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海が蟲  作者: AAA
第四章:思い出と人間
19/25

シムさんはどうなってしまうんですか?

SIDE:SQUARE


 スコヤはベットの脇に置かれた袋を指で突きながら、黙考する。袋は中に酸素が詰め込まれており、ホースで袋と繋がったマスクを口に当てて使うとの事だ。二日前の空調故障事件の対策だそうだ。

 二日前、スコヤがグレーンから当座の退屈しのぎとして玩具を借りていた時、事件は起きた。配線の断線が妙な具合に起きて、酸素を送る送風機が逆回転したそうだ。その結果、部屋が低気圧になり、スコヤもグレーンも危うく命を落とす所だった。

 これが公式見解だが、そんな都合のいい話があるわけがない。送風機が逆転した位で、人が死ぬような気圧まで下がるなんて、どれだけ強力なモーターを使ってるのか。

 大体、この部屋にはユニットバスがあります。当然換気扇がありますから、空気が吸われれば排気口から空気が逆流するでしょう。こんな見解を出すと言う事は、意図的に気圧を下げた事を隠す気はないという事ですね。

 狙いは、僕かグレーンさん、どちらでしょうか?

 僕ならシムさんに対する人質。グレーンさんなら調査に対する牽制。どちらもありそうで、困ります。

 どちらにせよ。ここが敵の腹の中には変わらないです。

 そうなると、この酸素ボンベもあまり信用できませんね。不幸にも故障していたとか、普通にありそうです。もしくは、同じ手は使わないアピールでしょうか。

 ドアが開き、ドルトンが現れた。険しい顔で足早に近づいて来る。


「おや、どなたかと思えば、ドルトンさんですか」


「おい、逃げるぞ。付いて来い」


 ドルトンがスコヤの手を引っ張る。ひょろりとした外見からは信じられない握力に、スコヤの眉が歪む。


「何が起きたんですか? と言うより、見張りの職業兵は?」


 入り口には、職業兵が二人、見張りに着いていたはずだ。彼らはどうしたのか?

 その疑問はすぐに氷解した。グレーンがぐったりした職業兵を、部屋の中引っ張り込んできたからだ。スコヤの前で仰向けに倒れた職業兵は白目を向いていた。


「ドルトン、急いで下さい」


 グレーンが二人目を部屋に連れ込もうと腕を引っ張る。この職業兵も意識がないのか、糸の切れたマリオネットの様に四肢を放り出していた。


「わぁてるよ。そう言う事だ、スコヤ。時間がねぇ。急いで逃げるぞ」


「何が起きたんですか? 先日の話ではもう少しここで調べるのでは」


 先日の話では、まだまだ調査が必要な口ぶりだった。あれから僅か三日、もうこの施設の裏を解明したのだろうか。


「そのつもりだったんだがな。スコヤ、お前を殺す計画が立ち上がってる。こっちとしては重要な証人だし、一応グラム領の奴を見殺しにするわけにはいかねぇ」


「証人? 残念ですが、僕はここから一歩も出たことがありません。大した事は話せませんよ」


 実際、話せる事と言えば、三食の食事内容ぐらいだ。他は目の前に居る二人の方が詳しいだろう。


「それで十分です。監禁と先日の気圧低下の件で殺人未遂、二つの罪状を突きつけられます。そうなれば、ここの研きふ、ふが」


 横から口を出してきたグレーンを、ドルトンが黙らせる。


「はい、黙ろうねー。余計な事まで言う必要はねぇぞ」


「なるほど、どうやらこの施設の悪行を白日の下にさらす、なんて分かりやすい理由だけではないんですね」


 その二つをグラム領が公にしても大した成果は得られないだろう。セック領は設備や連絡に行き違いがあったと謝罪して終わりになる。シム誘拐の共犯者であるグラム領もそれ以上、矛を突きつけられない。

 しかし、この件をスコヤが訴えれば話は変わる。何故なら、どうして施設に居たのかと言う理由にシムが出てくるからだ。まだ成人してない少女の誘拐。感情的に許せる人間は少ないはずだ。そうなれば、何故誘拐したか必ず追及される。

 これまで秘密裏に話を進めてきたセック領は、これを阻止したいはずだ。その取引に、自分は使われるのだろう。


「悪いな。こっちもお仕事でね」


「いえ、構いません」


 一体どこの仕事なのか。問い詰めたい気持ちはあったが、それは我慢する。


「ぷハッ、分かっていただけたようで助かります。こっちです。付いてきて下さい」


 ドルトンの手から抜け出したグレーンが、駆け出す。スコヤも続いてドアを出た。

 このチャンスにシムを助け出し、二人でグラム領まで逃げるのだ。そうなれば、セック領の手をシムから引かせる事が出来る。

 スコヤがドアを出た所でアラームが鳴り響く。


「第七区域にて異常発生、第七区域にて異常発生。警備員はルート二十五から二十九で直ちに対応願います」


「もう、気付かれた! グレーン?」


「ちゃ、ちゃんとやりましたよ、私。貴方に言われたとおり、ホラ」


 ドルトンがジト目でグレーンを見る。グレーンは涙目になりながら、ガシェットを取り出した。

 ドルトンはグレーンからガシェットをひったくる。暫く動かしていたが、顔に苛立ちを滲ませて舌打する。


「確かにお前の所為じゃねぇな。こりゃ、完全にマークされていたな」


「ほら、私の所為じゃないでしょ……て、私達が動く事を予想していたと言う事ですか!?」


「ああ。こうならない様、あいつらが実験中に来たってのに……急ぐぞ。これじゃ、仕込んだ仕掛けもいつ解除されるか分からねえ」


 実験。つまり、まだシムさんはまだこの施設の中に居ると言う事ですか!


「待ってください!」


 スコヤは駆け出したドルトンとグレーンを呼び止める。


「僕達だけで逃げたら、シムさんはどうなってしまうんですか?」


 ドルトンとグレーンは気まずそうに顔を逸らした。深い悔恨が見て取れる。


「あっちは諦めろ。すぐには殺されねぇさ」


「申し訳ありません。彼女はグラム領の人間ではなく、私達では保護する事が」


 最後まで聞く必要はなかった。ドルトンとグレーンがシムを助けない事は分かった。ならば、スコヤが一人で助けるしかない。

 ドルトンとグレーンに背を向けて走り出すスコヤ。だが、すぐにその手を捕まえられる。


「何処へ行くつもりだ!」


「決まってるでしょう、シムさんを助けにです」


 それがドルトン達の仕事を邪魔する事は分かる。だから、頭が割れそうなぐらい痛い。


「今はそんな事してる余裕はねぇ。大人しくこっちに来い」


「嫌です」


 痛みを増す頭を、開いた右手で押さえながら、スコヤは職業兵の命令を拒否する。


「ガァァァァァガァァァアァァアァァアアァ」


 脳みそを奥から針で突き破られるような痛みに、スコヤは目から涙を流す。こらえきれない悲鳴を、奥歯を噛んで耐える。シムの事だけを思う。

 シムの笑顔。怒った顔。悲しんだ顔。ふてくされた顔。約一ヶ月ずっと見てきた無数のシムを思い浮かべる。

 いいわけがなかった。

 こんな良い子を迷子のまま見捨てていいわけがなかった。

 そんなのは嫌です。


「ほら、頭痛もはじまってんだろ、無茶するな。あの嬢ちゃんなら、そう簡単に殺されはしねぇ」


 分かってない。

 ドルトンの分かっていない一言に、スコヤの中の罪悪感が薄れる。


「殺されない? 殺されなければ、大丈夫なんですか? そんなわけありません。殺されない事と、助けられる状態にあるかどうかは別問題です」


 スコヤ自身が良い例だ。スコヤは、両親が犯罪者だから、善人チップを埋め込まれた。死刑となった両親に比べればましだろう。だが、その代償は善人チップの言いなりになって生きるしかないマリオネットになる事だ。いつも罪悪感に怯えて、人と会う事も億劫となる。

 そんなスコヤを誰が助けられるのか?

 誰も助けられるわけがない。脳深くに埋め込まれたチップを取り出す事は、埋め込んだ政府にだって無理だ。返りの付いた針を引き抜けば、怪我がより酷くなる。それと同じだ。

 そんな取り返しの付かない事の片棒をスコヤは掴みたくない。

 そう思うのに、理性は罪悪感を振りまき、善人チップは猛威を振るう。


「アアアアアアアアアアァァァァァァァア」


 頭痛がまた酷くなる。必死にシムを助ける事だけ考えて耐える。言い訳なんて思いつく余裕はない。だから、心が折れてしまわない様、思い出で補強する。


「だから、言わんこっちゃない。いいから来い。ここはやべぇ。お前さんはよくやったよ。これ以上は、命に関わるぜ。お前にゃあ、そこまでお嬢ちゃんに肩入れする理由なんてないだろう」


「理由?」


 スコヤは思い出す。シムの歌声を。


「歌って、くれたんですよ。僕の為に」


 スコヤは思い出す。シムの笑い顔を。


「笑って、くれたんですよ。屈託もなく」


 スコヤは思い出す。シムの澄ました顔を。


「怖いくせに、不安なくせに、それでも誰も巻きこめない、そう言ってた女の子だったんですよ」


 スコヤは頭から手を離し、胸に手を置く。


「勝手に助けたんです。誰も望んでなかったのに、僕が嬉しかったから、だから、だから」


 スコヤはドルトンの手を振り放して、走りだす。


「僕はシムさんを見捨てませんっ!」


 どこにシムがいるかなんて分からない。職業兵に見つかれば、酷い目にある。頭を騒がせる頭痛は治まらない。

 だがそれは、シムを見捨てて良い理由ではなかった。


「ま、待て!」


「え、えっ? ええぇぇっ!」


 背後からドルトン達が追いかけてくる。涙で滲んだ視界に、正面から押し寄せる大量の職業兵が見えた。

 スコヤは壁を蹴って方向転換。右に伸びる通路へ入った。


「貴様らグラム領のっ! この騒ぎは貴様らかっ!」


「チィィ、逃げるぞグレーン」


「は、はい」


「アァアァァッ! スコヤっ! 俺達が捕まえるまで逃げ切れ!」


 背後からドルトンの怒声が背中を押す。職業兵のお墨付きを貰ったスコヤは、ドルトン達から逃げる罪悪感が溶けた。


「ありがとうございます。でも、シムさんは見捨てられません」


 スコヤは胸元を握り締めて呟く。


「見捨てたら、胸が痛くなるんです」

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