装備がないと、危険なんです
SIDE:SQUARE
スコヤは大急ぎで縦臼の中に保存食を詰め込む。
縦臼の中はそれほど広くない。ハンドル、クラッチ、アクセル、シフトレバーだけでなく、コンプレッサーや弁、視点切り替えボタン、各部熱センサー及びフライホイール回転数等々。無数の計器とそれ様にレバーボタンが百八十度、運転シートを取り囲むように配置されていた。唯一の空きスペースはシートの後ろだが、そこにはシムが座る補助シートがつけられていた。必然、残るスペースは殆どない。
幸い、水は精製水タンクがあるので、それをそのまま流用できる。医療品や整備用具と言う必需品は既に押し込んでいる、後は食料を詰め込めば出発だ。
スコヤは余った空きスペース、シートの下や補助シートの脇に瓶詰めされた塩漬け野菜類を放り込む。
「ねえ、スコヤ、せめてこれ位持っていかない?」
スコヤが振り返ると、シムが服を数着抱きかかえて立っていた。スコヤが衣服の準備を頼んだのだが、シムはその時の約束を一つ破っていた。
「シムさん、衣服は一人、二着までですよ」
「う、せめて三着。普段着を三着ローテで」
「駄目です。スペースには限りがあるんです」
「ケチ」
我侭だと分かっているのだろう、シムは唇を尖らせながらも文句は言わなかった。
スコヤは申し訳なく思ったが、今はスペースを無駄にする事はできない。ここから都市ジュウまでは大体千キロ、縦臼ならば省エネで走らせても四日程度で到着する。しかし、職業兵に追われてとなると、その日数も怪しい。その上、都市ジュウで補給が出来るとは限らないのだ。食料は目一杯詰め込みたい。
それにしても、とスコヤは自分の単純さに呆れてしまう。当初は、都市ジュウにいる水売りの元締めにシムを預けるつもりだった。それがいまや、最後まで送り届ける事になっている。自分で言った事だが、馬鹿だとしか思えない。
「随分安い男ですね、僕は」
そこまでシムに入れ込む理由が、ただ髪を梳かれながら、子守唄を歌ってもらったからだ、というのだから自嘲するしかない。父と母が死んでから、初めてだったのだ。懐かしいぬくもりと安心を思い出させてくれたシムを途中で放り出せば、必ずいつか後悔と罪悪感でのた打ち回る。だから仕様がない。
大体、空きスペースの三分の一位に食料を詰め込んだところで、玄関のチャイムが鳴った。
シムが顔を強張らせ、スコヤも苦々しく顔を歪ませる。懐からガシェットを取り出し、手早く操作する。玄関前には先ほど来ていた職業兵二人が立っていた。
「シムさん、縦臼に乗って下さい。職業兵が来ました」
「うん」
シムは両手に持った服を補助シートの中に投げ入れる。明らかに数量オーバーな衣服が中につめこめられたが、それを指摘している時間はない。
「うん、しょ」
シムは両手一杯にジャガイモの入った袋を抱えて、縦臼の中に入っていった。スコヤは床に置いていた保存食を幾つか投げ入れると、ガシェット片手に縦臼の中に飛び乗る。
「シムさん、持ってて下さい」
「へ、わ、きゃっ!」
スコヤは前を向いたまま、背後に居るシムにガシェットを放り投げる。
空いた両手で縦臼を起動させる。
相手に悟られない為に給電はオフ。フライホイールの回転数は七千rps。十分ですね。
手前にある二つのレバーの内、一番前にあるレバーを引く。第一クラッチが入り、モータとフライホイールが繋がった。フライホイールの円盤に蓄えられた慣性エネルギがモータを通して電力へと変換され、正面のディスプレイに電源が入る。
”Wellcome to the Making Water”
黒いディスプレイに白い文字が浮かび上がり、その下でドットが点滅している。
「スコヤッ! あいつら、家の中に入ってきた」
背後からシムが悲鳴をあげる。
「シムさん、落ち着いて下さい。家からガレージに続く扉には鍵をかけています。そう簡単には入ってこれません。まだ時間はあります」
スコヤは努めて穏やかな声をかける。縦臼が起動しない事には話にならない。膝上で忙しなく指をタップさせながら、速く、速くと正面ディスプレイを睨みつける。
ドットの点滅が終わり、ディスプレイに縦臼正面の映像に変わった。
「シムさん、ガシェットを指でスライドさせてカメラを動かして下さい。辺りに他の職業兵は居ませんか?」
「ちょっと待って」
シムがガシェットを捜査している間に、スコヤは座席の横に貼り付けられたボタンの電源を入れる。これはスコヤが後付したガレージ入り口の開閉スイッチである。正面ディスプレイの右端に通信中を示す赤い丸が点滅し、通信接続の緑丸に変わった。
「カメラの範囲には誰もいないわ」
「それなら好都合ですね。職業兵がガレージのドアを開けたら、脱出します。ギリギリまで引き込んで、時間を稼ぎます」
二分でいい時間を稼げれば、職業兵から逃げ切る算段はある。
唯一の不安は、額に埋め込まれた善人チップ。これには善人チップは、埋め込まれたものが罪悪感を持つと頭痛を発するほかに、発信機としての機能もある。この機能を使われれば、何処に逃げてもすぐ見つかってしまう。
「いえ、それはありえませんね」
スコヤは自身の不安を一蹴する。位置情報は政府で管理している。領主でも簡単に見る事はできない。たかだか、女の子一人を捕まえる為に、情報閲覧を許可されるはずがない。
スコヤがスイッチを押し込む。スイッチからの信号で弁が動きエア式の通電回路が繋がった。電子がカーボンチューブの中を通り、車庫の入り口、縦臼の正面の壁に流れる。厚さ一ミリ程度の結晶壁で出来た壁は、半透明に変わった。結晶が半液体状に変わり、光を通すようになったのだ。
風で揺れる正面の壁を前にして、背後から呆れた様子のシムの声がかけられる。
「……何で形状記憶結晶なんて使ってるの? 頭可笑しい位高かったわよね。本当に真っ当な仕事だけしてる?」
「必要経費です。これぐらいの装備がないと、危険なんです」
「ふ~ん」
信じていないシムの様子に、スコヤは憮然となるが何も言わない。十数年前ならともかく、現在の結晶壁の値段なんて、年収一、二年分位だ。手に入らないほど高いわけではない。
今はそんな事を言ってる場合ではないね。
スコヤが外部スピーカーのボリュームを上げると、ガチャガチャとノブを回される音が聞こえてきた。
「どうやら来たみたいですね」
スコヤは素早くスピーカーを切る。万が一、職業兵から命令されてしまうと抵抗できなくなる。職業兵に逆らうえば、強い罪悪感に支配される事は確実だからだ。
右手を第二クラッチのレバーへ、左手をスティック状のハンドルに乗せる。小さく息を吸い込み、右手のレバーを一気に引っ張る。
フライホイールと駆動部が繋がり、スコヤの背をシート僅かに押し込む。背中か来る圧力を合図に、スコヤはアクセルを踏み抜く勢いで蹴りつける。
「キャアァッ!」
いきなり暴れだした縦臼にシムが悲鳴を上げる。外輪を空転させ左右にうねる縦臼を、スコヤは手馴れたハンドル捌きで従える。左右に忙しなく動くスティックの手ごたえが変わり、強烈なGが身体をシートに押し付ける。
勢いよく走り出した縦臼は、まるでカーテンを突っ切るように入り口から飛び出した。
スコヤは正面ディスプレイの右下に背後の画像を表示させる。土煙の向うで走ってくる人影が二つ。まだ、入り口を出てはいない。
車庫入り口の開閉スイッチを押し、入り口に流れる電流を切る。電流が切れた結晶壁は元の不透明な板に戻り、追いかけようとしていた人影二つを遮った。
スコヤはアクセルを緩めると、ギアを一段上に入れ直す。景色の流れが激流へと変わる。
「今の内に引き離しますよ」
「何処に逃げるの? まさか、何も考えてないなんてないわよね?」
後ろから身を乗り出したシムが尋ねてくる。肩に乗った大蟲も黒い顔をスコヤに向けて、顎を上げ下げしている。
「もちろん、ちゃんと考えてます。お嬢さん、安心して座っててください」
「あら、そう、それならお任せするわ、運転手さん」
「任せて……ん、もう追ってきましたね」
背後に二枚の円盤を左右につけた箱、双輪車が現れた。左右の円盤が車輪となり、地形に合わせて上下に動きながら移動するので、縦臼より走破性が高い。その上、金属をふんだんに使った縦臼よりも、高密度木材を使った双輪車の方が軽いので、最高速も上である。
「もう追いついてきた! 急いで、急いで逃げてーーーー」
「まぁ、こっちの方が重いですから、平野で負けるのは仕方ありません。ですが、向うは二輪、こちらは一輪、機動力はこちらが上です。上手く振り切って見せますよ」
スコヤはギアを一段落とす。最高速で勝負しては勝ち目がないのだ。ならば、一番曲がりやすい速度に落とした方がよい。
速度を落とす縦臼とは逆に、双輪車はその速度を上げて迫ってくる。後方カメラの視野角から双輪車の陰が消えた。
スコヤは更にギアを二段落とし、ブレーキを踏む。併走してたであろう双輪車が前方に現れる。双輪車の全体が画面端に現れるか否かのタイミングで、ハンドルを左に傾けた。
縦臼が双輪車の背後を通り左に曲がろうとする。同時に、双輪車の両輪が砂埃を上げて速度を落とす。画面一杯に広がる双輪車の車輪に縦臼の外輪がかすった。スコヤのハンドルにチッと微かな抵抗を感じ、縦臼が大きく揺れる。一瞬、第二クラッチを切り、慣性だけで体勢を立て直すと、ギアを一段上げて加速。双輪車を背後に置いてきぼりにする。
「シムさん、静かですけど大丈夫ですか? 舌でも噛みました」
「ちょ、ちょっと驚いてるだけで、ぜ、ぜ、全然平気よ」
「それは良かった。これからもっと、激しくなりますから、しっかり捕まってて下さい」
「え、今ので最大じゃ……キャアッ!」
いきなり四十五度程倒れた縦臼にシムが悲鳴を上げるが、スコヤに気遣う余裕は無い。森の中や砂浜の上ならいざ知らず、平野で双輪車と追いかけっこは歩が悪い。なんとか、意表をつく加減速と小回りでいなしているが、どれも紙一重だ。一つハンドル捌きを間違えただけで、終わってしまう。
なんとか、海まで持たせます。
「二台目っ!」
シムが悲鳴を上げる。援軍だろう、正面からもう一台双輪車が現れた。新たに現れた双輪車はスコヤ達の行き先を塞ぐ。
「ここはアレしかないですね」
スコヤはギアを二段上げ、正面からやってきた双輪車に向って突撃する。
「スコヤ、ぶつかるぶつかる、駄目駄目駄目駄目ーーーー」
「シムさん、椅子にしがみついて下さい。ちょと無茶します」
スコヤは親指でハンドルのスティック上にあるダイヤルを操作し、オートジャイロ機能を切る。縦臼が倒れないように自動調整していたカウンターウェイトが停止。バランスを崩した縦臼をスコヤは思いっきり左へ倒した。縦臼が大きく横に寝る。ガリガリと、外輪の側面が地面を削る音が縦臼内に響く。
今まで以上に大きく左へ曲がる縦臼、だが正面の双輪車もそれを追ってくる。
スコヤは更にダイヤルを操作し、カウンタートルクを切った。外輪の回転数が減り、その代わり内輪も回転する。遠心力が弱まった縦臼はコインのように大きく外輪を回し、倒れようとする。地面と平行となった世界で、スコヤは素早くカウンタートルクを入れなおし、ギアをトップへ、アクセルを限界まで踏んでやる。
縦臼は内輪の回転が止まり、外輪が勢いよく回転を始めた。倒れかけていた縦臼が持ち直し、双輪車を基点として右方向へ公転する。一瞬で移動方向を変更した縦臼は、前方の双輪車をかわした。急な方向転換に対応できなかった双輪車は、後ろから追ってきた双輪車と激突。そのまま動かなくなる。
「ふぅ、何とかなりましたね」
力を抜いて座席に体重を預けるスコヤの前に、乾いた砂浜とその奥で蠢く蟲達の海が見えてきた。遠目から見る蟲達は、底まで見通せそうな透き通った青色で、その凶悪さや醜悪さとは裏腹に美しかった。
「スコヤ、このままいくと海に出ちゃうわ。逃げられないわよ」
「大丈夫です。縦臼は蟲から水を精製する道具ですから、海に入っても問題ありません。それに海に入れば、追っても撒けるでしょう」
「そうなの?」
「信じてください。僕は嘘が吐けませんから」
目を丸くするシムに、スコヤは指で額をトントンと叩きながら笑う。
「うん、信じるわ。だから、絶対逃げきってね」
「はい、お任せを」
縦臼は砂浜に一条の軌跡を残し、蟲の海へと潜っていった。