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海が蟲  作者: AAA
第一章:水売りの少年と大蟲の少女
3/25

最低限の自衛ですよ

SIDE:SQUARE


 スコヤがスープと焼きジャガイモを並べ終えた頃、シムの寝ていたドアが開いた。


「ほぅ」


 スコヤは感嘆した。

 青の髪がしっとりと煌き、白い肌に桜色の唇と薄っすらと朱に染まる頬がのる。シャツと半ズボンから出た四肢は、柳の様にしなやかでほっそりとしていた。サイズの合わないの服を気にしているのか、しきりにシャツの裾や襟元を弄っている姿は猫を思い起こさせる。

 汚れを落として髪を梳いた程度のはずだが、ドアの前に立つ少女は、スコヤが今まで見たどんな女性よりも綺麗だった。


「よく似合ってますよ」


 スコヤが褒めると、少女は一瞬顔を綻ばせたが、すぐに取り繕う様に言う。


「そんなの当然でしょう。綺麗な女は何を着て美しくなるものなのよ。それより、ご飯は? 当然、美味しいんでしょうね?」


「こちらです。口に合えば良いのですが」


 挑発的な視線を放つ少女に、スコヤは昼食を披露する。昼食は、合成肉と豆のスープと焼いたジャガイモ、後は塩漬け、酢漬けした保存野菜が少々。どこにでもある平凡な昼食である。いや、スープに豆が入っている分、少し豪華だった。


「大したものをありませんが、量だけはあるので、お腹一杯食べて下さい」


「失礼ね。そんなに一杯食べないわよ。どうせ言うなら、もっとマシな誘い文句を言いなさい。こんな美少女と食事が出来るのだからね」


「はは、それは失礼しました。……では、お嬢様。どうか私と同じ席について頂けないでしょうか? 貴女の為になけなしの贅を尽くしました」


 スコヤはそっと椅子を引き、少女に座るよう促す。


「うん、宜しい」


 少女は澄まし顔で椅子に座る。スコヤは少女の対面に座り、両手を胸元で合わせる。少女が同じように手を合わせるのを待って祈り始めた。


「天に浮かびます我らが母よ。巡る楽園より生まれし貴女が子供らが生の糧を頂きます事を許したまえ。マンジェ」


「マンジェ」


 祈り終わると、待ちきれないとばかりに少女がスプーンを引ったくり、スープに口をつける。更に焼きジャガイモをアチアチ言いながら口いっぱいに頬張る。


「おかわりもありま「おかわり」


 シムが空っぽになった皿を突き出してくる。既に一人前は食べた少女の勢いは止まらない。先ほどと変わらない調子で料理を胃に収めていた。

 随分、お腹が減っていたみたいですね。


「どうぞ。あ、ジャガイモも追加しますね」


 スコヤは少女にスープを渡すと、空っぽになった皿に焼きジャガイモを追加する。追加した端から、少女の手が伸びて掻っ攫っていった。

 こうして誰かに食べて貰える、と言うのは悪くないですね。

 スコヤは胸に灯る暖かさを感じながら、にやけたくなる顔を必死に抑える。

 結局、少女はその後三人前分の分量を一人で平らげ、スープの鍋を空っぽにするまで口にものを詰め込み続けた。


「はぁ、久々に食べたわ」


 ポッコリ膨らんだお腹を幸せそうに摩る少女。スコヤは苦笑いを浮かべる。


「今日は特別だからね。いつもはもっと小食なのよ」


「はい、分かってますよ、お嬢様」


「分かってないっ!」


 スコヤは笑って受け流す。このまま楽しい時を過ごせればいいが、そう言うわけにもいかない。スコヤは真面目な顔を作った。スコヤは目の前の少女の名前も知らないのだ。迷子程度なら良いが、家出やもっと洒落にならない状況であれば、スコヤは死よりも恐ろしい頭痛におそわれてしまう。それに少女の連れている黒い蟲についても気になる。

 スコヤの雰囲気の変化を感じ取ったのか、少女の表情が硬くなる。


「まずは自己紹介から始めましょう。先ほども名乗りましたが、僕はスコヤと言います。ピィエィの町で水売りの仕事をしています」


「わたしはシム。で、こっちが大蟲」


 シムは自身を指差した後、シャツの襟元から顔を出す黒い蟲を指差す。

 スコヤは改めて、大蟲と呼ばれた黒い蟲を見る。

 大きさは両手の上に載りそう位、海でよく見る大きさだ。形も大きな頭に、細長い胴体、そして髪の毛の様に細い六本足と他の蟲と変わらない。

 異様なのはその色と生態だ。蟲は透明と決まっている。黒い蟲なんて今まで見た事ない。その上、何処かに噛み付いて水分を吸い取ろうとしない。明らかに蟲の生態から外れていた。


「大蟲? そちらの方は蟲の一種ですか」


「知らないわ」


 シムは首を横に振る。嘘を言っているようには見えなかった。


「少し、事情を聞きたいんですが、宜しいですか?」


 スコヤは少しきつめの声色で尋ねる。シムは身を硬くして沈黙を保つ。


「なぜ、河口で倒れていたか。あなたの家はどちらか。教えていただけませんか?」


「そんな事知ってどうするの? まさか、わたしの事が気になる?」


 シムが強張った笑みで混ぜっ返すが、スコヤは笑えなかった。

 実際、スコヤはシムの事が気になっていた。黒い蟲を従えて河口に倒れていた事から、何か事情がある事は明白だ。その事情を知らずにシムを追い出してしまえば、罪悪感で頭が痛くなる位には気になっている。かと言って、スコヤの身分では事情も知らない怪しい少女を匿うのは危険すぎる。


「ええ、その通りです」


「そこは赤くなって慌てる場面でない?」


「シムさんは可愛いので、そう言う意味で気になっても恥ずかしくないですよ。そして、そんな可愛い貴女の力になりたいんです。力になりますから、事情を話して下さい」


 シムが真っ赤になった頬を押さえて固まった。

 あれ、何か可笑しい事言いましたか? 自分の所為で可愛い女の子が不幸になって欲しくないだけなんですが。


「シムさん?」


「は、はいっ! て、そうじゃなくて……し、仕方ないわねぇ。そこまで言うなら、教えてあげるわ」


 恐る恐るスコヤが声をかけると、シムは腕を組んで憮然とし様子で話し始めた。


「わたしの村は名前もない村だったわ。辺りを山に囲まれて、月一で行商人がやってくる以外誰も来ない、そんな田舎。ここよりもずっと寒くて、一年の半分は雪が地面を埋め尽くす、そんな所よ。


 ある日、わたしが山に山菜や木の実を採りに出かけたら、木々の間から変な服を来た人が現われて、こっちをジッと見ていたの」


「変な服? それはどういったもので?」


「何か緑とか黒とかのまだらになった服で、背中に沢山の草や枝をつけてたわ。なんていうのかしら……そうっ! ハリネズミの針が草や枝に変わったような服ね」


 恐らくギリースーツですね。あれを作るにはそれなりの技術が必要ですから、相手はその手の事を生業にしているのは確実です。まともな相手ではないでしょうね。


「はじめまして、とか、あなた誰? とか話しかけていたんだけど、全然反応がなくて気持ち悪かったわ。怖くなって、その場から逃げようとしたら、後ろも横も同じような格好の人に囲まれて……そこからは良く憶えてない。


 気付いたら全然知らない森に居たわ。辺りに誰も居なかったから、すぐに逃げ出せた。けど、すぐに見つかっちゃって、いっぱいの人に追い掛け回されて、必死で逃げて、逃げて」


 シムの顔色がどんどん青くなる。その恐怖を思い出したのだろう、今にも壊れてしまいそうな華奢な身体が細かく震えていた。

 スコヤは罪悪感を抱かない為、必要な事だ、と自分に言い聞かせる。中途半端にはできなかった。少なくとも、後一つ、大蟲について聞かなくてはいけない。

 シムの胸元から飛び出した大蟲が震える肩に乗り移る。その大きな頭で慰めるようにシムの頬へ頬ずりする。シムの顔が僅かに緩む。


「慰めてくれるの? ありがとう」


 シムが大蟲の頭を撫でると、大蟲は気持ち良さそうに体を揺すった。

 シムの顔色に血の気が戻るのを待って、スコヤは大蟲について聞いてみる。


「大蟲は、貴女が村に居た時から一緒にいたんですか」


「ううん、森で目が覚めたら、隣に居たわ。最初は驚いたけど、泣いてばかりいたわたしを慰めてくれて、直に仲良くなったの。今じゃ、友達よ。


 大蟲、挨拶して、え? 嫌? 我侭言わない」


 頬を膨らまして睨みあうシムと大蟲。本当に意思疎通が出来ている様に思える。すっかり、友達と言う事なのだろう。

 スコヤは冗談めかして、その事を指摘する。


「本当に話してるみたいですね」


 シムが目を丸くする。


「え、大蟲の声が聞こえない? 鈴が鳴るような綺麗な声じゃない」


 聞こえない。少なくともスコヤは、大蟲の声は聞こえなかった。


「残念ながら、僕には大蟲の声は聞こえません。他の人には聞こえていたんですか?」


 聞こえるようなら、スコヤ自身が可笑しい事になる。その原因にも心当たりがある。


「さあ? 大蟲の事を誰かに話したのはこれが初めて、他の人が聞こえるかどうかなんて分からないわ」


「なるほど。確かに」


 シムは大蟲の事を殊更隠す気はないが、自分から宣伝している様には思えない。恐らく、スコヤが聞かなければ、何も話さなかっただろう。

 そうなると、大蟲の声はシムにしか聞こえない可能性が高い。シムが連れ去られた理由もそこにあるのではないだろうか?

 スコヤが顎に手を添えて唸っていると、玄関のチャイムが鳴った。


「誰か来たようですね」


 こんな時間に誰でしょうね? スコヤが腰を浮かすと、シムがその手を掴み留める。


「待って、あいつらかもしれない」


 シムが行かないで、と上目遣いで懇願する。スコヤを掴む手は冷え切って震えていた。


「大丈夫です。安心して下さい。まだ、玄関は開けませんよ」


 スコヤはシムの手に自分の手を重ねる。シムの冷えた指に体温を分け与える。体温が交じり合い、シムの指から強張りが徐々に溶けていった。


「分かった。信じるからね」


「はい。少し待っててください」


 スコヤはシムを寝かしつけていた部屋に入り、机の上に放り出してた四角い板、ガシェットを取って戻る。


「どうする気?」


「これで、玄関の防犯カメラの映像を見ます」


 シムの問いにスコヤは笑って応え、ガシェットの側面についたボタンをスライドする。起動回路が繋がったガシェットはワイヤレス給電で電力を受け取り、展開する。

 板に一本、対角線の切れ目が現れ、斜めに広がる。二つに分かれた板の中から、薄い板が広がる。片手で持って操作しやすい大きさまで広がった。

 薄い板が半透明に変わり、そこに幾つかのアイコンが表示される。


「なんでそんなものがあるの? と言うか凄く手馴れてるわね。やっぱり、何か後ろ暗い事でもしてるんじゃ」


 シムが半歩後ずさりながら、引き気味に聞いてくる。やっぱりとはなんですか、やっぱりとは、と憤慨したスコヤだが、誤解されたままではまずい。玄関前の人物を待たせるわけにも行かないので、手早く弁明する。


「最低限の自衛ですよ。水売りの仕事道具は高価ですし、水を盗みに来る人もいます」


 蟲の中を移動できる縦臼は当然として、精製した水も需要が高い。年に二、三回は、水を狙った不届き者がやってくる。泥棒対策をしていなければ、スコヤは今頃、何もかも掠め取られていただろう。


「へぇ、ソウナンダー」


「そうなんですよ。他意はありませんからね」


 スコヤはアイコンの一つを指で押す。軽い抵抗の後アイコンが押され、表示が切り替わる。玄関に備え付けられた防犯カメラの映像だ。

 玄関の前で一組の男女が所在無さ気に立っていた。背が高くヒョロリとした男と、出る所は出て引込む所は引込んだ非常に魅力的な女だ。二人とも同じ紺色のズボンとジャケットを着ている。滑った光沢を感じさせる生地で、前の他に袖口や横腹、裾等にジッパーがある。

 スコヤは二人の胸元に描かれたシンボルを見て、胸を撫で下ろす。円とそれに内接する六角形は職業兵の証だ。さらに六角形の右下の角に丸が付いている。これは、スコヤ達が住んでいる中央都市グラム領の所属である事を示している。職業兵は、治安や外国からの攻撃から領民を守る職だ。自分の住んでいる領所属であれば心配する事はない。


「どうやら、職業兵みたいですね」


 スコヤがガシェットをシムの方へ向ける。途端、シムの顔が青くなり、怯えた様子でガシェットから遠ざかる。


「あの服、わたしを追いかけてた人たちと同じッ」


「彼らはこの領の職業兵です。行方不明になったあなたを保護しようとしているのかもしれませんね。案外、追いかけていたのも、それが原因では?」


「イヤッ!」


 シムは大きく首を振って拒絶する。


「イヤ、イヤ、イヤッ! 嫌なの。あいつら、何度も襲ってきて、手足位はなくなっても構わないとか叫んで、大蟲が居なかったら、わたし、わたし……」


 その場にへたり込んでしまったシムを見て、スコヤはこの件が単純でないと認識した。シムは自分が連れささられた、と言っていた。家出や迷子みたいな単純な話のわけがない。

 間違えましたね。

 胸に飛来する一抹の罪悪感で頭が痛くなる。

 相手が職業兵となると、この場だけ誤魔化す事も、ここで匿う事も現実的ではありません。すぐに見つかって、シムさんは連れさらわれるでしょう。仕方ありません。最低限、信用できる人に預けるまでは面倒を見るしかありませんね。ここで見捨てたら、その罪悪感は一生付きまとうでしょうから。


「分かりました。僕が何とか誤魔化しましょう」


 スコヤは頭を蝕む頭痛に眉をしかめながらも、にっこりと笑った。


「助けてくれるの?」


「当然です。シムさんは縦臼の中で隠れていてください。万が一、気付かれても、すぐに逃げられます」


 スコヤは奥のガレージに続くドアを指差す。


「スコヤが居なかったら動かないんじゃない? わたしは乗り方なんて知らないわ」


「大丈夫です。あの縦臼は鍵をかけたら、僕以外は誰も開錠できません。それに今は中のウォータータンクが取り外されていますので、人一人ぐらいなら隠れるスペースがあります」


 スコヤはシムの肩に手を置き、目に強く意思を込める。


「少しでいいので僕を信じて下さい。女の子の泣き顔は苦手なんです。だから、絶対、貴女を泣かせません。貴方は僕が守ります」


「……うん、分かりました」


 頬を桜色に染めて頷くシム。どこか夢見心地な足取りでシムがドアの向うへ消えていく。

 スコヤはリビングから応接室を抜けて玄関へ向った。

 ガシェットで玄関前の様子を窺う。男が待ちくたびれたように欠伸をし、女が苛立たしげに男を叱責している。

 スコヤはドアを開ける。営業スマイルで職業兵達を迎え入れた。


「遅くなって申し訳ありません。水売りのスコヤです。ご用件は何でしょうか?」


 気だるそうに遠くを見ていた男が一歩前に出た。背後で女の眉が跳ね上がるが、抗議の声は上がらなかった。


「兄ちゃん、俺達はグラム領職業兵のもんだ。この近くで女の子供を見なかったか? 年は十三、青い目と青い髪をしている。こん位の背の高さだ」


 男は自分のみぞおち位の高さで手を水平に振る。大体、スコヤの胸元位の高さだ。 背の高さ。目、髪の色。男の探す女の子はシムと一致している。

 職業兵に嘘を吐けないスコヤは、話す内容を一回頭の中で転がし慎重に吟味する。罪悪感が湧かないギリギリの内容を如才なく伝える。


「それだけでは、ちょっと分かりません。青い髪とは珍しいですが、街に行けば何人か見かけますから」


「あー、そうか。そうだよなぁ」


 男が納得した様に手を打つと、のったりとした動作で懐に手を入れる。


「それじゃ」


「何をノロノロやってるんですか! 主人、失礼。この女の子なのですが……」


 背後で大人しくしていた女が、柳眉を逆立て前に出る。男を押しのけ、ズボンのポケットに手を入れて固まった。額に汗が滲んできていた。女は懐、尻ポケットに手を突っ込み、さらに全身をくまなく叩いてから、ガックリと肩を落とす。


「ガシェット、落としました。あれには仕事のデータや、家族とのメールが……」


「ロックはかけてんだろ? 後で探してやるから、な」


 悲嘆にくれる女の肩を叩き、男が慰める。

 何なんでしょうかこの二人。新手のコメディアンですか?


「話の続きだが、この子だ」


 男が懐からガシェットを取り出し、起動させる。小さな板が分割、内部に納められた薄い板が展開し半透明になったかと思うと、画像データに切り替わる。

 金属的な台の上に載った青い髪の女の子がいた。ほっそりとした身体を白いワンピースで包み、こちらを見上げる青い瞳は焦点があっていない。意思が感じられず人形めいており雰囲気は違うが、目鼻顔立ちはシムそのものだった。


「……街で見かけた事はないですね」


 スコヤはじっくりと見つめた後、苦渋と逡巡の中から言葉を搾り出す。

 嘘と詭弁の中間位置。罪悪感が鎌首をもたげる。額が痛い。軽い頭痛がしてきた。だが、それを顔に出すわけにはいかない。目の前にいる男女は、どこか間の抜けた所があるように思えるが、職業兵だ。こういった尋問は日常業務のうちだろう。今眉をしかめただけで、怪しまれるかもしれない。


「街以外で、それらしき子を見た憶えもないですか?」


 女が尋ねた。ショックから回復したのか、声は角ばった硬いものに戻っている。


「それらしき子……街で似たような子を見かけた事はありますが、ここまで肌の白い子はいませんでした」


 嘘は言ってませんよ。職業兵の仕事も邪魔していません。問題はないんです。

 スコヤは自分に言い聞かせるが、罪悪感は募るばかりだ。スコヤの受けた教育が、職業兵に詭弁や消極的な情報の隠匿をも罪として意識させる。

 頭痛がきつくなる。目の奥に針を刺されたように痛い。


「だよなぁ。こんな雪みたいに白い子は、ここじゃ珍しい。見てたら憶えてるわなぁ」


 男が頷き、女の方を振り返る。


「だから言っただろう。こんなとこに居るわきゃない、てな」


「この辺りに居そうな気がしたんですが」


「勘が百発百中してたまるか。普通は外れる方が多いんだよ。…………坊主、大丈夫か? 顔が真っ白だぞ」


 男の声が顔に触れるだけで、鈍器で殴られたような激痛が眉間を襲う。

 こちらを心配する男の態度にスコヤの罪悪感が上積みされていく。スコヤの脳に埋め込まれた善人チップが、その猛威を振るい始めた。

 前頭葉に牙をつき立てられる様な痛みを受けながら、スコヤは強張った笑みを浮かべる。


「大丈夫です。気分が優れないだけです。少し眠れば、治ります」


「ん、そうか? タイミングが悪かったな。あー、とり合えず、坊主、俺達の用事はこれで終わりだ。さっきの子を見つけたら、職業兵まで連絡をくれ」


 男は連絡先をスコヤに告げ、去っていった。女がしょんぼりとした足取りでついていく。

 その間も激しい頭痛に襲われているスコヤは、玄関の戸を閉めるとその場に倒れ込む。頭を押さえ、荒い息遣いで罪悪感が収まるのを待つが、中々収まらない。

 善人チップは、犯罪者やその親族に施される思想矯正器具である。脳に埋め込まれたチップが前頭葉の電気信号や化学反応を感知し、対象者が罪悪感を感じた時、脳に直接激痛の電気信号を流す。脳内麻薬をコントロールされ、防ぐ事も慣れる事も感じなくなる事もできない。痛みを受けない為には罪悪感を抱かないよう、善人として生きるしかない。


「あれは嘘じゃない。街では見かけていない。あれは嘘じゃない。嘘じゃない。ちゃんと、後から連絡するつもりです。五十年後、必ず、連絡するから問題ありません」


 罪悪感から逃れる為に言い訳を降り積もらせるが、罪悪感は隠れてくれない。言い訳が振る端から溶かし、その罪の意識を強くさせる。


「あ、ああ、あ、あ、ああ、あぁぁあああ」


 スコヤの涙腺が決壊し、涙がとめどなく流れる。頭を抱えてのた打ち回り、口からは涎と呻き声を垂れ流す。頭皮を削り取るように爪を食い込ませる。


「あああああああああぁぁぁぁぁああぁぁぁぁぁッ……ガッ」


 絶え間なく増大し続ける痛みに、スコヤは仰け反り、一際大きな悲鳴を上げて動かなくなる。限界を超えた痛みを受けて、脳が意識をシャットダウンさせた。

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