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海が蟲  作者: AAA
第四章:思い出と人間
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わたしはシム

SIDE:SHIM


 運が良いのか。スコヤの計算なのか。シム達は誰にも見咎められる事無く、目的の部屋の近くまで来た。L字に曲がる通路の角から顔を出せば、突き当たりのT字路の交差する部分に、五、六人は並んでは入れそうな大きさの扉がある。そこが目的の部屋だ。扉の前では二名の職業兵が警護をしていた。


「どうする、スコヤ? やっちゃう?」


『突撃、撲殺、可能』


 シムの頭の上で、大蟲が物騒な事を言う。


「ここからですと、少し距離があります。どこかに連絡を取られると厄介です」


「でも、隠れる所なんてないわよ」


 部屋に続く廊下の壁に凹凸はなく、身を隠せるようなものも置かれていない。距離にして約十メートル、真っ直ぐに突き抜けた通路である。


「行きましょう。このままじっとしていても何にもなりません」


 シムも同意する。ここで考えていても打開策が見つかるとは思えない。それに何時までもここに居たら、職業兵に見つかってしまう。ここは巧緻より拙速を選ぶ。


「大蟲、お願いね」


『了解、準備、完了』


 シムは頭に手を伸ばし、大蟲の背を撫でて激励する。大蟲が嬉しそうに頭を指にこすり付けてきた。


「では、行きますよ。三、二、ッ?」


 スコヤのカウントが止まった。

 何にが起きたのか、と扉の方を覗き見れば、職業兵二人がガシェットを片手になにやら話している。


「わたし達がここに居る事がばれたのかしら?」


「それはない、と思います。普通、逃げるなら入り口を目指します。こっちは逆方向ですから」


 スコヤが歯切れ悪く答える。

 どうしよう、行った方がいいの? それとも待ったほうが良いの?

 予想外の展開にどうしようか迷うシム。それはスコヤも同じようで、悩ましげに眉間に皺を寄せていた。

 二人が迷っている間に話を終えて職業兵の内一人が、通路右に走っていった。遠ざかる足音を聞きながら、シムとスコヤは顔を見合わせる。


「もしかして、罠?」


「罠にしては意図がよく読めません……行きましょう。例え、罠だとしても他に方法はありません」


 スコヤが駆け出し、シムがそれに続く。大蟲は既に天井を床を何度も跳躍しながら、職業兵に迫っていた。

 職業兵は抵抗らしい抵抗も出来ず、大蟲の体当たりをを顔面と後頭部にぶつかって倒れる。

 辺りを見渡してみるが、援軍が来る気配はなかった。

 あまりのあっけなさにシムは拍子抜けする。


「シムさん、ちょっとどいて下さい。この扉のセキュリティコードを手に入れました」


 気絶した職業兵をあさっていたスコヤが、起動したガシェットを扉に向ける。スコヤの指がガシェットの画面を押すと、扉は音もなく開いた。中は真っ暗で何も見えない。

 なんか、都合が良すぎない?

 戸惑った瞳をスコヤに向けると、スコヤが頷く。スコヤも疑問に思っているようだ。


『入室、躊躇、何故』


 そうだ、ここで躊躇っていても仕様がない。例え、罠だとしても行くしかないのだ。


『警戒、不要、守護』


 守ると言ってくれる大蟲に頼もしさを感じながら、シムは意を決して足を踏み入れた。少し遅れてスコヤも続く。

 二人が部屋に入ると背後で扉が閉まる。

 やっぱり罠!


「やあ、遅かったね」


 部屋に中央に明かりが灯り、背を折り曲げた白衣の男が現れる。男はゆっくり、シムとスコヤを眺め言う。


「大人しく実験に戻る気はないかい? そっちの君も協力してくれると助かるねぇ」


「お断りよ」


 周囲に人の気配は感じられない。この部屋には自分達と男しかいない。後はこの男を捕まえれば、全部解決する。父親も母親も、皆、帰ってくるのだ。言う事を聞く道理がない。


「それは、悪い冗談ですね」


 スコヤも同感なのだろう、肩をすくめて鼻で笑う。


「だろうね。それじゃ、これを見て自分の価値を思い出してくれたまえ。その為に、呼んだんだからね」


 部屋中の明かりが一斉に点けられた。

 部屋の中は大量のガラスケースが乱立していた。大人一人が入る大きさのガラスケースが、部屋中を取り囲んでいる。中には薄緑色の液体が満たされ、コポッと時折呼吸音が聞こえてくる。

 ガラスケースの中には人間が入っていた。空の様に美しい青い髪。触れれば折れてしまいそうな華奢な四肢。桜色の唇が可愛らしい顔だが、死んだ魚の様に濁った目が言いようのない不快感を与える。

 ガラスケースの中にいる人間はシムにそっくりだった。他人の空似というレベルではない。本人がガラスケースの中に入っているとしか思えなかった。

 全てのガラスケースにシムが居る。


「なに、これ? 気持ち悪い」


 自分が大量に居る情景に、シムは夢の中に迷い込んだのかと思う。沢山の自分の顔を見せられ、シムは胃から嫌悪が競り上がる。


「酷い言い草じゃないか。君と同じ遺伝子から作られた人形達、君の姉妹だよ」


「姉妹? 違う、こんなの違う」


 認められるわけがなかった。こんな工業製品みたいなものが、意志のない人形みたいなものが、自分の姉妹だ何て思いたくもない。それを認めてしまえば、自分の家族を冒涜する事にしか思えなかった。


「違う。何が違うんだい?」


「だって、わたしは、わたしのお父さんは厳しいけど優しくて、お母さんはちょっと冷たそうに見えてほんとはとっても温かいの。こんな、こんな、試験管の中で生まれたわけじゃない」


 シムは父親の顔を、母親の顔を思い描く。しかし、幾ら思い出そうとしても、その顔は黒く塗りつぶされていて思い出せない。どんどん黒で食いつぶされていく記憶に、シムは言いようのない恐怖が蠢いてくる。


「ハハハハハハ、君はまだそんな事を言ってるのか」


「何が可笑しいんですか?」


 シムを庇うように、スコヤが男との間に立つ。

 大丈夫、そう、スコヤは思い出じゃない。ここに居るんだから。

 実体を確かめたくて、シムはスコヤの背に手を置いた。暖かい人の温もりと、頼もしい背中の感触が、スコヤがここに居る事を証明してくれる。


「いやいやいやいや、未だに夢と現の区別も付かない人形を哀れんでいるだけだよ」


 スコヤが与えてくれた確かなものが、男の言葉で揺すられる。シムは自分の根底が崩れていく音が聞こえた。


「君はこことは別の研究所で、対蟲用有機型インターフェースの試作機として作られた。実験用のモルモットさ」


「シムさん、耳を貸す必要はありません。戯言です」


「そ、そうよね。こいつの言ってる事に何一つ、証拠なんてないわ。どうせこいつらも張りぼてでしょ」


 シムは強がってみせるが、その語尾は震えていた。

 他人に聞こえない大蟲の声。気圧が下がった部屋からスコヤを助け出した事。都市ジュウで蟲が職業兵を襲った事。シムが蟲と意思疎通できると言う状況証拠は揃っている。

 その上、この部屋にいる大量の自分だ。シムには男が全くの嘘、でたらめを言っていると言い切る事は出来なかった。


「証拠を見せよう」


 科学者が懐からガシェットを取り出し、映像を再生する。

 場所はここに似た部屋だ。男がガラスケースの前に立っている。


「NO.46起動プロセス開始」


「学習信号オフ」


「培養液除去」


「培養室開放します、三、二、一」


 画面の外から発せられる合図に合わせて、ガラスケースが開き、中かシムとそっくりの女の子が出てきた。


「…………」


 痴呆の様に天を見上げる女の子に男が近づく。


「おはよう、ナンバー四十六、意識はあるかい?」


「あ、あ、あ、私、私は、誰?」


「ふみ、自我が芽生えているようだ。他者と自身を区別する為に、名前を欲するか。興味深いね」


「わ、私、誰? 誰? 何なの?」


 迷い後の様に女の子は辺りを見渡し、助けを求める。その顔は極度に怯えており、いつ泣き出しても可笑しくはなった。


「そうだな。四六しむ、君の名前はシムだ」


「シム、シム、シム、わたしはシム」


 男が女の子に名前を与えると、女の子は華やいだように微笑む。

 映像が止まった。


「思い出してくれたかな。シムいや、ナンバー四十六」


「安い嘘ですね。こんなものいか様にも作れます」


 嘘と言い切るスコヤだが、顔色が良くない。シムも同じくらい顔色が悪い。

 スコヤの言う通り、映像自体は作れる。だが、そんなものを作る理由が思い当たらない。

 仮に映像を作っていたとして、何故、今、持っているのか。この場にいるのは、スコヤが脱走したからだ。計画していたものではない。偶然だ。

 準備していたとは思えない。


「嘘じゃないよ。これはこうやって蟲と会話する為だけに作られたんだ」


 男はシムの頭上で待機している大蟲を指す。


「大蟲、それも研究の一貫で生まれた化石燃料を食べる蟲だが、その声がシム以外の誰かに聞こえたことがあるかい?」


 ない。スコヤもシックネスも、ここに居る職業兵も誰も大蟲の声が聞こえた様子はなかった。


「まさか、まともな人間が蟲の声を聞いたり、命令できたりすると思うかい? 憶えはあるだろう? これが蟲を操るところを」


 だけど、あれは偶然かもしれないし、大体、わたしにはパパやママがいるんだから、だから、試験管から生まれたりなんてしてない。


「他にも証拠はあるよ」


 男がガシェットを操作し、一つの画像を見せる。そこにはガテン系の兄ちゃんとクールビューティの夫婦が立ち、綺麗な金髪をした姉妹が二人の足に抱きついていた。


「パパ、ママ、それにテスラだ。え、なんで、何で、こんなのがあるの?」


 画像に映る人物は、シムの父親と母親、妹、そして見知らぬ少女だ。青い髪のシムとは似ても似つかない少女が、何故か家族と一緒に映っている。


「彼らは君の家族じゃない。黒髪と金髪から青い髪が生まれるかい? それにだ。これは二十年以上前の画像だ。君達も、この山に見覚えがあるだろう」


 男が背景の山を指し示す。特徴的な尖がりを持った山には見覚えがあった。職業兵に捕まる直前まで目指していた山だ。見間違うわけがない。


「あ、あははは、嘘、こんなの嘘よ。だってわたし覚えてるのに、なんで、なんで、思い出せないのっ!」


 シムが思い出そうとすればする程、記憶がぼやけていく。声が、仕草が、匂いが、肌触りが何もかも思い出せなくなっていく。父親、母親、妹、友達、そう言う記号は残るのに、具体的にどんな人だったのか、どんな顔をして、どんな癖があって、どんな事を一緒にしたのか思い出せない。

 父親と雪かきをした事がある。だけど、その日の寒さも、雪の白さも思い出せない。

 母親と料理をした事がある。だけど、その料理がどんな味がしたのか、みんながどんな顔で食べていたか思い出せない。

 妹と喧嘩した事がある。だけど、その時の気持ちが、痛みが思い出せない。

 まるで事務記録を読むように薄っぺらい事実の羅列だけが、浮かび上がってくる。


「それは偽の記憶だからさ。君の村の記憶は、私達が一般常識を学習させた時に見た夢だ。君の頭にしかない妄想。そんなもの、何時までも憶えていられるわけないだろう」


 あ、妄想だったんだ。パパもママも、全部、妄想だったんだ。

 シムはその場にへたり込む。


「なくなちゃった。なくなっちゃよ。わたしの全部」


「ハハハハハハ、無くなってないよ。君の家族は君の頭の中にいるだろう? 妄想だけどね」


 頭が真っ白になって、シムは何も考えられなかった。

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