私の大切な人だもの
SIDE:SHIM
ガラスケースの並ぶ部屋にシムとグレーンが駆け込む。
「よう、遅かったな」
入り口で棍棒を振り回していたドルトンが、出迎えた。シムはドルトンの姿に、思わず悲鳴を上げそうになった。
ドルトンの右腕が枯れ枝の様に干からびていた。肉が削げ落ち、骨と皮だけになっている。
「ああ、ちぃとばかし、ドジ踏んじまった。その代わり、この部屋には、一匹も入れてないぜ」
絶句するシムとグレーンに、ドルトンが不敵に笑い、棍棒を振るう。左手一本で蟲の侵入を防ぐ背中は、右腕一本何の事もない、と告げていた。
「それで、大蟲はどこ?」
遠くから大蟲の声が聞こえた。
『要求、移動、接近』
ガラスケースの上に立った大蟲が、シムを招きよせる。近づくと、ガラスケースの中身、自分そっくりの女の子が出迎えた。前は濁った目で虚空を見ていたが、今は意志のある瞳でシムを観察している。幼子の様に、両の目をクリクリと開いて、こっちの一挙一動を見逃さまい、としていた。
あれ、目が違う。
もっとよく見ようとしたシムがガラスケースに近づくと、大蟲が懐目掛けて跳んできた。胸元に着地する大蟲を、シムは優しく抱きとめた。
大蟲は自分だけを見ろ、と黒と白の二重円をシムに向けてくる。
うん、今は他の事に気を取られている余裕なんてないわよね。
「それで大蟲、準備は良い?」
『準備、終了、完了』
「本当にいいのね? こんな沢山の意識をまとめたら、大蟲がいなくなっちゃうわよ?」
いつも大蟲と話していたシムには分かる。シムが大蟲と会話できるのは、大蟲がシムに波長を合わせてくれているからだ。その調整が大変だから、片言にしか話せない。
ここにあるガラスケースの数は、数十に上る。その中にいる全ての子と波長を同期させようとしたら、大蟲の処理能力なんて一発で壊れてしまうだろう。
つまり、大蟲が死ぬ事となる。
『覚悟、決断、終了』
「そう、ありがとう」
『要求、謝礼、行動』
「もう、ちゃっかりしてるわね」
シムがそっと唇を突き出す。大蟲の口がシムの唇に押し付けられた。数十秒、シムが大蟲の感触を一生忘れない程、記憶に刻んだ頃、大蟲の方から離れていく。
「わたしのファーストキスなんだから、光栄に思いなさい」
『未練、消化、満足』
大蟲が満足そうに身を震わせ、ガラスケースに張り付いた。
「ばいばい、大蟲。弟みたいで、大好きだよ」
シムは大きく息を吸い込み、自分の気持ち全てを声に乗せる。
●●エピローグ
スコヤが目を覚ますと、そこは病院だった。白い天井に、白い壁、更には白い服を着せられて、白いベットに寝かせられていた。
「目が覚めたのね。寝ぼ助さん」
椅子に座ったシムが、笑いかける。
「シムさん、全部終わったんですね」
「ええ、お陰さまでね。どっかのおせっかいな水売りさんのお陰で、実験は中止。わたしは晴れて自由の身よ」
「それは良かった」
どうやら約束は守ってもらえたようだ。これでシムと一緒に居られる。邪魔するものは何もない。
後は傷を癒して……
スコヤは刺された背中に違和感を感じず、首を捻る。あれだけ大きな怪我を負ったのだ。痛み止めが効いていても、何がしら違和感を感じるはずだ。
恐る恐る背中に手を回すが、ない。刺されたはずの場所から怪我がなくなくなっていた。
「なぜ、怪我が?」
「蟲がね。スコヤの傷口を塞いで、周囲から守ってくれたのよ」
「そんな事があるんでしょうか」
「あるわ。だって、私の大切な人だもの」
シムは頬を桜色に染め上げて、すまし顔で言った。
「だから、これからもずっと一緒にいてね」
「はい、喜んで」




