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海が蟲  作者: AAA
第四章:思い出と人間
22/25

これから変えていけばいいんです

SIDE:SQUARE


 力なく座り込むシムの姿に、スコヤは奥歯を砕く位強くかみ締めた。そうでもしないと、男に対する怒りが爆発してしまう。

 まだです。いま、怒って男を殴っても、シムさんは助けられません。

 スコヤは腹を抱えて笑う男に背を向け、シムの前にしゃがみ込んだ。目をシムに合わせて、自分の気持ちを吐露する。


「シムさん、僕はこの一ヶ月弱、シムさんと一緒で嬉しかったです。これからも一緒でいたいです。だから、全部なくなったとか、悲しい事は言わないで下さい。僕とシムさんの思い出は何もなくなってないんですから」


 大蟲もシムの肩に乗り移り、頬ずりする。


「スコヤ、大蟲」


 シムの目に力が戻って来た。まだロウソク程度の弱々しいものだが、先ほどより一歩スコヤの方へ戻って来てくれた。

 その成果に水を差すように、男が口を挟む。


「……スコヤだったけ君、こいつは危険なんだ。そんな希望を持たせちゃいけないよ。これは化け物なんだから」


「化け物? 僕にとってシムさんは、蟲の声が聞こえるだけの可愛い女の子ですよ」


「おめでたいね。これの危険性が分かっていない。これは蟲を自分の思う通りに動かす事が出来るんだ。それが、どれだけ危険か分かるか? 君だって見ただろう、これの命令で蟲が職業兵を襲ったところを。あの時は、命令が中途半端だったから良かったが、本気になられればどうなってただろうね」


 都市ジュウでの出来事は、まだスコヤの脳裏に鮮やかに刻まれている。

 突如、職業兵達を襲い掛かった蟲。慌てふためき逃げ惑う職業兵。干からびた手を抱え泣き叫ぶものもいた。ものの数分で制圧機が粉へと変わり、バリケードが食い荒らされる。

 あれがシムがやった事なら、確かにその力は危険だ。しかし、それとこれとは話が違う。


「だから、化け物ですか? 馬鹿にしてるんですか。そんなものは、貴方達が勝手に付けただけでしょう。凶器を持っているのと変わりありません」


 そう、蟲を操れる事は非常に危険だが、それは懐に護身用のナイフを持っているのと変わらない。


「大切なのは心です。心がなければ凶器は人を傷つける道具となりますが、心があれば、凶器は人を救う道具にだってなるんです」


 ナイフは人を刺せるが、野菜を切る事も、動物を捌く事も出来る。ナイフを持っている事が危ないんじゃない。その力を持つ人間の心が問われるのだ。

 シムの力も同じだ。蟲と話せる力を持つから、化け物なんてのはあり得ない。化け物とは、その力を人を害する為だけに使いものの事を言う。決してシムは、化け物ではない。


「君はこれの価値を分かってない。これは正しく消費する事で、全人類を救う鍵となるんだ」


 いきなり、話が大きくなりましたね? 一体、どういうつもりです。


「海には無限の可能性が眠っている。無限の資源が、広大な土地が、そして嘗ては存在したという伝説の海の生き物達、その子孫が眠っているかもしれないんだ。分かるかい? この木材一つすら無駄に出来ない世界で、まだまだ、浪費できる世界が海には眠っている」


 男の声がどんどん、熱を帯びてくる。


「その世界を人が手に入れる為には、蟲が邪魔をする。奴らは化け物だ。この星に存在してはいけない汚濁だ。奴らの所為で、人類、いやありとあらゆる生命体が、どれだけの損害をこうむっていると思う!」


 男は蟲に対する憎悪を隠そうともせず、怒鳴り散らした。


「ハァハァハァ……だが、奴らの横暴もここまでだ。これが、出来たからな。蟲を操れる道具。これさえあれば蟲を自滅に追い込む事が出来る。これさえ完成したら、人類が蟲に奪われた全てを取り戻せるんだ」


 男の話には夢があった。この蟲に怯える世界から蟲が消える。それは、世界中の誰もが望んでいる事だ。そうなれば、どれだけの人が助かるのだろうか。どれだけの人が豊かになれるだろうか。やり方に是非はあるが、男の目指す先は間違いなくいい未来だ。


「わたしが……」


 呆然とした様子のシムが自分の手を見た。男は物分りの良い生徒に言い含める様に、優しく断固とした様子で頷く。


「ああ、そうだ。君は崇高なる人類の存続の為の捨石なんだよ」


 駄目です。この男の言う事は、人類から見たら正しい。その為に人一人の命を弄んでも、許容範囲かもしれません。それでも、この男の言う事は間違っています。


「シムさんは人間です。人間の女の子です。決して、物ではありません」


 スコヤは男に向って一歩前に出た。言いたい事は言った。後は、殴って捕まえるだけだ。

 男を殴ることにも、人質に使うことにも罪悪感はなかった。人を人と認められない奴にまで、罪悪感をもてる程、スコヤに施された教育は異常ではない。


「それの育成方法、製造方法は確立している。同じ実験体を何度でも作れるんだ。ユニーク性の無い生き物なんて、物以外の何だっていうんだい?」


 男がガシェットを操作する。すると、正面のガラスケースに入っているシムも怒気が目を覚ました。驚いたように辺りを見渡していた。その仕草は容姿もあいまって、シムの瓜二つにしか見えない。


「こんな感じでね」


 男がガシェットを操作し、シムもどきを眠らせる。


「そんなもの、これから変えていけばいいんですよ。これからたった一人の女の子になればいいんです。そんな事だけで、シムさんを物と言わないで下さい」


 スコヤは男に向って怒鳴るが、想いはシムに向って語りかけていた。シムが誰から生まれたかやどんな力を持っていのかなんて、スコヤにとっては重要ではない。スコヤにとって重要なのは、自分に子守唄を歌ってくれたシムと言う人格だ。それ以外の余計な設定アクセサリーは、等しく無価値だ。その事をシムに気付いて欲しかった。


「ふぅん、君、邪魔だな」


 男は醒めた目でスコヤを見ると、おもむろにガシェットを操作する。


「ガアアアァァァァァッッァァァッァァァアアアッァァァアッ!」


 脳みそを内側からハンマーで滅茶苦茶に殴られるような痛みが、スコヤの頭を緩急つけて襲ってくる。

 目の前が全て真っ赤に変わる様な痛みを受けて、スコヤは頭を抑えて転げまわる。口から溢れる涎を飛び散らせ、えびぞりになった。手足の末端が痙攣し、意識が遠くなる。

 今度は脳みその隙間に針を通すような痛みに襲われ、スコヤは強引に覚醒させられる。

 な、なんで? 罪悪感を感じることなんて、何もないのに……


「スコヤ、スコヤ! 貴方、何をしたの?」


 突如、頭を押させてのた打ち回るスコヤを抱きしめる。


「いや、彼に埋め込まれた善人チップを外部起動させたんだよ。ま、幾ら国にとって正しい事以外罪悪感が働く様に教育したって、穴を抜ける奴は出てくるからね。その為の予防線があるんだよ」


 そう、いう事、で、すか。

 散り散りになる意識を強引にかき集められ、更なる苦痛が与えられる。スコヤは種類の違う痛みを何度も脳に受け、意識が壊れていく。


 痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。


 痛み以外が頭の中から消え、痛みから逃げる事も考えられなくなる。その痛みは生まれ付いての苦行であり、ある事が正常だ、と刷り込まれてしまいそうだ。


 痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。


 痛みだけしか考えられないスコヤの前に、スッと二本の足が現れる。


 痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。


 青い髪をした女の子が、白衣の男へ向って歩いていた。

 ああ、痛い、これで、痛い、んだなぁ。

 頭痛は限界を超えていた。脳内麻薬が溢れるほど投下され、妙な幸福感を感じながら、スコヤは脳みそをヤスリで削られる様な痛みに苦しむ。

 女の子が男へ近づいていく。


 痛い

 痛い

 それで

 痛い

 見捨てるのか?


 スコヤは胸の苦しさで、意識を痛み以外に振り分ける。胸が苦しかった。万力で締め付けられる様な苦しさに、スコヤは喘ぐ。

 痛い、逃げるか? 苦しい、無視して?

 冗談じゃありません。こんな頭の痛みより、こっちの方が何倍も苦しいんです。

 スコヤは手を胸に当てて、立ち上がった。スコヤはシムの手を引き、自身の胸元に引き寄せる。男が驚愕した様に、目を見開いた。


「シムさん、こんな奴の言う事を聞く必要なんてありません」


 スコヤはシムを胸元から話すと、男目掛けて走り出した。問答をしている余裕なんてない。幾ら胸が苦しくても、頭痛が弱くなったわけではないのだ。このまま男からガシェットを取り上げて、善人チップを止めなければ、痛みで発狂してしまいそうだ。

 よたよたと走るスコヤは、倒れこむ様に男に体当たりを仕掛ける。男は抵抗らしき抵抗もせず、信じられないものを見た様な顔でその一撃を受ける。

 男の身体は軽かった。枯れ枝の様な身体をガラスケースに叩きつける。ガラスケースにヒビが入り、中から吹き出た薄緑色の液体が、スコヤの顔を汚す。

 スコヤは手早く男の手からガシェットを奪い、善人チップを停止させた。


「ハァ、ハァ、ハァ」


 漸く頭痛から開放されたスコヤは、手に持ったガシェットを膝の上に振り下ろし、二つに割る。これでもう、善人チップを起動させる事は出来ない。

 そう言えば、あの男は?

 打ち所が悪かったのか男はガラスケースにもたれたまま動かない。肩が上下しているので、死んではいないだろう。

 ああ、それより、言わなくてはいけない事がありました。


「シムさん、聞いてください」


 スコヤは自分の額をたたく。丁度そこに善人チップが埋め込まれている。


「僕の頭には善人チップが埋め込まれています。教育された正義を守らないと頭痛が起きて、死にそうになります。けど、そんな事より、シムさんがいない方が苦しいんです」


 シムが息を呑んだ。


「僕はシムさんがいないと寂しいです。ずっと泣き続けてしまいます。僕の為に、一緒にいてくれませんか?」


 貴女の全部はなくなっていません。僕は残っています。

 シムの肩口で大蟲が今にも飛び掛ってきそうな様子で、スコヤを威嚇している。

 体当たりをしたいならして下さい。一世一代の告白なんです。何が何でも、答えを頂きます。

 シムは涙を流しながらもすまし顔で言う。


「一緒にいていいの? わたし、何にもない女よ?」


「一緒にいた思い出があるじゃないですか」


「こんな、一山幾らで作られた安っぽい女よ」


「僕にはシムさんしかいません。姿形が同じでも違うんです」


「ずっと逃げ回ることになるわよ。ずっと、ずっと、迷惑かけるわ」


「そんなの最初から承知しています」


 そう最初から知っている。河口に行き倒れていた女の子、それも黒い蟲と一緒に居るような子が、面倒くさくないわけがない。今更、聞き返されるまでもない。

 スコヤが聞きたいのは、そんなどうでも良い言い訳ではなく、もっと単純な事だ。


「シムさんは僕と一緒にいたんですか? 居たくないんですか?」


 スコヤの瞳がシムの瞳と重なる。自分の気持ち全てを相手に伝えようと、スコヤは瞬き一つせず答えを待った。

 頬を赤めたシムが、遠慮がちに答える。


「一緒がいい。スコヤと一緒にいたい」


「なら、一緒にいま」


 背中に衝撃が走り、スコヤは言葉を途切れさせる。背中が火がついたように熱い。脈と同期して、背中に付いた火がどんどん成長していく。

 何が?

 スコヤは背中に手を回し、熱源を探る。指先が滑った板に触れる。


「ッッッッッ」


 軽く触れただけなのに、骨の奥をかき回されるような痛みがスコヤを襲った。背中に何か板状のものが突き刺さっている。


「お前、邪魔するなぁ! ようやく蟲を根絶やしに出来るんだ。お前みたいな薄汚いガキが邪魔するんじゃないよ」


 振り返ってみれば、血走った目をした男が口からツバを飛ばしていた。


「それは貴方の意思ですか? 貴方がやりたくてやっていますか?」


「黙れ」


 スコヤは一瞬シムのほうを振り返る。シムは口に手を当てて震えていた。

 大丈夫ですよ、シムさん。


「僕はシムさんに会うまで、善人チップに従って生きていました。意思なんてない、決まった事をするだけ。それこそ蟲と変わりありませんでした。貴方はどうなんですか?」


「黙れ、黙れ、黙れ」


「貴方の言葉には蟲しか見えません。全てが蟲に行き着く貴方は、まるで蟲の奴隷ですね」


「黙れぇぇぇぇ」


 激昂した男が拳を振りかぶってきた。スコヤは避けようと足に一歩下がれと命令する。しかし、走り、のた打ち回り、大怪我を負った身体はピクリとも動かなかった。

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