ええい、女は度胸よ
SIDE:SHIM
シムの目の前には木々がまばらに立ち、その木々の奥には開いた草原が見える。草原の草は背が低く、遠くには巨大な塔とその下に立ち並ぶ建物の黒い影が見える。
シムは着替えとタオルを持ったまま固まった。遠くから見た時は気付かなかったが、恐ろしく見晴らしが良い。
「スコヤ、ホントにここしかないの?」
「はい、ここぐらいしか、適当に隠れられる場所がありません。幸い、近くに人は居ないようですから、手早く済ませてください」
シムの背後に衝立の様に駐輪された縦臼の陰から、スコヤが申し訳なさそうに答える。
もう一度、木々の隙間から見える大平原を見る。
「こっちから見えているという事は、あっちからも見えているわけで……ああ、もう、大蟲、誰も覗かないようにお願いね」
『了解、背後、警戒』
懐から飛び出た大蟲が、毛の様に細い足を縦臼に貼り付け、忙しなく動き回る。
「いや、スコヤじゃなくて」
『疑問、男性、危険』
「うん、そうなんだけどね。大蟲がスコヤを警戒するんだから、他には誰も居ないって事よね……ええい、女は度胸よ!」
やけくそ気味に叫んだシムはシャツの裾に手をかけて、一気に捲り上げた。初雪の様に白く柔らかそうな肉が、外気にさらされる。更にズボンに指をかけ一瞬躊躇うが、目を閉じてずり降ろす。無地の下着に包まれた尻が現れた。
手早くタオルで汚れを拭き、持ってきた服に着替えなおす。
緑色のシャツに青色の長ズボン。さらに、腰まで届く青い髪を帽子に押し込み、マフラーで口元を覆う。コートをマントの様に羽織って体格を誤魔化した。
「どう、大蟲。これならわたしが誰か分からないでしょ?」
『判別、不能、完璧』
「よし、これなら街に入っても大丈夫っ!」
帽子の上に飛び乗ってきた大蟲の称賛に、シムは自信満々に胸を張る。
シムがスコヤと共に職業兵から逃げて三日目、海岸線を通り、森の中を横断し、付近で一番大きな都市ジュウまで来た。ここにスコヤの知り合いの情報屋がいるらしい。その情報屋からシムの家の場所が分からないか、尋ねに行くのだ。
シムが意気揚々と縦臼の裏側に回ると、スコヤが縦臼に枝や葉っぱを被せ偽装している。
「あ、着替え終わりまし、た、か?」
スコヤが振り向き、シムを見て固まった。指でよく目をもんで、再度シムと目を合わせた。
「どう、完璧な変装でしょ。これで誰が見ても、わたしだと分からないわ」
『同意、肯定、賛同』
「その代わり、不審者としてしょっ引かれます。さっさと脱いで、可愛い顔を見せてください。その方が断然魅力的ですよ」
てっきり褒めてもらえると思っていたシムは、マフラーの中で唇を突き出す。折角、暑いのも我慢しているというのに、全く褒めてくれないのは酷い。
「えー、そんな姿で出て行ったらばれない?」
声を出すと息が篭って息苦しい。コートの中も蒸れて気持ちが悪い。季節は春と夏の変わり目、半そで一枚で十分な季節だ。早くもこんな姿になった事を後悔し始めたシム。だけど、そこは女の意地と言うものがある。はしたなく脱ぎます、とは言いづらい。
「髪型を弄ります。それと靴の裏に板を貼り付けて身長を誤魔化せば、随分、雰囲気が変わりますよ」
「へぇ、そんなものでいいの。随分簡単ね」
それに涼しそう、とは口が裂けても言わない。
「ま、今回はスコヤの意見を採用してあげるわ。喜びなさいっ」
「ハハ、ありがとうございます、お姫様」
「うむ、宜しい」
シムは嬉々として服を脱ぎ、シャツとズボンだけになる。じっとりと汗で蒸れた身体に当る風が気持ち良い。
「こっちに道具を置いておきますね。僕はもう少し、縦臼に枝を被せておきます」
「分かったわ」
シムは鼻歌交じりに櫛を髪に通す。なんだかんだ言っても、時間をかけて髪や服を整えられるのは嬉しい。さて、どんな感じにしようか、と髪を弄り始めた。
暫くして、髪を左右でお団子にまとめたシムが立ち上がる。靴につけた上げ底の分、ぐらつくが歩けないほどではない。二、三歩進んだり、後退し履き心地を確かめた。歩く分には問題なさそうだ。走るようなことになれば、上げ底だけ取り外せば良い。
うん、これで完璧。変装を終えたシムは、大蟲の前に立つ。
「どう、大蟲? ちゃんと別人に見えてる?」
『判別、困難、予想』
「大蟲が言うなら大丈夫ね」
笑みを深めるシムの前に、縦臼を隠し終えたスコヤが帰ってきた。
「ガラっと雰囲気が変わりましたね。大人っぽいです。よくお似合いですよ」
「そうかしら」
謙遜しつつもシムは口元が緩むのを押さえられない。
「ええ、十分です。普段とは違う魅力に溢れてますよ」
「それは光栄ね。それじゃ、きちんとエスコートしてね」
「謹んでお受けいたします」
シムが手を出すと、スコヤが芝居ぶった動作で手を取った。
「それじゃ、行きましょ。大蟲、こっち入って」
大蟲がシムの肩に飛び乗り、シャツの襟首からその懐の中に入っていった。
「大蟲も連れて行くんですか?」
「当然でしょ。わたしの友達なんだから」
驚くスコヤに、何を当然でしょ、と思う。大蟲とはこれまでも一緒に居たのだ。都市の中に入るからと言って仲間はずれになんて出来ない。
『守護、防衛、護衛』
「守ってくれるのね。んー、ありがとう」
懐からプックリとした黒丸の頭が出てきて言う。シムは大蟲の頭を撫でてやる。
「誰かに見つかったら大騒ぎになるので、ここで待機していただきたいのです……ガッ」
言い終わると同時にスコヤが仰け反る。大蟲がスコヤの額に体当たりしたのだ。宙で二回転を決めてシムの胸元に着地した大蟲は、全身を震わせてスコヤに威嚇行動を取る。
『不可、却下、無理』
「大蟲だけ、のけ者なんて駄目よ」
シムは大蟲を抱き寄せながらスコヤを睨む。
「僕が良いと言うまで、懐から出ないで下さいね。見つかったら、本当に大騒ぎどころじゃなくなりますから」
スコヤが赤くなった額を摩りながら、ため息を吐いた。