく。
何よりも優先して追っ手の情報が必要だ。この三日間、スコヤは縦臼を運転しながら、その事を肌で感じていた。追っての規模は? 目的は? 権限は何処まで持っているのか? そもそも本当に職業兵なのか? 全く分かっていない。縦臼が密封構造である事を利用し海岸線を走ってきたが、時間が経てば対策をとられてしまうだろう。シムの村の位置も重要だが、このままではたどり着く前に捕まってしまう。
「どれど……っ!」
ガシェットに向って身を乗り出したシックネスの顔色が変わる。シックネスは口元を手で覆い隠すと、椅子に身を投げ出した。節くれだった手が机の下に伸びている。
「こいつはぁグラムの職業兵とこっちの双車輪は見ない型ですがぁ……ん、セックの職業兵の品物ですね~」
中央都市セックの名が出てきて、スコヤは随分厄介な裏がありそうだ、と肩をすくめる。この周辺を収めている中央都市はグラムだ。セックは隣の地域を治めている中央都市で、普通ならセックの職業兵がグラム領に姿を見せることはない。管轄が違う。勝手に動き回れば、内政干渉の謗りを受けてしまう。
道理を引っ込めるだけの価値がシムさんにあると言う事なんでしょうね。
「坊ちゃん、何であんたがこんなものを? 事と次第によっちゃあ」
シックネスが剣呑な空気を滲ませる。今にも机の下に入った手を飛び出させそうだ。その手に何が握られているのか分からないが、穏便なものでないのは予想できる。
「彼女がその写真の人達に追われてます。僕は事情は分からないですが、彼女を故郷に帰したいだけなんですよ」
「なるほど坊ちゃんが追われているわけではない、と。それなら坊ちゃん、そこの嬢ちゃん、あっしに頂けませんか? 今なら穏便に済ませられまっせ」
ギトついた視線に曝され、シムが身をすくませた。スコヤはシムを背中に庇い、シックネスを睨む。シックネスも眼を逸らさない。お互い、睨みあったまま硬直していると、背後でシムがあせった声を上げる。
「あ、駄目、大蟲っ!」
天井で破裂音。同時に原因が机の上に出現した。
「む、むむむむむ、蟲ぃぃいぃぃぃ」
シックネスが椅子から転げ落ちる。全身を振るわせた大蟲が、大きく口を開けて威嚇した。
「ヒィ、ヒィィ」
腰が抜けたのか、尻をついたまま後ずさるシックネスを見て、スコヤは罪悪感以外で頭が痛くなってきた。基本、水売り以外が海に近づく事がない。塩水以外なにも手に入らない上に、大量の蟲に噛まれたらミイラとなって死んでしまうからだ。その為、一般人の間では蟲に対して誤解が多い。例えば、一噛みで人を干し物にできるだとか、それでも意識はあるとか、運よく生き残れても体中に埋め込まれた蟲の卵が羽化して腸を食い破られる、等々。そんな一般人が蟲を見たらどうなるか、その典型例を改めて見せられると、大蟲を連れてきたのは失敗だったと後悔せざるえない。
「大蟲、大丈夫から、大人しくして」
シムが大蟲に命令するが、大蟲は動こうとしない。
「大蟲!」
シムが語気を強めると、渋々と言った様子で大蟲はシムの肩に乗る。今だ腰を抜かしているシックネスに牙を見せて威嚇してから、シムの懐に潜り込んだ。
「坊ちゃん、今のは?」
「本物の蟲ではありませんよ。蟲は透明で、こんな黒い色をしていません。ちょっとしたペットです。音声で会話まで出来る優れものです」
嘘は言ってません。だから大丈夫! もしかしたら蟲より危険な生き物かもしれませんが、蟲じゃないから罪悪感はわかないんです。
シックネスはスコヤが善人チップを埋め込まれている事を知っている。だから、スコヤの言葉を疑わないだろう。言葉の裏を考えるにも、今はそんな余裕はないだろうし、信じたいことを信じるのは人の性だ。突っ込まれる心配はない。
シックネスは弱々しく立ち上がると、椅子に座りなおす。
「へぇ、そりゃ。おっそろしく、レアな品物じゃありゃしませんか? 坊ちゃん、そいつに何か喋らせてくれません?」
恐怖と好奇心をない交ぜにした様子のシックネスを見て、スコヤは一瞬迷う。
今日までの付き合いで、スコヤはシムと大蟲が話している時の雰囲気が分かる様になっていた。その勘の囁きでは、先程、机の上で威嚇していた大蟲をシムが懐に戻した時も、例の如くスコヤには聞こえないが、何かしらの会話があった様に思われる。
横目でシムに確認してみると、シムも神妙な顔で頷いた。シムも大蟲の声が聞こえる異常性に気付いてきているみたいだ。大蟲の声が聞こえない人間はスコヤに続いて二人目、しかも他には誰にも声を聞かせていない。いぶかしむなと言う方が無理だろう。
「申し訳ありませんが、今は会話出来ないんですよ。さっき、シムさんが大声で叱ってしまいましたから」
「そりゃ、残念。で、坊ちゃん、本当にこの嬢ちゃんと一緒に行くんですかい?」
シックネスがシムに視線を這わせ、瞳の奥に怯えの色を浮き上がらせる。幾ら嘘をつけないスコヤに、蟲ではないと言われても、蟲に似た何かを操る少女に忌避感を持たないわけがなかった。
これは僕のミスですね。大蟲を連れて行くな、ともっと強く言うべきでした。スコヤは鈍く痛む額に手を当てて見せる。スコヤの言いたい事が伝わったのか。シックネスはすぐさま表情を作り直して、スコヤと向き合う。
「職業兵に追われてペットなんて高級品を持ってる女、厄介門以外の何者でもありゃしませんて。あっしに任せてくれた方がいいですぜ」
「それは出来ません。誰かを犠牲にする生き方を僕は教育されていません」
「これは坊ちゃんを思って言ってるんですぜ? 嬢ちゃんと一緒に捕まれば、今度こそ、命がありやせん。二度目はないんですよ」
シックネスが前髪をどけて手術痕の残る額を見せる。シックネスもスコヤと同じような処理がされた。だからこそ、情報屋なんて言う、卑しく汚い仕事についている。
同じ境遇だからだろう、シックネスは本気でスコヤを心配してくれていた。その思いを無碍にせざるえない元凶の一つ、額に埋め込まれた善人チップの厄介さが恨めしい。しかし、理由はそれだけではない。
スコヤは気取った笑みを浮かべ、格好つける。シムに心苦しさを与えない為に。
「承知の上です。もう一度捕まれば、僕は大変な目に合うでしょう。ですが、その程度の理由は軽すぎて、シムさんを見捨てる事はできません」
「はぁ、坊ちゃんのその悪癖、本当に早死にしますよ」
「でも、性分ですので」
スコヤが諦め半分で言い切る。シックネスも諦めたように肩を落とす。
「とり合えず、この嬢ちゃんについては積極的に情報を売らないようにしやす。早めにこの町から出って下さい。もし兵があっしに嬢ちゃんの事を聞かれたら、隠すことなんてできやせん。それどころか、情報要請のメールが来ただけでも、素直にゲロしちまいますから」
「思ったより、優しいおじ様ね」
シックネスの声色から棘が抜けた事を感じたのか、シムがスコヤの背中から顔を覗かせて言った。言われた、シックネスは青白い顔を朱に染め、口元をだらしなくにやけさせる。
「おじ様、ねぇ。なんと言うか、心に来るものがある呼び方ですねぇ」
知りませんよ。鼻息が荒くなったシックネスを、スコヤは冷めた目で見る。
「じょ、嬢ちゃん、もう一回、呼んでもらえない?」
一瞬考え込んだ様子のシムだが、何か思いついたように顔を輝かせる。
シムは胸の前で拳を握ると、眼を潤ませながら上目遣いで甘えた声を出す。
「わたし達、職業兵に追われていて大変なの。だから助けて、おじ様」
シックネスが何かに撃ち抜かれたように胸に手を当てて、椅子ごと後ろに倒れる。
何でしょう? この茶番。スコヤの中から緊張感が急激に抜けていく。
「坊ちゃん、こんな可愛い子に頼られると良いですねぇ。俄然やる気が出てきますよ」
「……犯罪に走るのはやめて下さいよ。それで、シムさんの故郷なんですが、何か心当たりはありませんか?」
「ん~、服装や顔立ちだけじゃあ、なんとも。嬢ちゃんの故郷について教えてくれ」
シックネスがシムの方を向いて頼む。シムは頷き、自身の故郷について語る。内容はスコヤに話したものと同じだ。
話を聞き終えたシックネスが眼を閉じて唸る。
「うーむ、このグラム領じゃないですねぇ。お隣、北にあるメータラ領が怪しいっすね。待って下さい。あっちに知り合いの情報屋がいやす。紹介状を書きますので持って行って下さい。無碍にはされねぇはずです」
シックネスが机の引き出しから紙とペンを取り出して、紹介状を書き始める。
シムさんが本当に気に入ったんですね。高級品である紙やペンを躊躇いもなく使うなんて、本当にお金が恋人のシックネスですか? スコヤは知り合いの情報屋がくれぐれも変な女に貢がされないよう祈る。犯罪に走るだけの根性がないのが救いだ。流石にそっちまではフォローしたくない。
数分後、スコヤは樹脂で封をされた手紙を受け取る。
「紙にペンとは、ずいぶん気張りましたね」
そんなにシムさんが好きですか? と眼で問いかける。
「そりゃあ、大事な坊ちゃんの依頼ですからねぇ。一番、信頼度の高い方法を取るのは当然っす」
そりゃもちろん、妹に欲しいくらいっす、と返って来た。
「そうですか。ありがたく、頂きます」
スコヤはシックネスに深々と頭を下げた。
実際、紹介状を書類でもらえたのはありがたかった。ガシェットに紹介状の情報を保存した程度では、偽造の疑いをもたれてしまう。下手を打てば、紹介してもらった情報屋に会う事も出来ない。情報屋は情報のプロだ。プロだからこそ、情報の脆弱性を知り尽くしている。本当に信用して欲しければ、実体のあるものを渡すしかない。
「いえいえ、坊ちゃんと嬢ちゃんの為っすから。お安くしておきますよ」
コンコン
誰かが入り口のドアをノックした。