一緒って言ったでしょ
SIDE:SHIM
男の拳がスコヤの顔面に吸い込まれていく。ゴッと聞いている方が痛くなる音が響き、スコヤが後ろに仰け反った。倒れないように堪えているが、足元がふら付いている。
「危ない!」
シムは咄嗟に飛び出して、スコヤを受け止めた。スコヤの体重がシムの両手にかかる。
『加勢、協力、全力』
大蟲が足元に下りて、スコヤの身体を押すが焼け石に水だ。徐々にシムはスコヤの身体に押されて、仰け反っていく。
「ん、んんっ」
シムは姿勢を変えようと、手を背中に回し滑らせた。血が掌に付いたのだ。
シムはスコヤもろとも倒れた。スコヤの背中の傷を傷めない様に手で支え、背中から落ちる。骨の軋む音が身体の芯を駈けずり、肺腑から空気がたたき出される。
『要請、身体、検査』
大蟲がシムの安否を尋ねてくるが、そんなものは後回しである。今は、スコヤの方が急ぐ。
「スコヤ、大丈夫……じゃないわよね。今、手当てするわ」
息をするだけで背中が痛む。その苦痛を隠して、シムはスコヤをうつ伏せに寝かせる。
「シムさん、僕の事はいいですから。あの、男を、今なら」
スコヤの顔が蹴り飛ばされた。
「黙れよ、ガキが」
「大蟲っ!」
シムは怒りに任せて大蟲に命令するが、黒い矢が飛び出す事はなかった。大蟲はその髪の毛の様な足を震わせている。まるで、飛びたいのに上から何かで押さえつけられているようだった。
「馬鹿が。セーフティーがないとでも思ったのか。こいつは、私に危害を加えられないように調整されてるんだ。幾ら命令しても、痙攣するだけだ」
男がシムの髪を引っ張り上げる。その細腕のどこにそれだけの力があるのか。男は片手で、シムを吊り上げた。
「ああっ!」
髪の毛が引きちぎられる音が、シムの脳に直接伝えられる。
「し、シム」
シムの呻きに反応したスコヤを、男が再度蹴り上げた。スコヤの身体が跳ね飛び、ガラスケースにぶつかって止まった。背中から流れる血が、緩やかに広がっていく。
「スコヤ!」
シムは自ら髪を引きちぎって、男の拘束から逃れ、スコヤの元へ駆け寄る。触れたスコヤの頬は、粘土の様に冷たくなっていた。
何度も頬を叩くが、反応がない。スコヤは停止していた。
一つの単語がシムの脳裏を駆ける。
嫌だ。
そんなのは嫌だ。
だって、だって、一緒て言ってくれたんだから……
シムはスコヤに覆いかぶさり泣きじゃくる。
トクン、トク、と次第に弱くなる鼓動。そして、スコヤの心音が聞こえなくなった。
「やだぁ、やだ、やだ、やだぁ。一緒って言ったでしょ。起きなさい。起きて、起きてよ。一緒に居てよ。スコヤァァァァァァァァァァ」
大切な人を失う恐怖と悲しみがシムの許容量を超える。シムは天を向き、思いの丈をこの世界全てに叩き付けた。
「警告、警告、本研究所、南東部で蟲の大量移動を感知しました。本研究所上を通る可能性があります。直ちに、第一級封鎖を行います。職員の方は直ちに所定の非難区間へ移動願います」
アラームが鳴り響く。
「は、はははは、予想通りだ」
男が一人、笑う。
「怒り、悲しみ、恐れ、憎しみ。精神に一定の負荷を与えられ事で、脳内物質の変化、それによる蟲との交信レベルの上昇。ああ、予想通りだ。ハハハハハハハハ」
「スコヤ、スコヤ、スコヤ、起きてよ。死んだふりなんて、性質の悪い冗談は嫌いよ。大蟲もそう思うでしょ、ね」
空ろな笑いを浮かべたシムが、大蟲に問いかけるが何も返って来ない。大蟲は腹を見せて倒れていた。まるで死んでしまった虫の様だ。現実を認めまいとシムは、スコヤの肩を揺すり続ける。そうしていれば、いつかスコヤが目を覚ます、と本気で信じていた。
スコヤを揺するシムの体を無数の手が伸びて拘束する。職業兵だ。いつの間にか部屋には数人の職業兵が、入室していた。
「やだぁ、やだぁ」
暴れるシムの抵抗は緩やかなものだ。ヨタヨタと動かす手に力はなく、簡単に大人しくさせられる。四肢を拘束されたまま、シムは廊下を運ばれていた。
隣では男と職業兵が話している。
「さっきの話に間違いはないな」
「はい、現在、施設入り口付近の電装系が一式動いていません。その為、対蟲用の完全密封が出来ない状態となっております」
「チッ、グラム領の職業兵達か。まったく余計な事をしてくれる」
「それで、我々はどうしたらいいのでしょうか? 指示をお願いします」
「第二研究区画に行く。あそこなら、暫くは持つはずだ。その間に飛行船を手配しろ、空に逃げるしかない」
シムは凡庸とそれを聞きながら、もがく。その心は真っ黒な闇の中に閉じ込められていた。




