表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
海が蟲  作者: AAA
第四章:思い出と人間
18/25

そんなの出来るわけないじゃないっ!

SIDE:SHIM


 今日も今日とてシムは職業兵に連れられて、実験室へ連行される。その顔は少しやつれていた。昨日、一昨日と休みなく振り回され、睡眠時間もまともに取れていないのだ。


『危険、覚醒、要請』


 今も大蟲が頭の上を動いていなければ、そのまま寝てしまいそうだった。重い瞼をこじ開けながら、代わり映えしない滑った光沢を持つ灰色の背中を追う。


「あら? 今日はまた随分遠くに行くのね」


『同意、遠方、移動』


 誰ともなしに呟くが、大蟲以外は反応してくれない。三十分以上歩いても目的地に着かない理由は気になるが、問いただす事も億劫だった。

 大人しく職業兵の後ろを歩いていると、床や天井まで金属で出来た区間を超えて奥へと向う。素足にひんやりとした金属の床は丁度良い眠気覚ましとなった。

 廊下の突き当たり、通路一杯を遮る金属の門の前で職業兵が立ち止まる。シムの前を歩いていた職業兵が脇へどけた。入れと言う事だろう。

 シムが門の前に立つと、待ち構えていたように門が左右にスライドする。二重三重に重ねられていた門が花弁の様に一枚一枚開いた。


「やあ、こうして顔を合わすのは久しぶりだね」


 門の反対側では、背を丸めた老人が待ち構えていた。ギョロリとした目をシムに向け、黄色い歯をむき出しに笑う。飛行船で話したあの科学者だ。シムの家族を、スコヤを奪った男。

 シムの中で憤怒と憎悪が燃え上がる。想いで人を殺せたなら、今のシムは目の前の男を百回は殺しているだろう。家族が、スコヤが囚われていなければ、その思いの丈を思う存分ぶつけられた。それは出来ない。こんな気持ちの為に、家族も、スコヤも失いたくはなかった。


『元凶、排除、攻撃』


「大蟲、駄目っ!」


 男に飛びかかろうと跳躍する大蟲を、シムは止める。大蟲はシムを見て不服そうに頭を回すが、シムが命令を撤回するつもりがない事が分かったのか、大人しくシムの頭の上に戻った。

 シムは心の内を押し隠し、気取った仕草で髪を掻き揚げる。


「ええ、お陰で快適に過ごせたわ」


「それは良かった。今日は一つ、実験に付き合ってもらうよ」


 男が身をどけると、部屋の中の様子があらわになる。左右の壁に詰まれた機材を職員が弄っている。その奥は壁一面を使った巨大なディスプレイが設置されている。ディスプレイはベットしか家具のない殺風景な部屋を、斜め上から映していた。


「スコヤ!」


 部屋の中に居る人物を見て、シムは声を上げる。映像の中のスコヤはベットに寝転がり、時折欠伸をしながら、ぼうっと天井を見ていた。音声はないが、元気そうだ。

 暫くすると映像の中でスコヤが立ち上がり、誰かを出迎える。画面の外から手に袋を提げたグレーンが映る。なにやら差し入れだろう、袋を手に入れたスコヤがしきりに頭を下げている。

 良かった。酷い事されてないみたいね。

 一瞬心を緩めたシムだがすぐに表情を引き締めた。隣に居るこの男が意味もなく、スコヤの様子をシムに見せるわけがない。

 嫌な予感がする。


「……どういうつもり?」


「いや何、彼らにも実験に付き合ってもらおうと思ってね。あれを見てくれないかい?」


 男が骨と皮だけとなった指をディスプレイの右上に向ける。


「〇・一エムピーエー?」


 シムがそこに映された英数字を読む。


「チッチッチッ、違う。〇・一MPaメガパスカルと読むんだ。別名一気圧。あれは画面に映っている部屋の気圧を表示しているのさ。人間……いやあらゆる生物は常に一定の空気によって押されている。つまり一気圧の中で生きている。では、空気がなくなったらどうなると思う?」


 シムの顔が青ざめる。空気がなくなると具体的にどうなるかなんてシムは知らない。だが、高すぎる山に登れば死んでしまう事や、空気がなければ息が出来ない事は理解できる。


「あなた、まさか」


「そのまさかさ。彼らを空気のない真空の世界へご案な~い」


 男が愉悦に富んだ顔で言うと、周囲に居た職員が一斉に動き始める。


「エアライン接続」


「接続確認」


「バキュームポンプ起動」


「起動確認」


 ピッと軽い電子音が鳴り、画面右上の数字が〇・〇九九に変わる。間をおかず、〇・〇九八、〇・〇九七と小さくなっていく。


「や、やめなさい! 実験にはちゃんと参加してるじゃない!」


「これも実験だよ」


 シムが男の白衣にしがみ付いて叫ぶが、男は取り合わない。わずらわしそうにシムを払いのける。


「おい」


 男の一声で、職員が部屋の隅から台車を押してきた。台車の上にはガラスケースが置かれ、その中には蟲とスイッチが入っている。蟲は大蟲の様に黒色ではなく、普通の透明な蟲だ。

 シムは背後から男に肩を捕まれ、ガラスケースへ向わされる。耳元で男が粘ついた声で囁く。


「シリンダーの中にスイッチがあるだろう? これを押せば、気圧の低下は止まり正常に戻る。しかし、このスイッチは非常に脆くてね。外気に触れただけで壊れてしまうんだ。さあ、中にいる蟲にお願いしごらん?」


「そんなの出来るわけないじゃないっ!」


「やってみなくちゃ分からないだろう? 君の頭に乗る蟲と仲が良いんだ。案外、上手くいくんじゃないかな?」


 男はシムから離れ、空いた椅子に座る。高みの見物とでも言うつもりなのか。

 シムが男を睨みつけるが、男の顔からニヤついた笑みは消えない。寧ろ、より笑みが深くなった。

 男は当てにならない。まわりにいる職員も助けてくれる様子はなかった。シムが何とかするしかない。

 こうしている間にも、気圧は〇・〇六八と約二分の三まで減少していた。

 シムはガラスケースに手を突くと、喉が枯れんばかりに叫ぶ。


「お願いっ! わたしの話を聞いて。お願いっ! お願いっ!」


 何度も叫んでもガラスケースの中の蟲から返答はない。蟲はガラスケースの中を気ままに這い回っていた。


『要望、応答、要望』


 大蟲も声をかけてくれるが、結果は変わらない。

 悔しさと無力感からシムの視界がぼやける。目じりに溜まる熱いものをこそげ落とし、シムは必死に叫び続けた。


「〇・〇五二MPa!」


 映像の中でスコヤとグレーンが、耳を押さえて倒れた。急激に低下する気圧に、身体がついていかないのだ。


「お願い。動いて、動いてよ」


「〇・〇三四MPa……危険域にはいります」


 シムの目の前が真っ暗になる。蟲は幾ら呼びかけても、反応しない。


「ペースを落とせ。すぐに死なれたら困る」


 気圧の数字が〇・〇三四で静止する。今も空気を抜き続けているのだろうが、先ほどまでの急激な数字の低下に比べれば雲泥の差だ。

 映像は霜で覆われ、微かに見えるスコヤもグレーンも気絶していているのか動かない。


「お願い、わたしのお願いを聞いて、聞いて頂戴!」


 ガラスケースに縋りつき、嗚咽交じりのお願いを繰り返すシム。男がその背中に向けて他人事の様に言った。


「このまま気圧が下がれば、血液が沸騰し死ぬね。まぁ、今のままでも低酸素症で死んでしまうだろうけど。どっちにしろ、急がないと二人とも死ぬね。ああ、死ななくても神経までダメージがいったら、まともな生活はもう無理か」


「あんた、そんな事になったら、他の職業兵が黙ってないわよ。仲間までやられて、黙ってると思うの!」


 シムが一縷の望みをかけて、男を脅してみる。


「大丈夫。彼女の同僚、ドルトン君? 彼は今、ここに居ないから。後で上手く言えば誤魔化せるよ」


 男は何にも考えてなさそうな様子で嘯く。

 ああ、こいつ、実験が出来れば何でもいいんだ。

 血の気が失せた。男は絶対に実験をやめない。この先も、実験の為に全てを玩具にする。例外はない。自分さえも玩具でしかない。そう言う狂気をシムは感じ取った。


「っっっ! お願い、動いて」


 シムはガラスケースに向き直り、涙混じりに懇願するが、蟲は動かない。

 恐怖で歯の根が合わなくなる。

 スコヤを失う。

 そう思っただけで、体中がまともに動かせない。今まで自分を救ってきたのはスコヤだ、とシムは思っている。大蟲と二人、何も分からないまま逃げていた自分に、スコヤはご飯をくれた。服をくれた。優しくしてくれた。そして、希望を見せてくれた。

 スコヤが居たからシムは家族の元へ帰ることを目指せた。シムにとってスコヤは颯爽と現れた騎士ナイトだった。

 その騎士がシムの所為で死ぬ。こんな怖い事はない。スコヤを殺してしまう、と思っただけで、胸の中に穴が明く。穴からじくじくと滲み出る思いは、シムを乾き凍えた世界へと叩き落す。

 耐え切れなくなったシムは泣き出してしまった。


「ヒック、ヒク、スン、お、おね、お願い。スコヤを、グス、助け、ヒック、助けて」


 ガラスケースに額を貼り付け、涙と鼻水で顔を汚して、願い乞う。

 シムの心が奇跡を起したのか、それとも蟲の気まぐれか、はたまた最初から仕組まれていたのか。ガラスケースの中の蟲が動き出す。それまでの緩慢な動きが嘘の様な速さでスイッチに向い、自身の身を叩き付けた。蟲の溜め込んでいた塩水がガラスケースの中にはじけ飛ぶ。


「なるほど、なるほど。いやぁ、ありがとう。良い実験だったよ。アハハハハハハハハハハ」


 科学者の笑い声が聞こえたが、そんなものはどうでも良かった。

 泣きつかれたのか体中が鉛の様に重い。今すぐ、眠りたかった。

 スコヤは?

 シムは気力を振り絞って、ディスプレイを見上げる。映像の中でスコヤとグレーンが職業兵に担ぎ上げられていた。


「よか……た」


 緊張の糸が切れたシムは、そのまま意識を手放した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ